2年以上勤めた社内下請労働者を正社員と認定した最高裁の判決さえも無視し、食物の搬入も電気も断つなどの超強硬対応で非正規労働者たちの絶望的な闘いを粉碎しようとする現代自動車の資本家たちは、果して何を狙っているのでしょうか。これは単に賃金搾取だけの問題ではありません。数千人の派遣労働者たちの正規雇用転換によって増加する賃金は、せいぜい現代自動車の売上の1~2%にすぎないため、完全な正規雇用が達成されたとしても、会社側の金銭的な利益はあまり損なわれません。むしろ忠誠心の向上により不良品の発生率が下がるなどといった得も生じるでしょう。しかし、資本家たちにとってはそれは問題になりません。真の問題は労動者たちへの「統制」です。すなわち、権力の独占です。大企業の正社員ともなれば、実は統制はあまり容易ではありません。組合化の程度も高く、労組との関係管理にそれなりの手数を掛けなければなりません。もちろん、今は多くの労組の幹部たちが保守化しているため、そのような問題は起こりませんが組合が急進化し幹部陣が入れ替われば、ドイツのように経営参加権を要求することもありえない話ではありません。また、すべての正社員による一斉ストライキが決行されれば、会社側が実際に相当な損失を被ることもありうるため、そのような要求は簡単には無視できないでしょう。つまり、労動者たちに職場を自ら管理し、工場の運営に参加する権利を与えてしまったら「皇帝経営」から「株主資本主義」まで、韓国型の新自由主義を象徴するすべての慣行やシステムは次々と崩れることもありうるでしょう。労動者たちが創業主一家に深刻に問題を提起することもありうるし、配当金より福祉や雇用者教育などを優先する分配政策を要求する可能性も出てくるでしょう。結局、資本の、剰余価値の管理に対する今のような絶対的掌握がこれ以上はできないかもしれません。そのため、このような問題をあらかじめ防ぐために労動者への分離統制を強めているわけです。消耗品のような非正規社員の存在を利用して正社員たちを特権化させ、正社員に自分たちと会社とを同一視するよう密かに誘っています。だから非正規労働者の正当な正規化要求をこれほどまで徹底的に粉碎しようとしているわけです。その要求が通った瞬間、念入りに積み上げてきた資本の絶対権力のピラミッドががたがた揺れ出すかもしれません。
では、不良な政府や不良な資本に苛まれている私たちは食べ物もろくに入れてもらえない現代自動車の同志たちといかに連帯することができるでしょうか。当然、デモなどを通じて現代自動車の正社員組合に非正規社員の同志たちとの連帯を要請し、現代自動車の違法な労働弾圧の中断と正当な正規職転換を声高に訴えていかなければなりませんが、その他の方法も色々と考えなければなりません。たとえば、現在、不動の権力を握っている三星に対してボイコット運動を提唱している方々がおられますが、現代自動車が最後まで弾圧に一貫するのであれば、彼らの製品に対するボイコット運動を展開することは正当な抵抗権の行使ではないでしょうか。いつ首になるかもしれずに搾取され続けている現代版「奴隷」たちの作る製品を買い、奴隷主たちを肥やす必要がどこにあるでしょうか。微力ではありますが、私もノルウェーのマスコミに現代自動車の今の状況についての資料を配り、あらゆる手段を講じて現代自動車のボイコットをノルウェーの人々に訴えていきたいと思います。韓国を支配している大企業は海外での製品の販売促進活動をあたかも「愛国」であるかのように吹聴していますが、私は逆に搾取の産物に対するボイコット運動こそ被搾取側、すなわち韓国的資本主義の犠牲者に対する礼儀だと思います。資本家たちの国と労動者たちの国とは別々に存在するものです。前者に対する反対闘争こそが後者に対する真の愛国なのです。
私たちは今、何とも情けない世の中を生きています。もとを正せば、李明博政権の強硬な反北政策が北朝鮮を変に刺激し、北方限界線(NLL)のような極めて敏感な地域で不祥事を起こす可能性を高めたことは、子供でもわかることです。宥和政策を取っていた前政権では南北間に衝突らしき衝突が一度でもあったでしょうか。北朝鮮への管理に完全に失敗した韓国の現政権も、射撃を敢行した北朝鮮の権力者たちと同じように今回の人的被害にはきちんと責任を負わなければならないのです。にもかかわらず、韓国の(充分に予想された)政策の失敗よりは「目に見える」北朝鮮の物理的行動が真っ先に世間から非難されているわけです。もちろん住居地への砲撃は当然許されない行為ですが、怒るだけでは長期的な平和を作ることはできません。また韓国の対応射撃が確実に与えたはずの北朝鮮の被害についても、同じ人間なら共に悲しまなければならないのではないでしょうか。はっきり言えることは、北朝鮮のことを私たちと同じ位置の、同等なパートナーとして認め、彼らの独特の歴史や文化に謙虚に近付き、心より長期的な共存と協力を積み重ねていかなければ、今後も罪のない住民たちが非業の死を遂げる事態を絶対に防ぐことはできません。世の中がどんなに怒りに狂っているとしても、北朝鮮の住民に対する同等な、理性的な接近を声高に叫ばなければならないのが知識人の義務ではないでしょうか。同じように、蔚山の事態に対しても今のマスコミは「会社の損失」を挙論するだけで、非正規労働者たちが今まで搾取と暴力に晒されながら被ってきた損失については一言もふれていません。これらの言説の階級的な本質や労動者の闘いの真実を国内外を問わずに伝えていくことは良い意味での啓蒙であり、知識人たちの道徳的な義務ではないでしょうか。
原文: 訳:GF