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[ハンギョレプリズム] ‘ファシズム フレンドリー’に行くのか

原文入力:2009-01-01午後08:23:33
チョン・テウ記者

←チョン・テウ選任編集記者

“MBCが公正でなかったとしたら、それでは新聞はどれくらい公正だったか?” “今は再び言うことも言えない世の中に戻るようだ!” “それでもこの戦いは政権が勝つようだ。権力が力を振り回す今、憎まれれば生存の脅威を感じるから口を閉じて生きるのさ!” 夜勤を終えて立ち寄ったソウル,麻浦,コンドク市場のある食堂で30代と見える二人の対話内容を黙って聞いた。国会‘立法戦争’と言論ストライキについて人々がどんな考えをしているか気になったが、最近の状況を見抜く洞察に半ばの慰安を、そして経済危機に抵当にとられた怒りに半分の残念さを感じた。

親企業(ビジネス フレンドリー)を前面に出してスタートしたイ・ミョンバク政権は、今やファシズム フレンドリーに疾走すると見られる。政権スタート以後、民主主義は信じられない程に速い速度で崩れている。大運河を批判した研究員は懲戒を受けなければならなかったし、‘PD手帳’の狂牛病報道を捜査した部長検事は指揮部の思い通りに速かに起訴しなかったという理由で辞職し、子供たちに一斉試験を受けない自由を与えた7人の先生は解任されたり罷免された。政府政策と異なった意見を言ったり政府方針を批判しようとすれば`職’を賭けなければならない世の中になった。

政府とハンナラ党の二律背反は‘立法戦争’で赤裸々にあらわれた。 法治を強調しながら、法制定まで力で押し通す政権、彼らが繰り返して言うスローガンは「民主主義は多数決」というものだ。しかし国会の多数議席が多数決の十分な根拠になりうるのか? 国会外の国民は‘金融-産業分離の緩和’や<文化放送>(MBC)を財閥や朝鮮・中央・東亜に戦利品として与えることができる放送法改正案に対して反対意見がはるかに多いのに、国会では多数党であるからと多数党の思いのままにすると言うのか?

イ・ミョンバク大統領が候補者競選で勝てた決定的要因は党外世論調査だったことは誰でも知っている。ところが政権を握ると民意と世論に対する態度が変わった。今、彼らは国民が問題法案らを十分に検討する機会を奪い取ったままごり押ししている。

「民主主義とファシズムの間の差が持つ真の意味を定義する一つの方法がある。民主主義は個人の十分な発展のための経済的・政治的・文化的条件らを作り出す制度だ。ファシズムはどんな名前にも関係なく個人を外来の目的に従属させ真の個体性の発展を弱化させる制度だ。」エーリヒ・プロムの言葉だ。‘経済再生’という旗の下、人権も民主主義も崩すイ・ミョンバク政府の姿はどちら側に似ているだろうか。

オバマ当選以後、私たちの社会の一方では‘韓国のオバマはどこにあるか?’という問いがしばらく広く言い交わされた。最近発行されたアール・ゴア前副大統領の<理性の奪還>や社会批評家ナオミ・ウルフの<アメリカの終焉>を見れば、ブッシュ執権の8年間に米国の民主主義がどれくらい毀損されたのか、公論の場がどれくらい深刻に萎縮したのかを知ることが出来る。良識ある米国人たちがブッシュ行政府の民主主義破壊行為を絶えず批判し警告してきたことも知ることになる。オバマの‘大胆な希望’が出てくるまでブレーキなき権力と米国社会に対する省察が厚く積もってきたのだ。

民主主義は私たちの人生に持続的に影響を与える規則と制度ということができる。これを復元し人権を守ること、権力のファシズム化を傍観したり容認する我ら自らを省察すること、こういう努力が集まる時、より良い人生に向かった私たちの‘大胆な希望’も高まるだろう。

チョン・テウ選任編集記者 windage3@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/330884.html

原文: 訳J.S