原文入力:2010-08-06午後08:38:18(1140字)
大統領府と出入り記者団が最近、改閣発表の時まで関連報道をしないことにしたという。改閣は政局運営方向と密接に絡まっていて、多くの国民が関心を傾ける懸案だ。あらかじめ報道したからといって公益を害するものでもない。改閣関連 報道猶予(エンバーゴ)は、せいぜいびっくり発表の効果を高めてあげることにしかならない。結果的に大統領府と出入り記者団が‘改閣イベント’を合作する格好だ。大統領府が自身の政治的利害関係のために国民の知る権利を侵害しているという批判が出てくるのは当然だ。
大統領府の正当性なき報道猶予要請は今回が初めてではない。去る6月には韓-米首脳の戦時作戦統制権転換延期論議に関して、先立って報道しないことを要求した。これを<ハンギョレ>等、一部言論が受け入れず論難となった。大統領府が国家的懸案に対する公開論議を最初から封じようとしているという批判も続いた。
繰り返される大統領府の報道猶予要請は歪んだ言論観をよくしめしている。論議の過程では沈黙しておき、決まった後に発表だけそのまま書き写すのが言論だという考えを表わすものだ。言論の本分が権力を批判・牽制し、社会的論議を触発するということを考えれば、正常ではないどころか独裁的だ。大統領府が政治的利益のためにはいくらでも言論を統制することができると考えていることに他ならない。
もちろん大統領府のせいだけにすることはできない。報道猶予は言論が受け入れてこそ成立する。これを受け入れた言論にも大統領府に劣らず責任がある。他の見方をすれば、言論の慣行的な報道猶予受け入れがさらに大きな問題でもある。言論が懸案の性格を厳密に問い詰め、確かに必要な時だけ報道猶予に協力するならば、大統領府も報道猶予要請を乱発できないだろう。権力との関係に対する言論の反省が緊急に必要な理由がここにある。言論の自由は言論自らが守ろうと努力する時にのみ保障されるということを忘れてはいけない。
今の時代に報道統制がどれほど有効なのかについても考えてみる必要がある。最近リビアとの外交葛藤が、外国言論を通じて逆に国内に紹介されたことにより報道猶予が崩れたことでも分かるように、政府と出入り記者団が沈黙したとしてもそれだけでは済まない。政府と言論はもう報道統制が効果を発揮しにくいだけでなく、ややもすると不信だけを招くということを肝に銘じなければならない。公益は情報の自由な流通の上で守られる。
原文: 訳J.S