原文入力:2009-01-04午後07:29:43
十数年を犠牲にして成し遂げた校長職
あなたが描いた学校がそれですか?
子供たちの純情な人間味を去勢して
宝のような先生を切るということですか?
私は公募制校長です。校長資格証もない期間制校長です。また全教組解職教師出身でもあります。
この国で校長になるということが如何に多い犠牲を前提とするのか少なくとも教師たちはよく知っています。すべての教師たちが校長になろうという考えで教壇に第一歩を踏み出すのではないけれど、ある瞬間校長になろうという心を持った時からは、十何年は多くの放棄と忍耐,そして同じくらいの時間の服従を甘受しなければなりません。故にその道を歩いて今日に至られた校長先生たちの仕事の苦しさを私は尊重します。目指す教育,目指す学校像がないなら行く事ができない、行ってはいけない苦難の道であることが明らかです。
望む教育,作りたい学校の像がおありになったでしょう。今、作り出していらっしゃいますか。でなければ、いつのまにか教育者としての魂とその夢を忘れて席の保全と末端行政家の役割に一層没頭されていらっしゃるのではありませんか。
この前、私は専門系高に進学した子供たちを連れて‘学校長と共にする自我探索旅行’という時間を過ごしました。智異山の道を各々重いリュックサックを持って精魂尽きた状態で歩きました。ある子供が感想文にこういう文句を書きましたよ。「私を探すことが何かはよく分からない。でも私がもっと重いリュックサックを担いでいると思うと心が本当に楽だった。」全国に初雪が降った日、ガラス窓もこわれたみずぼらしい小屋で互いに抱き合ってぎゅう詰めで眠りました。朝布団をたたみながらある子供が「友達がこんなに暖かいとは知らなかった」とつぶやきました。
他人よりもっと難しいことで気が楽になる子供、友人に挟まれることが暖かいのをはじめて知った子供。これが私たちが教育だと言うことの本質的目標ではないですか? 私は他の校長先生のように十数年もその道を歩くこともできなかったし資格証を受けるのに必要な集中研修も受けることができませんでした。だがこのように人を配慮して認める人を育てることが良い世の中を作るための基本で教育者の当然の義務ということぐらいは知っています。
校長先生の代わりをして、子供たちの痩せた心を抱いて暖かい心を育てる本当に良い先生たちが校長先生の学校にもいるでしょう。子供たちの祝福であり校長先生の祝福です。
一斉試験の問題は色々な校長先生も私の問題意識程度には知ってらっしゃると信じます。先生も教壇に立って、千差万別の子供たちの個性と創意性を育てるために悩んで努力した時期があった筈ですから。
いくらやろうとしてもできなくて結局挫折する子供たちにいつも序列を確認させることが、暴力でも拷問でもないどのような話で可能でしょうか。その子供たちにそれでも残っている純情な人間味を去勢してそれを私たちが教育だと言えましょうか?勉強が上手な子供,もっとしたい子供にその道を開き、その道がまったく合わない子供に他の良い能力を探して行くようにしてあげることが多様性と優秀性だと信じています。
私たちの次の時代を生きていくどの子供にも必要なことは、自律性と創意性だと信じています。その仕事をするのは教壇に立つ先生たちの役割です。校長先生の役目といえばそのような先生たちの自律性と専門性を保障して守ることではないでしょうか?
それが真に学校教育の自律性を確保して校長先生が夢見た理想を実現する学校ではなかったでしょうか?
私は最近罷免と解任というあくどい‘宣告’を受けた七人の先生以外にもその持分を忠実に遂行する先生たちが大韓民国には非常にたくさんおられてその方たちが各々学校の宝だろうと思います。そうした方々の中で、そんなに特別でない七人の名前が特別に議論される現実が不憫です。その方たちが生徒と父兄側に立ったことだけで刑罰を受ける現実が嘆かわしいです。その方たちを子供たちから切り離して「国が君たちと先生を切り離せといった」と話す校長先生の姿が悲しいです。子供たちの側に立ってくれない教師が憎かったように、教師たちの側に立たない校長先生の姿が憎いです。
私たちが持てる力をすべて出し合って子供たちから切り離す教師はセクハラを日常行ったり賄賂を要求する、自分の実利のために教育を売り父兄をゆするそのような破廉恥な教師たちではなかったでしょうか?
そのような子供たちの傷を撫でさすったことが、教師としての人生をあっという間に壊す蒙昧な現実に心が痛みます。七人の先生が木枯らしの吹く校門の外で流す涙に涙が出ます。あるいはその方たちの涙よりも、そういう教師の良心を守らない大韓民国校長先生らの身の振り方に涙が出ます。それよりさらに痛い涙は今後も相変らず子供たちが画一的一斉試験に苦しめられて傷を受けて痛みを感じて流す涙で、それを拭くためにまた再びもがかなければならない数多くの良心的教師たちの涙です。そういう教師を守ることができなくて私たちが守らなければならないことが他に何があるのかまったく分かりません。
また校長先生たちが人生を捧げて作りたかった学校の姿を尋ねます。
イ・ハングン 群山,会賢中校長
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/331212.html 訳J.S