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[クァク・ビョンチャン コラム] 庚戌年国恥と庚寅年恥辱

原文入力:2010-08-24午後07:42:55(1781字)

←クァク・ビョンチャン編集者

100年前、日帝により併合条約が締結された8月22日から、それが公表された29日まで、韓半島には長く不穏な沈黙が流れた。植民体制という未曾有の地震津波はあの沈黙の海の下で揺れ動いていた。勝利と光栄だけを記憶し、敗北と恥辱は忘れようとする記憶の通俗性のためだったか。歴史は今でも卑屈と恥辱で満ちたその時をきちんと記憶しようとしない。せいぜい寺内正毅総督が南山中腹の総督官邸で 「小早川、加藤、小西(壬辰乱の倭将ら)が世にあらば 今宵の月を いかに見るらむ」と威張り散らしたという程度の外史だけが残っている。

国恥100年を迎えた今年でさえそうであるので、他の年は言うまでもない。しかし歴史を記憶することが、そのような悲劇が繰り返されることを防ぐためのものならば、光栄よりは恥辱を、勝利よりは敗北を記憶してこそ当然だろう。寝床につく度に臣下をして「王は會稽山の恥辱を忘れられたのか」と尋ねるよう厳命した春秋戦国時代越の国 勾踐の故事は だから記憶するに値する。光栄の記憶は自負心を越え自慢に流れるが、恥辱の記憶は慎重さと共に暮らすことに堅固さを付加する。

数日前<韓国放送>は亡国の皇帝 高宗を再評価するプログラムを放映した。閔妃を国母とあがめようとする動きはかなり以前からあった。貧しい歴史認識は歴史的真実が立つ場所まで威嚇する。亡国の1次責任者は他でもない高宗と閔妃、そして閔氏戚族であったことを誰がどうして否定できようか。高宗が老練な外交で弱小国の限界を克服しようとしたとしても、彼が守ろうとしたのは国権ではなく王権だった。それも国家の利権をエサに強大国の歓心を買おうとしたことがすべてだった。彼にとって民は依然として服従しなければならない臣民であり、権利を主張する民は逆徒であった。民を捨てた王室は孤立無援であり、相互牽制を期待した外勢が互いに結託しながら王権と国権はあっという間に崩壊した。

そのような王権は閔氏戚族にとって、ただ権力と利権を守る保護膜だった。彼らは王権に頼り、一時は地方官の90%を売り飛ばした。これは全国で苛斂誅求を荒れ狂わせた。戚族の大父、閔謙鎬 宣恵廳 堂上は6ヶ月ぶりに与えた旧式軍隊の月給としてふやけた米に砂と糠を混ぜて与え、壬午軍乱を自ら招来した。これらは自身の利害を守るためには外国軍を引き込むことも躊躇しなかった。その結果は日帝による併呑だった。壬午軍乱が勃発するや清軍を呼び入れ軍乱の連座者を刺殺させた。1894年東学農民軍が全州城を占領し王権が危険になると、多数官僚の反対にもかかわらず清軍を再び呼び入れた。これは日本軍の自動介入を招き、韓半島は外国軍の角逐場あるいは戦場となってしまった。以後もロシア、米国などに頼り崩れゆく王権を守り、自身の既得権だけを守ろうとしたのみだ。

庚戌国恥100年後の今、韓半島周辺は再び列強が対立する戦線となった。天安艦事態以後、南側は米軍を呼び入れ、これは中国を刺激し西海は武力示威の角逐場となってしまった。北側の海岸砲弾が北方境界線の南側に飛び込み、南側は即刻対応を公言している。米国は軍事的支援の代わりに南側を中国封鎖の前進基地として利用し、兵たん支援を要求するかと思えば、イラン制裁を圧迫し、不平等自由貿易協定を強要する。再び韓国は歴史的恥辱に直面している。

今は戚族が大手を振ることこそできないが、‘お兄さん’を頂点とした非公式組織の国政壟断疑惑は絶えない。民間人および政治家の査察と関連し集中砲火を受けたその実務責任者は、大統領の保護の下で常勝疾走する。ところで大統領の側近という理由で内定した高位公職候補者らの面々は、旧韓末の戚族と違うところがない。大統領は庚戌の恥辱を思い起こし、冷静に確かめてみなければならない。あなたが守ろうとするのは国権なのか政権なのか、国益なのか派閥利益なのか、国家安危なのか側近安危なのか。

クァク・ビョンチャン編集者 chankb@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/436554.html 訳J.S