原文登録:2010/12/17 08:32(3470字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
延坪島砲撃で立ちこめた煙に紛れて見えなくなったものは本当にたくさんあります。多数の労働者が非正規雇用者であるこの国では、本当なら現代自動車の非正規労働者たちの超人的な工場占拠ストは全国から注目を集め、全国的な連帯を推進しなければならないことでした。ところが、政権と現代自資本にとってはたまたま運よく「安保危機」が重なった上に、正規職労組の上級幹部による裏切りに近い「調節」が成立し、積極的な闘争の炎は多くの視線を集めることができずに消えてしまいました。それでも、今回の現代自の闘争は少なくとも労働界内の関心事となり、消極的ではあれ多くの非正規労働者たちを元気付けることはできました。それに比べれば、「呉世徹(オ・セチョル)教授と社労連(社会主義労働者連盟)裁判」という大変危惧される悲喜劇は、進歩の内部においてさえもこれといった関心を引くことはできなかったようです。既にご承知のように、延世大学の呉世徹名誉教授が理論的かつ実践的なリーダーとなっている社労連は、急進的な社会主義を標榜し実際は労働者主義的路線をやや保ちつつ「労働階級の組職」に力を注いできました。「階級の組織」というと非常に仰々しく聞こえるかもしれませんが、「階級」という語を概して軍隊の階級程度にしか認識せず、労組の幹部から保守政党の国会議員に転進してもまったく「転向」とも「裏切り」とも思わないほどに階級の利害関係に無関心で私利私欲を体制の範囲内で追い求めることが当たり前とされる大韓民国では、呉世徹教授によって組職化された労働階級は―私が理解するかぎりでは―おおよそ数十人にすぎません。ノルウェーの場合は、社労連と路線が似ている「赤色党」(一種の「労働者共産党」)は全国的に約2.5%の支持を得ていますが、これはあくまでも社民主義的な後進国ノルウェーでの話です。偉大なる「先建」政治の指導者であらせられる我が大統領閣下のご賢明な指導の下、日進月歩に先進化し、その国格が天を突く大韓民国では当然違うはずですね。アラブ首長国連邦にまで派兵し世界の方々にその武威をふるう強盛大国なのですから、ほかに何が言えるでしょうか。
強盛大国になってしまった結果、国内外のあらゆる仮想敵がとてつもなく強盛に見えたのでしょうか。あまりにも穏やかな方なので、急進的な社会主義組職のリーダーというよりは むしろ自室に閉じこもり政治経済学の研究に没頭する「白面書生」のように見える呉世徹教授は、約2年前から現代版特高に苦しめられてきました。嫌疑は国家変乱の企図、自由民主主義に対する威嚇などです。詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)を「潜在的な反乱者」と決め付け投獄させ獄死させた「あの時代」の特高も想像力がとても豊かだったのですが、「先建」政治時代の安保屋たちも どうやらハリウッドの監督以上の想像力を誇っていらっしゃるようです。爆弾酒をたくさん召し上がり脳が爆発的に進化されたのかどうか、私ごとき愚かな衆生にはわかりませんが、本当に「ソウルウッド」でも一つ立ち上げてみてはいかがでしょうか。呉世徹教授が国体を変乱し自由民主主義の秩序を転覆させる確率は、おそらくスイスの学校在学中にやはり「爆発的なスピードで」大将の称号を早くも与えられた金正恩(キム・ジョンウン)「若将軍さま」が いきなり対米聖戦を起こしニューヨークを占領し「ニュー平壌」と改称させる確率とほぼ同じでしょう。ところが先進化した大韓民国ではカフカの『裁判』は文句なしに現実になるはず。さる12月3日に公判が開かれ検事側が「国家変乱陰謀の主犯」呉世徹教授に懲役7年を求刑したそうです()。その同志たちにもほとんど5~7年が求刑されました。ノルウェーであれば7年の求刑は情状酌量の余地がある殺人犯に下される刑罰に相当するでしょう。しかし、後進的な社民主義国家とは質的に異なる強盛大国・大韓民国では刑罰も強盛でなければならないでしょう。やはりスケールが大きいですね。
爆弾酒をたくさん召し上がった状態では猫も虎に見え 虎も恐竜に見えるかもしれませんが、このような「求刑遊び」をなさる方々が、呉世徹教授が数十人の同志たちを糾合して自由民主主義の秩序を脅かしうると本気で信じているわけでないことは明らかです。実際、法曹界の人々にとって呉世徹教授が少しでも「脅威」に映ったのなら、今回のように非拘束のまま裁判を進めることはあり得ないし、社労連を瓦解させようとする努力もより執拗になされたはずです。そうだとすれば、国際的恥曝しを敢行してまで この裁判コメディーを上演する理由は一体どこにあるのでしょう。多くの方々は「進歩側への脅迫」と捉えるはずですし、それも一面では正しいでしょう。呉世徹教授が有罪になろうが無罪になろうが(後者の可能性もかなり大きいです)こんなに長らく公安屋たちに苦しめられている先生の姿を見守ったあらゆる人々は、先進化した祖国の胸に抱かれている限り、「社会主義」のような不穏な単語は口にすべきではないという教訓をすでに得ているはずです。そうしないと窒息して死ぬほどに祖国が強く抱擁してくるかもしれないからです。ところが、大韓民国で「社会主義」を好む「不逞分子」であれば、概して人徳溢れる我が祖国に対しては特別な幻想を抱いていないはずですし、法廷で「思想闘争」を引き受けざるを得ない覚悟はすでにできていると思われます。このような類の「裁判沙汰」は脅迫とも何とも思わないでしょう。自分たちの存在の必要性を確認しなければならない公安屋たちの「成果主義」、すなわちひとつでも成果を残したい「純粋な熱情」も確かに一役買ったはずですが、ただそれだけなら これほどまでの恥ずかしい所業はできなかったはずです。はっきりとした意図は他にあったと思われます。
私の考えでは、今回の裁判は一種の「実験」だったのではないかと思います。ほぼ15年間もなかった北朝鮮とは無関係の「思想犯」に対する思想裁判を再開した「公安屋」たちは、一応 今回の事を実験してみて社会の反応を注視しているような気がします。たとえば、影響力の大きい宗教集団内のあの進歩的な前衛(カトリックの正義具現司祭団など)が反対の声明を出すなど積極的に反発し、市民社会に幅が利く参与連帯などが積極的に呉世徹教授とその同志たちを守るならば、国家権力はすぐに退くことでしょう。そろそろレイムダックを迎える大統領は、そうでなくとも仲の悪い市民社会からさらに恨みを買ってまで、高学歴、中間所得層の若い会社員たち、市民社会のリーダーらの影響を受けている中間的な有権者層に嫌われる必要がどこにあるでしょうか。ところが、今回の「実験」が成功して、呉世徹教授に対する魔女狩りが市民社会からのこれといった反対もなく「順調に」進んだとするならば、公安屋たちは新たな翼を付け新しい「不逞分子」たちを追い求めていつまでも翔け続けるでしょう。先ずは零細な左派組織が標的にされるはずです。次に社会党、民労党、進歩新党内で少しでも急進的な勢力は不意に「国体変乱陰謀者」に仕立て上げられることでしょう。外で対北対峙が先鋭化している状況で、内でも「内部の敵」を作り出すことができるならば、政権側にとっては二重の効果となるでしょう。だからこそ、こんなことを仕出かしても これといった反発がないかどうか、今 市民社会の意向を「推しはかっている」段階ということです。
結局、私たちの未来は私たちの手に掛かっています。私たちが今日 呉世徹先生を守ることができるなら明日は私たちの表現の自由がより強化されるはずですし、私たちが今日 呉世徹先生が魔女裁判でイジメを受けている状況を座視するならば、明日は誰もが(私を含めて)裁判を受けなければならない「不逞鮮人」の列に連座するかもしれません。私たちの力と言えば連帯の力以外にはないでしょう。