原文入力:2012/06/18 19:19(1679字)
←金東椿(キム・ドンチュン)聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授
普通の人である私たちは "所有は犯罪に等しいと考えられる" というガンジーの言葉を実践する勇気が無くて、 "所有することは縛られることであるから、自由になろうと思うなら捨てるべきだ" という仏門僧侶の無所有の哲学を聞いても、この所有万能の時代には本当に長閑過ぎる話だと考える。 私たちは多くを所有できないために悲しんだり挫折して、もっと所有しようとじたばたしながら人生を終える。
それでも私たちは個々人の所有欲を恨んで嘆いてばかりいることはできない。 所有できない人も息をつく隙間がある世の中を作ることが優先だ。
ところで米国で作られ韓国と世界を支配した所有権絶対主義の哲学とイデオロギー、すなわち "共有は構成員を怠けさせ、所有権保障と競争は効率と生産性を持たらす" という信条が今や大きな挑戦を受けている。 回復する兆しがないように見える米国の長期失業、ギリシャとスペインなどユーロゾーンの経済危機は全て資本に無限大の自由と権力を付与すれば、彼らの貪欲は‘意図せずに’社会全体の富に連結されるという信条が作り出した結果ではないか? 民営化、柔軟化、金持ち減税などの経済政策は極度の貧富格差を持たらし、今や社会構成員の80%は金をたくさん稼ぎたくとも働き口がなく、消費したくても手中に金がなく、企業は物を売りたくても買い手がいない。
すべての企業を私企業にして、その私企業の総帥が全権を振り回せるならば、主人意識を持つ総帥がすべての決定を迅速に行い、業務の効率性を高められるはずだ。 しかし世の中で所有してはならないものまでそっくり所有させて、また、支配株主や理事長の権限を過度に認めるならば、一次的には社会が壊れ、その後には経済も壊れるだろう。 学校が理事長の所有物になれば学校であることを終えることになり、言論が‘社主’の所有物になってしまえば言論であることを終える。 大企業集団が一家の所有物になれば、すべての系列中小企業とすべての従業員は総帥に隷属した存在となる。 創業者や所有者の当初の寄与がいくら大きいとしても、組織が巨大化され、組織が社会を離れて存続できないならば、その組織に関連した従業員、小額投資家、消費者の持分もあるということだ。
今日、大多数の韓国人は所有者に絶対権限を与え、非所有者を無権利状態にする法と制度から苦痛を受けている。 三星(サムスン)電子白血病死亡女性たちの悲しい話、双龍(サンヨン)車労働者の自殺、純福音教会の腐敗と世襲、多くの私学の不正などを見れば、なぜ韓国人が政治的には市民だが、実際には絶対権力の奴隷のように生きているのかを理解することができる。"私学は主人に返さなければならない" という現教育部の不正私学擁護政策や、"会社に‘損害’を及ぼした労働者は、それだけの賠償金を払わなければならない" という1990年代以後の韓国裁判所判決は、学生と父母、労働者、消費者である大多数の韓国人の生存と魂を破壊する措置だ。賃借店舗で数十年営業してきた零細商人や、青春を会社に捧げた従業員すらも、再開発や構造調整に介入する最小限の権利を持っているはずなのに、李明博政府は生きるためにもがいている彼らをテロ犯にまで追い込み鎮圧対象にした。 そして所有者の権力乱用による社会破壊、経済破壊行為は容認で一貫している。
所有者が絶対自由を享受すれば、非所有者は‘余剰’となる。 野党圏大統領選候補は福祉のスローガンを掲げる以前に、まず李明博政府の哲学であり韓国社会の類似宗教となってしまった所有権万能論に関連した法と制度から先に問題にしなければならない。
キム・ドンチュン聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/538306.html 訳J.S