原文入力:2009-02-02午後08:58:28
←キム・ヒョンジン/エッセイスト
私はこの前までソウル,城東区,玉水第12区域撤去民借家人だった。 長くうっとうしい会社生活をしてどうやらこうやら集めた僅かなお金で築20年をはるかに越えるみすぼらしく所々崩れてさえいるその借家を得た。だが毎月生肉をはがして他人の手に渡すように打撃が大きかった家賃が手に残ると考えれば、みすぼらしいどころか宮廷さえうらやましくなかった。息を切らせてふくらはぎの痛さに耐えながら上らなければならない山頂だったが、部屋の窓を開けば首を出さずともトンホ大橋のきらびやかなあかりがテレビ画面のように繰り広げられて、毎日登山をする苦労もそれほど嫌いではなかった。だが2年契約中のわずか10ヶ月程度を暮らして撤去命令が下った。やむを得ず幾つにもならない荷物を一つ一つ包んだ。せんないことだが引越しトラックが出発する時、家が見えなくなるまでしきりに振り返った。短い間でも私を抱いてくれたその家があった場所にはブランド アパートが入るとのことであり、特に少しの間私の部屋だった所のように漢江がよく見える場所に住むことになる人々は眺望権価格を別に払うことになるという。
そして引越ししたところもやはり再開発地域だった。その金に合わせて暮らそうとすれば他に方法がなかった。前回にもそうだったように貸し切り契約をしながら契約書に別記された事項を黙黙と受け入れなければならなかった。「撤去にともなう移転命令が来れば借家人は一切の補償を要求しない。」仕方なかった。この価格で貸し切り借家があると思うかとの家主と不動産の説明もこの前と同じだった。すべてニュータウン,ニュータウンと言って狂風が吹き付けるここでは死んでもオールドタウンを探し回るほかない貧しいふところ事情ではそのまま言葉もなく印鑑を押すしか・・。
暫しの間、身体だけで入ってきて、また身体だけで出て行くことように部屋を離れることだけでさえそのように心が痛かったが、まして暮らしてみると、どうにかして暮らしてみると血のような身銭を数千、数億を一度に注ぎこみ、数年あるいは数十年間の生活の基盤を作ろうと努めた龍山撤去民らの苦痛はどうして言葉で表現できるだろうか。夜の寒さにもかかわらず龍山第4区域撤去民旗を掲げ毎日追慕祭を守った半白の年配の方は「子供,大変で死にそうだった…」と独り言を言った。その言葉通り、死ぬほど大変な世の中だ。龍山惨事の犠牲者たちも事故で亡くなったが事実はそれこそ大変で死んだのだ。暮らしてみようともがいて大変で死んで、暴力鎮圧の前にやむを得ず大変で死んで、火魔の前で逃げることができずに大変で死んで、欄干にぶらさがってみて大変で死んで….
このように国民が大変で死にそうだというより本当に死んでしまう国で、果たして大変で死なないようにするにはどのようにするかもわからないが、やはり政府の方針は初志一貫だ。「大変なのか? こらえろ。」今はない人々に彼らが提示する解決法はそのようにぴったり二種類だけだ。こらえるか、あるいは死ぬこと。それと共に彼らはささやく。‘富~者になって下さい。’そうすればそんな扱いを受けないから。撤去も暴力もなくて、故意放火だとか都心テロとか言われて2回3回死ぬこともないから。
現政権の最も大きな問題点は、人の上に人がいて人の下に人がいると自分たちが信じているという事実を隠す程ずる賢くできないということだ。いっそカースト制度のように最初から国民等級制でも始めて持たざる人を粗雑に対応しているということを認め、表面で国民の皆様のためにどうのこうの言うことを止めるならば少なくとも今のようにおぞましくはない。
キム・ヒョンジン/エッセイスト