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[朴露子ハンギョレブログより] 「議会という馬屋」

http://media.daum.net/politics/others/newsview

原文入力:2012/05/11 01:27(2933字)

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

 最近統合進歩党当の見るに堪えない醜態が「進歩系」の境界線を越え、ほとんど「一般」の関心をひく主要ニュースに浮上しました。もちろん極右主義者たちにとってこの状況はほとんど天からの贈りものです。腐敗指数で言えば、統合進歩党は「チャテギ党(訳注:セヌリ党のこと。不正資金をトラックで商品を卸すように授受することから)」よりは「小僧」にすぎないはずであり、世に知られた方々が一緒に団体を作り不正なお金を授受するのは日本にしろ南韓にしろ ほとんど「日常」に属します。「チャテギ党」に投票する人々も、そこの選良候補生たちが清廉だから彼らに票を投じたわけではないでしょう。「地域発展」すなわち南韓政界の特異な方言(?)を標準語に直せば予算獲得と(その多くは百害あって一利なしの)開発プロジェクト、そして不動産値上がりを見込んで投票するわけであり、選良がよさそうだからと投票するのではありません。ところが、地域の「実力者」と中央の「実力者」がそのように振舞っても彼らに従うことが当たり前のようになっているそれららの民は「まあ、そんなもんだよ」と言って見過ごすことがほとんどですが、「資質」と「斬新さ」で勝負しようとする「進歩」が「旧悪」と似たり寄ったりのものだとすれば、驚いて思わず嘆いてしまいたくなるのが自然です。そのため、「チャテギ党」寄りのメディアらがその心理を見抜き「統合進歩党バッシング」に出たのですが、統合進歩党は既成政党より「酷い」わけでは決してありません。ただし、既成政党らと似ていく傾向、そして似ていくスピードはあまりにも心配で仕方がありません。

 一部では統合進歩党の「党権派」の「アイデンティティ」を問題視する見方もあります。「主体思想派」「従北分子」どもがかくも非民主的だと責めているのです。もちろん韓国型の左派民族主義者たちは「民主」と「人権」に関する認識はあまり深いとはいえません。しかも、ほとんど区別の付かない「民族」と「国家」に対する非現実的なファンタジーを抱いているからといって、その認識が改善されるのでもなく、かえって正反対なのです。しかし、私たちは今一度自問自答する必要があります。「チャテギ党」は反北的で国際資本の論理に完全に包攝され、「民族」を廃棄処分しようとするニューライトの影響もかなり受けているからと言って、果して権威主義/腐敗の清算に芳しい成績を上げているでしょうか。また、「党権派」が本当に「主体思想派」、すなわち北朝鮮の主体思想をそのまま信奉する熱誠的分子であるならば、行事の度に愛国歌を歌おうと主張する忠良なる市民である柳時敏(ユ・シミン)さん(? newsid=20120510181108342&cateid=1020&t__nil_news=downtxt&nil_id=9)や、変節者呼ばわりされながら半数以上の支持者たちを失ってでも何とか金バッジを付けたがる右派社民主義の政客たちは、彼らと果して合流しようとするでしょうか。愛国歌の斉唱が上手なだけあって、愛国的な国民である柳時敏さんは政治的な嗅覚もすぐれています。「トラブル」を起こしそうな周辺的なセクトとは絶対に手を結ぶ人ではないのです。彼が「党権派」と手を取り合ったということは後者を最早「過激運動分子」とは見做さなかったのだと考えられます。そしておそらく彼の判断が正しかったということこそがまさしく問題の核心なのです。「党権派」は左派民族主義から出発したものの、今やその経歴(?)を利用して、保守化しつつある南韓社会の政治階級間にそれでも残っている隙間(?)を狙っているのです。そしてその「隙間確保」過程においては北朝鮮やアメリカ帝国との関係も、単純な民主主義の規則なども最早重要とは受け止められていないようです。権力獲得(正確には分け食い)は手段ではなく目的になったことになります。

 民族主義そのものは階級的な見方が欠けるいるだけに、解放運動の(動力である一方で)深刻な限界でしかないものの、朝鮮半島の状況においては少なくともある時期までは様々な民族主義的な小児病は避けられませんでした。南韓は明らかに「アメリカ帝国の準植民地」に見えたからです。今でも北朝鮮に対するアメリカと日本の徹底的で極めて不当な他者化、封鎖、攻撃の脅しなどは、ある種の民族(主義)的情緒に触れることになります。もちろん民族主義ではなく(アメリカと日本を含めた)多くの国々の運動家たちと手を取り合い国際主義的に解決しなければならない問題ですが、朝鮮半島の脱植民地的な状況などが作用し簡単に民族主義に後退してしまう嫌いがあります。ところが、その(解放的な)民族主義の肯定性を生かそうとすれば、今果して何をしなければならないでしょうか。懸命に江汀(カンジョン)村を守り抜き北朝鮮/中国に対するアメリカ帝国の攻撃基地建設を阻止しなければならないし、アメリカ帝国と韓国軍の様々な共同訓練に反対しなければならないし、北朝鮮が宇宙開発を目的にロケットを打ち上げることが国際法上合法的だと宣伝扇動して回らなければなりません。それでは、今果して統進党の人士たちは以上のようなことをまともにやっているでしょうか。あるいはどうせ戦時下にはアメリカの道具になる韓国軍隊の非自主的な本質について一般に警戒心を喚起し、「軍隊に入ってアメリカ帝国の弾除けになってはならない、同族たちに銃口を向けてはならない」といったことを大衆的に訴えているでしょうか。民族主義の肯定性といえば、反帝意識のようなものですが、統進党の人士たちに積極的な反帝行動はまったく見られません。だからこそ、今の力関係によって問題が起こっても、アメリカの属国である南韓の愛国者・柳時敏さんが彼らと手を取り合うことができたのです。

 マルクスの名言どおり、「ブルジョア議会という馬屋」も積極的に利用しなければなりません。私たちの演壇としてもです。しかし、それはあくまでも利用するということであるにもかかわらず、あの汚い馬屋を我家や我が聖殿のように受け止めてしまったら、まさにその馬屋に席を得ようとして死に物狂いで格闘する「輩」たちのレベルまで落ちるのではないでしょうか。社会主義者がいなければならない場所は工場、労働組合、街頭と広場、(いい意味での)啓蒙を展開しうるメディアとインターネット空間などであり、その人が議会に入るとしたら、結局は議会を転覆させ内破させるためではないでしょうか。問題は、統進党の指導層に社会主義者がいないということです。ということで、自分のアイデンティティを「社会主義者」と定義する方々よ、この点を念頭に置いて、今後 統進党との「関係」を整理することをお勧めします。もう少し書きたいのですが、体調が芳しくないので、次の機会に回したいと思います。

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/46512 訳J.S