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[社説]盧前大統領の死を哀悼する

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/356553.html原文入力:2009-05-24午前12:21:44
盧武鉉前大統領の突然な逝去の報に接する心情は苦痛であり悲痛だ。山川も新しく装いを替える生命の季節5月、彼はそのように世の中と突然に別れを告げて去った。まったく信じられない残念な知らせに茫然自失するだけだ。‘アホの盧武鉉’は最後までアホの盧武鉉だった。
一生を劇的で波瀾万丈に生きてきた彼の人生は最後の瞬間までも衝撃的だった。誰も予想できない方式で自ら人生を終えてしまった。
検察捜査が始まった以後、彼が感じた悲哀と苦痛を察することは難しくない。前職大統領としての名誉と信頼が粉微塵に崩れ、受けた恥辱と侮辱感も耐え難かっただろう。「私のために色々な人が受けた苦痛がとても大きい」 「これから受けるだろう苦痛を推し量ることもできない」という遺書内容は彼が蒙った心的苦痛がどれほど大きかったかを示す。彼は死ぬことによってこれらすべてのものに答えたかったのかもしれない。それでもすでに故人となった彼に残念を胸にして尋ねざるをえない。‘どれほど苦痛でもあえて命を絶つという極端な方法しかなかっただろうか’と。また‘この波風を耐え抜き歴史にさらに貴重な足跡を残すという真の勇気をなぜ発揮できなかったか’ という話だ。だがそのような叱責はもう意味がない。彼は私たちのそばを去った。「生も死も全て自然の一切れ」という話も残った人々に慰めになりはしない。

彼は誰がなんと言おうが私たちの社会の固定観念とタブーに全身で相対し戦った政治家だった。彼の政治経歴は私たちの社会の既得権構造を変えようとする絶え間ない戦いの連続だった。時にはその過程で光栄を味わいもし、時には満身創痍となった。

彼の大統領在任期間、国政運営で未熟だった部分もあり試行錯誤も少なくなかった。遠慮のない言葉で絶えず非難に苦しめられもした。支持層の期待に外れる選択で多くの人を失望させたこともある。だが全体的に見れば、私たちの社会の水の流れを根本的に変えようとする彼の試みと努力はいくら高く評価しても過ぎることはない。彼のトレードマークになってしまった地域主義打破をはじめとして、新しい政治秩序摸索,地域均衡発展,南北和解と共存努力などは時代精神に符合した意味があり貴重な試みだった。また歴代のどの大統領も見せなかった率直淡泊で気さくな言動、国民との直接疎通を追求した脱権威主義的姿などは永遠に新鮮な響きで残ることだろう。

彼は私たちの社会の非主流だった。そして彼の悲劇の源泉はそこにあった。感服できない非主流権力の出現に対する既得権勢力の攻撃は執拗だった。その攻撃は大統領在任期間にも退任後にも変わることがなかった。保守勢力と保守言論は国民の手で選ばれた大統領の権威さえ認めず、けなし、攻撃した。彼を死に追い込んだパク・ヨンチャ氏金品授受疑惑事件でも保守言論は彼を無慈悲にメッタ切りし、満身瘡痍にした。彼のみじめな死はある面では私たちの社会主流の堅固な城壁を再確認させるものでもあった。

彼の死は悲痛で悲劇的だが、一方では私たちに厳重な課題を投じた。彼が自ら命を絶ちながらもこの世の中に叫びたかったメッセージは何だろうか。それは単純な道徳性喪失疑惑にともなう自己恥辱感の発露や、金銭問題での潔白主張だけではないだろう。むしろその解答は彼が明らかにした心境の一端に探すことができると見られる。彼は先月自身のホームページに「これ以上、盧武鉉は皆さんが追求する価値の象徴にはなれない」 「民主主義,進歩,正義,こういう話をする資格を失った」と書き残した。彼は自身の物理的肉体を崖から投じることによって自身の‘存在理由’であったこういう精神的価値が死ぬことを防ぎたかったのではないだろうか。もちろん死者には口がない。だが民主主義と進歩,正義などの旗が時代の狂風に巻きこまれて倒れていくことを防がなければならないことの正当性だけは明らかだ。アホの盧武鉉の死が決してアホなことばかりではないところが何なのか、じっくり考えてみる時だ。故人の冥福を祈る。

原文: 訳J.S