原文入力:2010-11-16午後09:00:43(1850字)
←イ・ウォンジェ ハンギョレ経済研究所長
主要20ヶ国首脳会議(G20)に対して論難も多かったが、私はビジネス サミット(B20)が開かれるという事実に内心期待を持っていた。主要国の経営者らが金融危機以前の経営慣行から脱離するという反省でもしないだろうか、そして社会と呼吸する未来型経営に立ち向かう礎石程度は打ち立てるのではないかと期待した。G20はグローバル金融危機に対する反省と共同対応のために2008年に始まった。その枠組みの中での初めてのビジネス サミットであり、反省から話が始まりはしないかと思った。4大議題の1つに‘企業の社会的責任性向上’が含まれたことも非常に新鮮に感じられた。
ところが結果は失望だ。企業が世界が直面した問題に対し、どれくらい真剣なのかを知らせる機会を無駄にした。韓国企業の社会的責任に対する真剣な態度を世界に知らせることができる機会も同時に失った。
何よりも今回のビジネス サミットはグローバル金融危機の本質を省察していない。危機の本質は貪欲に基づいた市場秩序だ。危機の原因はその秩序を受け入れ煽った政府と企業と金融にある。主要国政府がいくら金融を緩めても、経済の新しい枠組みをしない限り根本的に解消されることのできない問題だ。責任に基づいた秩序に直してこそ危機の原因が消える。
大企業と中小企業の共生問題が外れたことも最も眼に触れる内容だ。今回集まった企業家らは大部分が有名なグローバル大企業の経営者だ。大企業が少しだけ努力すれば、多くの中小企業とその役職員を幸せにすることができるという事実を誰でも知っている。しかし今回の会議は中小企業を生かすために政府がしなければならないことだけを羅列した後、大企業自らの役割は補助的なこととして取り扱ってしまった。
大・中小企業共生課題を強調する社会の雰囲気は事実、韓国に特殊なものだ。 共生課題を積極的に提起し声明に反映したとすれば、韓国企業の独特の責任性を世界に知らせることもできた。
働き口問題でも現実を直視しなかった。大企業が輸出を増やし成長し、技術革新が起き、予備就業者教育をよくしたとしても、自動的に良い働き口ができないという事実はもう誰でも知っている。中小企業、非営利部門、社会的企業などグローバル大企業経営の枠組みの外側での二者択一働き口創出に対する支援に積極的に言及したとすれば、それでも悩んだ跡が伺えただろう。こういう代案をすでに悩んでいる韓国企業もあるはずなのに残念だ。
全般的に企業の社会的責任に対する認識は、かえって国連で既に議論された水準よりだいぶ後退した姿だ。さらに韓-ヨーロッパ連合(EU)自由貿易協定(FTA)に表現されたことよりも遅れをとっている。人権、労働、反腐敗のような国連グローバルコンパクトの主要議題に対する認識も消えた姿だ。
今回のビジネス サミットはコンサルティング会社マッケンジーが引き受け準備したという。グローバル金融危機以前、経営のパラダイムをたて導いた会社だ。彼らが準備したフォーラムで過去のパラダイムから抜け出せない結論が出てきたことは、もしかしたら自然なことかも分からない。根本的省察をして、根本的に新しい接近をしない限り根本的解決法は出てくることはできない。
今、企業が直面している問題を正面から省察しようとするなら、少なくとも短期的利潤極大化だけを追求し、消費者と労働と環境を考えられなかった原因を省察するべきだった。成長してもなかなか良い働き口を作り出すことができない構造を認めるべきだった。消費者、労働界、市民社会など多様な利害関係者が参加または寄与する議論の枠組みを持つべきだった。そのようなサミットを韓国が主管したとすれば、韓国企業の‘格’が一層高まっただろう。
20ヶ国の企業家らは再び会うという。来年フランスでだ。心が痛いが、このように言うほかはない。韓国が議長国である時にできなかった企業の本当の社会的責任の話を、フランスでは必ずやれと。そうでないなら、再び集まることもやめろと。
イ・ウォンジェ ハンギョレ経済研究所長
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原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/449035.html 訳J.S