原文入力:2009-11-15午後09:23:30
カン・ジュンマン全北大新聞放送学科教授
“イ大統領‘世宗市修正’なぜゴリ押しするのか”(<ハンギョレ> 11月6日付1面)トップ記事が提起した質問だ。この記事はイ・ハンク ハンナラ党議員が記者らにした話を紹介することから始めている。「いったい何の目的でああするのか、まったく分からない」
そうだ。 本当に気になる。いったいどうしてそうまでするのか?
この間、イ大統領が直間接的に明らかにした‘世宗市修正’の理由と目的はただ一つだ。国家百年の大計のための愛国忠誠だ。ところで世宗市原案推進を何回も約束した時はその事業の深刻な問題点が分からなかったのだろうか? 軽く約束したのでもなく‘渾身の努力’で‘必ず’やり遂げると言った約束ではないのか。約束を守らないかもしれないと疑う人々に向かって‘そのような心配はしなくても’いいと言ってまで念を押したのではないか。
どう考えても何か別の理由があるようだ。1994年ある大企業が送りだした次のような広告文案にその答があるのはでないか。 “エリシャ グレー、グレアム ベルより1時間遅く電話の発明に成功/だが誰もNO.2などは覚えていない。”
どんなことでも‘最初’または‘元祖’になることは大変重要な意味を持つ。政治指導者の場合にはそれがまさに自身の存在根拠と言っても過言ではない。自身が新しい時代を開いた元祖として記録されたがる指導者たちの野望競争は韓国政治の見慣れた姿だ。‘文民政府’ ‘国民の政府’ ‘参加政府’というレッテルがそのような野望を雄弁に物語っている。イ・ミョンバク政府はスタートの時にどんなレッテルも前に掲げることはなかった。それで上手くやったと拍手する人々が多かった。‘文民政府’ ‘国民の政府’ ‘参加政府’というレッテルはそれなりの根拠があったりするが、それは国民が理解して評価する持分であって、政府自らが前面に掲げて威張るものではない。実際に3つの政府が共通に示した独善と傲慢にはそのような‘元祖コンプレックス’が大いに作用したと見るのが正しいだろう。
ところがまもなく、拍手することではないということが明らかになった。イ・ミョンバク政府は建国60周年の2008年を‘先進化元年’と宣言して出た。‘先進化元年’とは、それ以前には先進化の試みがなかったというこだろうか。こういう‘元祖コンプレックス’の観点で見ようとすれば、‘世宗市修正’は簡単に理解が出来る。俗っぽく言えば、世宗市事業は儲かる商売ではない。何の面目も施すことはできず、人が食べた食卓を皿洗いするような格好だ。そこに使うお金があれば‘元祖’を主張できる‘4大河川事業’に使う方がはるかに良いと考えることになったのでないか? もしそうなら、’世宗市’を‘イ・ミョンバク市’に変えて原案どおり推進することが新しい代案になりえるかも知れない。
ところで‘元祖コンプレックス’と関係がない一部の知識人たちはなぜ声明を発表し記者会見をしてまでも世宗市事業に積極的に反対し始めるのか? 彼らの主張をよく剥いてみて欲しい。始終一貫‘効率’を主張している。この主張自体は論理的だが、彼らは現‘ソウル1極体制’の非効率については口を硬く閉ざしている。彼らは無知なのか、あるいは相変らず‘1極集積の効率’を信奉する‘社会進化論的国家主義者’たちだ。
朴正熙時期の開発独裁は賛否論議の余地もあるが、彼らは世の中が大きく変わった今日でも、まだその時の発展モデルに中毒している。彼らが世宗市原案推進を主張したパク・クネを‘ポピュリスト’云々し非難するのは、彼らがパク・クネの進化速度に全くついて行けずにいることを自ら暴露するだけだ。言語感覚まで退化したのか? 政治家が国民にした約束を守るのがポピュリズムとは、これほどまで話を堕落させてもかまわないのか理解に苦しむ。
カン・ジュンマン全北大新聞放送学科教授
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/387826.html 訳J.S