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[世相を読む]‘恐ろしい中学生’たちの時代/イ・ギェサム

原文入力:2010-02-12午後08:07:42(1683字)

イ・ギョサム慶南,密陽,密城高教師

小麦粉をばらまき生卵を投げ制服を破ることまではそれでも理解できた。見たくはなかったがどういうことだろうか。子供たちは卒業式の日、ああでもして解放感を満喫したかったということを、この間受けてきた抑圧に対する反感を表現したかったのだろう。自分たちどうしの結束も、その無理の中での自分の存在感もそのようにして現わしたかったのだろう。
ところが今は下着姿で道路を歩き、走り回って、その下着までをずたずたに裂くという狂気に近い暴れようだ。さらに驚くべきは、その主導者が大概は中学生だという事実だ。ただ一時の流行で過ぎ去ることを願うばかりだが、そうなりそうにはない。これは卒業式だけのことではないためで、小学校でもそんな‘兆し’が伺える子供たちが少なからず育っているためだ。

すでに学校現場ではこの‘恐ろしい中学生’たちに対する話が結構広く行き交っている。私もまた無数に多くの話を聞いたし、実際に目撃したこともある。ある日‘誕生日叩き’だとして市内中心街にあるバス停留場表示板に一人の女子生徒を青テープでぐるぐる縛っておき逃げる一群の女子生徒たちを呼んで大声を張り上げたことがある。やっと中学校1~2学年になるかならないかの子供たちだった。若い女性教師にしても年を召した男教師であれ区別なく仕返しをしたり悪口をあびせ授業時間にこのクラスあのクラスと好き勝手に歩き回る子供たちがいるという。授業にならずあまりにも苦痛で学校へ行くのが怖いという中学の先生たちとも少なからず会った。どのように声をかけるべきか、対話をほぐしていくべきか、まったくつかみどころのない子供たちの世界が今学校現場に根をおろしている。

この問題を夢中に考えていて、ふと悟ったことがある。今この子供たちは概して1990年代中・後半に生まれ、そのいくらか後にIMF救済金融を体験したという事実だ。私は87年6月抗争から97年IMF事態にかけてが、我が国社会により一層深く濃い線を引いたと考える。構造調整,整理解雇,非正規職という単語がこの時から生じ、生計費用に備える労働者たちの実質所得が減少し始めた。大部分の両親たちはしかたなく共稼ぎをしなければならなかったし、多くの両親たちが離婚と別居により子供たちを単独で育てたり田舎の祖父母様の家に任せ始めた。そのようにして残された子供たちが、幼少年期の大部分を学院(塾)とインターネット,テレビに費やして育ち始めた。子供たちは走りまわることができず、‘生きている世界’と交渉できなかった。そうして子供たちの芽生えたその‘正直なエロス’は抑圧され、自閉的で破壊的な遊びの過程で‘欲求と衝動の塊り’となった。そのようにして育った初めての世代が今中学校を卒業しているのだ。

誰が両親を恨むことができようか。去る10余年間、暮らしていくこと自体があまりにも険しい曲芸だったためだ。両親たちは生きようともがくのに手いっぱいで子供たちと共に過ごせなかった。遅れをとれば直ちに餌食になる、このジャングルのような世の中で、それでも何とか遅れをとらないようにしようと両親は子供を塾に送らなければならなかったし、その塾に通う費用を賄うためにさらに多くの仕事をしなければならなかったし、それでますます子供たちと共に過ごせなかった。この悪循環の時間は今でも続いている。

卒業式の日、パンツをはいて通りを疾走するこの子供たちは、今自分たちが何の仕事をすれば良いかもわからず、この社会に向かって根本的な問いを投げている。子供たちは今 去る10余年間、私たちがどのように暮らしてきたか、今どこへ向かっているかを尋ねているのだ。この質問に今や私たちが答えなければならない時だ。

イ・ギェサム慶南,密陽,蜜城高教師

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/404483.html 訳J.S