原文入力:2008-12-18午後08:01:14
パク・ギョンシン高麗大学法大教授
最近、全国水準学業成就評価(一斉試験)に生徒たちが受験しないことを許したという理由で担当教師たちが解任・罷免されて論議がおきている。だがこの論議の当事者たちは基本的に教育権の主体が生徒であることを忘却しているようだ。懲戒された教師たちは‘一斉試験拒否教師’ではない。一斉試験を拒否したのは生徒であり、教師たちはこの生徒たちが無理に試験を受けるように強制できなかっただけだ。私たちは生徒たちが一斉試験を拒否する権利があるのかという点を先に見なければならない。そしてそうする権利があるならば、それを侵害しなかった教師には賞を与えるべきでこそあれ懲戒をすることはできない。
生徒の教育権が憲法的に独特な点は、教育者の方針により教育受容者(生徒)の権利が一定制約されることを前提としているということだ。最初は勉強したくなくても一定の‘強要’を通じて少しずつ面白味が分かるようにし、後には大きな遣り甲斐を感じるようにするのは正しい教育方法だ。だが強要の道具は教育的でなければならない。 すなわち勉強がよくできなかったり、熱心にしない学生は評点を低くつけたり次段階の教育過程に進級させなければ済むことであり、懲戒または過怠金などの強制手段を動員することはできない。他の学生に被害を及ぼしたり他の学生の教育を妨害することとは別の問題だ。
試験も同じだ。試験は普通学生が一段階の教科課程を忠実に履修して、次の段階の教科課程で履行する準備ができたのか、或いはその学生が他の学生たちと比較して学力水準がどの程度なのかを確認する手続きだ。学生本人が進級や学力評価準備ができていないと判断し両親の同意を得て、その試験を故意に受けないからといって、教育当局がその両親や学生を懲戒することはできない。単にその試験を零点処理すれば済むことだ。試験を受けて間違った個数に従って学生たちを殴った過去の教育は明確に誤っていたことを私たちは身震いと共に記憶している。
それであれば、この事件で生徒が両親の同意を得て‘一斉試験’を受けなかったということは生徒の憲法的な権利であり、教師たちは生徒の憲法的権利を尊重する義務があったし、そういう義務を履行した教師たちを懲戒するのは不当なことだった。特に今回の‘一斉試験’は他の試験と異なり、純粋に教育当局が各生徒および学校の達成度を全国的に判断して教育システムの効率性を自体評価するために進行したものだ。純粋に教育当局の情報収集活動であり、生徒の教育権保障とは何の関連もないので、そのような試験は生徒たちにより一層拒否する権利がある。米国のいくつかの州では州単位の卒業試験を行うが、どんな生徒もこの試験を受ける義務はないし、どんな教師も生徒たちがもれなくこの試験を受けるようにしなかったからといって懲戒されることはない。
生徒たちがこのような自身の権利を分からない状態で教育当局と学校が偽計と強圧で試験受験を強要しており、一部教師たちがその生徒や両親たちに生徒の権利を告知してくれたということならば、その教師たちは公益的な内部告発者と見ることもできる。
生徒は自分の全国席次を知らずにいる権利がある。受けたくない試験を受けることによって、他の生徒たちが自分たちの全国席次を分かるようにしてあげねばならない義務もない。今回の一斉試験は教育システムの点検および学校間成績比較など純粋に教育当局の行政的必要から遂行されたのだ。生徒はこれに動員されない権利がある。懲戒を受けた教師たちは生徒たちの権利を保護しようとしたのであるがゆえにこれら教師たちに対する懲戒は違憲だ。
パク・ギョンシン高麗大法大教授