原文入力:2010-12-07午前08:12:48(1836字)
チョン・ソック記者
←チョン・ソック先任論説委員
バラク・オバマ米国大統領は去る4日、韓-米自由貿易協定(FTA)再協議妥結に対する歓迎声明を直接発表しながら、李明博大統領に特別に感謝するという意を伝えた。これを近くで見守るローン カーク米国貿易代表部(USTR)代表は満面に満足な微笑を浮かべていた。今回の再協議が誰に有利なことだったかを克明に見せる象徴的な場面だ。
ところで国内では珍しいことが起きている。今回の再協議が米国に一方的に有利なのが明白なのにも拘らず、わが政府は‘WIN-WIN交渉’だったとし、これを歓迎している。不利な交渉であったことを知りながらも国内政治用にそうするならば ある程度は理解してあげることもできる。今後、国会の批准同意を受けるためにも我々はそれほど損をしなかったという点を力説する必要があるためだ。
ところが、そうではないようだ。政府の反応を見れば、こんな程度の結果に本当に満足しているのではないかという気がするほどだ。キム・ジョンフン交渉代表は「我々の一方的譲歩という一部の評価には同意できない」と強く反発した。イ大統領も「今回の合意は両国の利益を互いにバランスが取れるよう反映」したものとして肯定的に評価した。あたかも相手に頬を殴られても 「この程度 殴られるだけのことはあって殴られただけなのに何が問題か」という式だ。
米国の前に立てば現れるイ大統領のこういう様子は昨日今日に始まったことではない。就任後、初の訪米に出たイ大統領はジョージ・ブッシュ大統領との‘キャンプ デービッド別荘会談’直前の2008年4月18日、米国商工会議所主催‘最高経営者ラウンドテーブル’に参加し、牛肉交渉が妥結したという便りを誇らしく伝えた。国内畜産農家に莫大な打撃を与え、国民健康に多大な影響を及ぼす恐れのある懸案を放棄しておきながら、あまりにも堂々としていた。韓-米FTA批准のためならば、そして‘21世紀韓-米戦略同盟’のためならば、米国側が切実に望む牛肉市場開放要求ぐらいは喜んで聞き入れてもかまわないという姿勢だった。
わが軍隊に対する戦時作戦統制権(戦作権)転換時点を延期したのも同じ脈絡だ。主権国家として自国軍隊に対する統制権を持つことはあまりにも当然だ。6・25戦時状況で米国に譲り渡した戦作権を、2012年4月に取り戻すことになっていたが、去る6月の韓-米首脳会談で還収時点を2015月12月に遅らせた。それも米国をようやく説得して。戦作権還収時点を延期すれば、それにより発生する追加費用を誰かが負担しなければならない。どんな形態であれ私たちが一定部分を抱え込む他はなくなるだろう。費用を追加で負担しながら、我々の軍事主権を継続して米国の手に渡しながらも、これを‘望ましい決定’として歓迎するイ政権の思考構造をまったく理解することはできない。
イ政権は米国との同盟強化(言い換えれば従属深化)のためならば、私たちの食卓だけでなく、経済や安保までも米国に押し付ける準備ができているようだ。そうするうちに米国からどれほど不利な待遇を受けたり損害をこうむっても、当然のこととして受け入れるように意識構造が固まったようだ。その一方で、それが結果的には私たちにも助けになることという自己合理化に馴れてきている。米国事大主義と奴隷根性が身についたのでないならば有り得ないことだ。
中国の作家 魯迅の代表作である<阿Q正伝>の主人公 阿Qは自身の現実を直視できず自分自身を欺瞞しながら生きていく日雇いだ。自分の手で自分の頬を殴っても、殴ったのは自分で 殴られたのは他人だとして意気揚揚としている。彼を支えてくれるものは、いくら侮辱されても自分の合理化ができる‘精神的勝利法’だ。寃罪を着せられ無念に殺されるが‘時によっては首を斬られなければならないこともあるかもしれない’で自分を慰める。結局、阿Qは村の人々の嘲弄の中でみじめに命を終える。李明博大統領はますます阿Qに似てきているのではないか、自ら振り返ってみることを望む。
チョン・ソック先任論説委員 twin86@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/452452.html 訳J.S