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[世相を読む] 蝶の夢/イ・ナヨン

原文入力:2012/05/22 19:14(1737字)

5月5日、日差しが眩しかった子供の日、ソウル麻浦区城山洞のソンミ山の裾に、数千匹の蝶が飛んだ。「戦争と女性人権博物館」が開館したのだ。

←イ・ナヨン中央大学社会学科教授

私たちが日本の支配から脱したのは1945年だが、日本軍「慰安婦」問題が公論化したのは、それから約40年も経った1980年代後半だった。以後約20年間、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)を含めた多くの人々の努力にもかかわらず、問題は解決されていない。日本軍「慰安婦」ハルモニたちが毎週水曜日、日本大使館前で行っているデモも、去年12月に1000回を記録した。

挺対協は日本軍慰安婦の名誉と人権のために、「戦争と女性人権博物館」の設立を推進して、ソウル西大門独立公園内に敷地を確定したが、シャベルで一回も掘ることができなかった。ある団体が殉国した烈士を称える独立公園の中に、日本軍慰安婦ハルモニたちの受難を示す博物館が設立されるのは「柄」に合わないだけでなく、「殉国烈士に対する名誉毀損」とまで主張すると、敷地提供を承諾した当時のソウル市が、設立に難色を示したのだ。

皮肉なことに、同じ団体が、独島は我々の地、民族の領土と主張しながらも、日本植民地主義の被害者である慰安婦ハルモニたちを恥かしい歴史を想起させる「民族外」の存在だと思うという点だ。これは、女性を民族の過去と未来を担保とする象徴的存在としてその名を呼ぶが、民族的主体としての実質的な地位を拒否する家父長的民族主義論壇の矛盾をよく示してくれる。

それにもかかわらず、女性たちは沈黙を強要された公的歴史に割れ目を作り、新しい歴史を創造するための努力を続けてきた。単純に歴史の被害者として追慕しようとするのではなく、彼女たちの人生と精神を歴史の中に位置づけるようにして、運動と教育で昇華しようとした博物館は、政府の予算支援や企業の巨大後援金なしに、ひたすら豚貯金箱に込められた優しい心が集まって現実化した。被害者として、生存者として、今一度、人権活動家としてしゃきっと立った人々が、経験した歴史を喚起して、二度とこの地に同様の被害が発生しないよう教育し、今も世界の各地で続いている類似の性暴行問題を解決するために連帯して行動する博物館が、市民たちの力で設立されたのだ。

博物館に入ると、目の前の冷たいセメント壁の上に、白く壊れるように落ちる数千匹の蝶のイメージと向い合うことになる。蝶は、植民地主義、家父長制の暴力でバラバラにこわれた夢であると同時に、差別と抑圧、暴力に苦しむ女性たちが解放され、自由に悠々と飛ぶことを念願する希望の象徴だ。だから蝶は日本軍慰安婦問題というポスト植民地韓国の特殊性を超えて、全地球的人権と正義、平和を祈念する象徴物だ。

そこでつくられたのが「蝶基金」だ。金福童(キム・ボクドン)ハルモニと吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニが3月8日、日本政府から受けることになる賠賞金の全額を、コンゴの強姦被害者の女性たちを助けるために寄付することを明らかにして、この意思に従おうとする人々が資金を出して作った基金だ。残忍な内戦による強姦と暴力に苦しむコンゴの女性たちが、血なまぐさい死の野原で個人的苦痛に堪えて起き、生存のために振り撤く種子、その希望の種子に水を与え、芽を吹き出させて作る共感の対話、愛と希望の連帯が、すなわち蝶基金だ。すでに蝶は視界の境界を越えて、平和の羽ばたきで帝国主義・植民地主義・民族主義・家父長制・グローバル資本主義の中に、ジェンダー・人種・民族・階級という多様な抑圧の軸がかみ合った女性たちの経験に出会う。

今日、この記事を読む頃なら、ハルモニたちは間違いなく、日本大使館前にいらっしゃるでしょう。時間を割いて水曜デモに参加して、博物館を訪れるというのはどうでしょうか? たまに幽霊のように出没する、歴史の中にこっそり隠された不都合な真実が、希望の蝶となって出てきて、胸の周りがいっぱいになるでしょう。

イ・ナヨン 中央大学社会学科教授
原文:https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/534069.html 訳 M.S