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[ホン・セファ コラム] 痛み

原文入力:2010-03-02午後09:02:08(1712字)

←ホン・セファ企画委員

最近キム・ヨンチョル弁護士の新刊書<三星を考える>を紹介した全南大キム・サンボン教授のコラムが<京郷新聞>に掲載できなかった。インターネット媒体<プレシアン>と<レディアン>に‘亡命’したる原稿で、三星不買運動を当然の課題と提起したキム教授は、自身の文を掲載出来ない "京郷を非難するよりは逆に独立言論の道を歩むようさらに熱心に応援することが私たち全員の課題" と話した。ジャン・ポール・サルトルの言葉のように 「自由言論は生存手段が存在理由をき損すれば不可能" だが、キム教授コラムの亡命理由は今日の韓国の進歩言論が体験している存在論的痛みの実情を表わした。

果たして誰かいるだろうが。二日後の1面に謝罪文を載せた京郷新聞と、<三星を考える>の内容を社会面トップ記事で紹介することはしたものの、本の広告は慣行の割引価格に代えて正常価格を要求し未だ掲載されずにいる<ハンギョレ>に内面化した屈従を自白しろと非難できる人が。名誉毀損の可能性を問い詰め載せることが出来ない<オーマイニュース>編集長の説明文を読みながらも私に迫ってきたものは痛みだった。今日 「すべての国民が‘正直’になれば良い」 というイ・ゴンヒ三星総帥の話以上に侮辱的な言葉を知らない私自身もまた、このコラムが載せられるか考えながら、題名を‘痛み’と遠回しに言う‘正直’になれない姿を表わしているではないか。

かつて一人の暴君統治がどうして可能なのかと尋ねたtienne de La Botieはその答を万人の‘自発的服従’に求めた。彼が "世の中で最も恐ろしいものは私たちをひそかに奴隷に仕立てる誘惑だ。暴力で統治する方法はそれほど怖くない" と話した時の年齢はせいぜい18才だったが、この16世紀の人物の発言が21世紀の韓国でそのままに適用されるだろうとは誰が思っただろうか。

だから私たちは<三星を考える>を読まなければならない。それが僅かな金48億ウォン(贈与税16億ウォン除外)で、年200兆の売上企業の経営を結局‘合法’的に継承することになった過程を知るために、三星餅代を受け取ったという疑惑を買っても法務長官になることができる私たちの社会メカニズムを知るためにだけではない。それは何より物神支配に順応し、人間本性の発現である自由人の道ではなく屈従の道を歩いている、そして覆いかぶされた欲望体系で人間性を傷つけるところまで達した私たちの痛くみじめな姿を振り返ってみるためだ。たとえば今日、私たちの存在と意識は、人間のための清浄区域ではない三星電子チップのための清浄区域で仕事をし白血病に倒れた労働者の側に立っているのか、あるいは労組否定は基本であり障害者2%雇用義務まで徹底的に無視する三星側に立っているのか。

<三星を考える>はまた二つの事実を悟らせる。以前に韓国社会の政治理念地形を保守的保守,自由主義保守,進歩と分けて、前の2者の区分線を国家保安法、後の2者の区分線を新自由主義と言ったが、今後の進歩勢力は新自由主義という難しい言葉の代わりに‘三星’と変えなければならないというのがその一つだ。私たちの外側にあると考える新自由主義とは異なり、三星は私たちの中にあるためだ。痛みは大概 悲しみを産み、それを分け合うことによって癒える。しかし私たちの時代が失っている痛みは、悲しみを伴うにはその根元があまりにも醜悪だ。だから選ぶこと以外には治癒の方法がないというのがまた別の一つだ。

一ヶ月前に都市生活をたたみ人里離れた島に定着した方からEメールを受け取った。そこには私たちの痛みを治癒できる道があった。"何もできないことが残念です。昨年夏、永らく使った三星クレジットカードを撤回したことが、唯一行動に移したせめてものことです。"

ホン・セファ企画議員 hongsh@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/407659.html 訳J.S