原文入力:2012/05/04 00:07(4222字)
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
3年前に死んだ私の父の、ソ連時代の「趣味生活」の一つは英国放送協会(BBC)などの「敵性資本主義列強」の放送の聴取でした。彼はソ連の新聞などもまめに読みましたが、「両方の主張が分からなければ、両方が隠そうとするある真理が分からない」という、やや懐疑論的な持論どおり、「敵」の音声にもしばしば耳を傾けたりしました。私も調子に乗ってイギリスの放送やアメリカの放送を立ち聞きしたりしましたが、そこからよく流れるのは「社会主義国家の人権弾圧」をめぐる話でした。アンドレイ・サハロフ博士などの「人権闘士」たちの名前や彼らの要求事項などもしばしば聞こえました。「自由意思による出国権利の保障!」、「検閲制廃止と言論の自律化!」「起業しようとする人々に自由を!」自由、自律、自由……。このまま行ったらアメリカ帝国と対峙しなければならない私たちの社会はばらばらになってしまうのではないかと焦ったりもしたものの、幼い私はあの「自由」という魅力的な言葉にとても惹かれたりしたこともありました。「私たちが人民のための社会主義国家ならば何故に出国しようとする人民たちにこんなに難しい手続きを課さなければならないのか?」「本当に西方の新聞らはこちらより遥かに自由なのではないか?」「彼らの言うとおり、個人が度胸と意欲を持って企業を運営するようになれば、サービスの質もよくなるのではないか?」こんな風に考えたりしたものです。
親戚の中には幹部としての経歴のある年寄りたちもいて、彼らにたまに私の疑念を打ち明けたりしましたが、彼らの反応はいまいちでした。「お前はまだ世間というものが分かっていない。知識人たちが私たちの施した無償教育のお陰で自由に出ていけるようになれば、かなりの人々は労働者たちを裏切って西側にそのまま行ってしまうよ。どうしてここに残るわけがあるのか。労働者には行くところもあまりないというのに、知識人は出世の可能性の勘定から始めるからね。私たちが私たちより何倍も強い敵と対峙している状況では、脱走兵たちを簡単には受け入れられないでしょう。少数の個人たちの意思のみを強調しないで全体的に考えてみなさい」。一面においては彼らの論理が理解できなくもありませんでしたが、もう一面においては彼らは果たして「自由の味」を知っているのかという疑念がぬぐえませんでした。とにかく、このような流れの中で遂に1991年旧ソ連は崩壊してしまいました。これで出国の制限と検閲制、そして中央計画的な経済の崩壊は新しい「人権の天地」の誕生を告げることができたのでしょうか。どうかそうだと速断しないでください!
亡国と急速な資本化が促した経済の瓦解の中で「出国」は最早「人権/自由」ではなく、数百万人の人民たちにとって「生計」の問題になってしまいました。もちろん西側でそれなりに「中産層」としての位置を得る可能性でも見えた高学歴者たちが先頭に立ちました。特に、学者、中でも20~40代の自然科学者と理工系の専門家たちはほとんど消えてしまいました。1990年代末はロシアの高等学位保持者である学界の構成員の約50万人の内 約10万人位が既に(主に西側)海外で就職したり、少なくとも短期契約で海外に滞在していました。一部の学問分野では「機動性」のある「すべての人」が一気にいなくなってしまいました。数学のような部門では学者全体の約40%、すなわち50代以下の多くの学位保持者たちが潮が引くように蒸発してしまったのです。もちろん荒廃化した国から逃れたい彼らを責めるわけにはいかず、彼らの出国が「人権」には違いないものの、ごく自然に次のような質問が思い浮かびます。中央計画的な経済の瓦解と多数の高学歴人材の流出により、教育の質の低下に晒されざるをえない学生たちの学習権が侵害されはしなかったでしょうか。長い年月を掛け先端科学の発達可能性を与えてくれたかと思ったら、今や頭脳流出で自主的な学術発展が不可能になった荒廃した地で余生を送らなければならない多くの労働者たちが被害者になったのではないでしょうか。全体としての社会が甚大な被害を受けたのではないでしょうか。「人権」としての個人の出国の保障よりは、究極において周辺部的な状況で中央計画的な経済のみが保障しうる公共教育への充分な投資の方が遥かに重要だったのではないでしょうか。しかし、最早滅んでしまった以上は、こんな質問をぶつけてみてもしようがありません。手遅れです。
「検閲制廃止」と「個人所有のメディアの許容」は自由主義的な「人権闘士」たちのもう一つの要求でした。国家的な検閲は1991年以降は概して消えたかに見えるものの、民営化されたメディアなどはソ連時代にはそれなりに維持された基層の民衆に対する関心をすぐに失くしてしまいました。私の父が通っていた研究所が閉鎖され(もちろん「サービスの質のよい」何かに生まれ変わることもなく、その建物は不動産市場に出され、ある銀行に売られてしまっただけです)、彼とその仲間たちはみんな失業者になり生計を絶たれた時、いかなる「民主化された」メディアもそれを少しでも取り上げることはありませんでした。1990年代に旧ソ連で閉鎖され廃墟になった工場や研究所などは約7万ヶ所ほどありましたが、そこで不本意ながら他律的にプータローになり「人間の屑」扱いされるようになったすべての民衆たちについて注目したメディアがあったでしょうか。資本を所有するようになったメディアたちも、一時「人権運動」で名を馳せた大物自由主義者たちも1993年10月に不法的な企業の民営化を中止せよと要求した国会に向けてエリツィン政権がタンクで発砲した際に拍手を送っただけです。「共産主義撲滅が優先」と言いながら。資本の検閲が国家の検閲より百倍恐ろしいかもしれないことを、私は実はちょうどその時に悟ったのです。
結局「人権」は西側列強たちによる「東欧圏への揺さぶり」の道具に利用され、その利用価値が尽きて廃棄処分されただけです。タンクで国会に発砲することも、数百万人の失業者を作り飢餓に陥れることも人権とは何の関係もありませんが、1991年からロシアで政権を握った白色強盗や泥棒たちのこのような犯罪行為に対しては西側のメディアや自由主義的な「人権活動家」たちは徹底的に沈黙を守りました。「アカ」ではない「味方」がある社会を荒廃化させる時には、それは「人権蹂躙」ではなく、単なる「必要な改革の副産物」であるようです。さらにより根本的なレベルでは「人権」を云々する自由主義者どもにとっては、周辺部の社会で自主的な発展を営む権利や、その社会の構成員として職を持つ権利、少なくとも飢えない権利、すなわち社会的・個人的生存権は「人権」の範囲に入らないのです。西側で有効な「人材」になりうる知識人の「出国権利」は「人権」であっても、その知識人に授業を受けるべき周辺部国家の学生の学習権は明らかに「人権」ではないという論理です。結局は西側列強たちの有産層に有利か、少なくとも彼らを脅かさない権利などは「人権」として神聖視されても、彼らに少しでも不利になりそうな周辺部社会の生存権は初めから論外なのです。周辺部で生まれ育った人々の立場では、核心部列強たちの解釈した「人権」はまさに「人をだめにする人権」にすぎないでしょう。
私が「人権」に対する個人的な幻滅についての話をしたのは何故でしょうか。最近北朝鮮の「人権」問題が南韓の保守たちのほとんど「伝家の宝刀」になってしまいました。ところが彼らの提示している「人権」の解釈を見れば、ただあきれるばかりです。北朝鮮の長期的な生存権、そして自主的な発展権の営為に寄与するロケット、宇宙工学プログラムを非難する際に、彼らは果して生存権が人権の基盤であることを知らないのでしょうか。それともわざわざ意図的に忘却しているのでしょうか。しきりに「市場改革」を「人権伸張」のほとんど同義語として使っているようですが、むしろ皆に少なくとも最小限の生存を保障する配給制こそが貧しい社会で人権の基礎にならなければならないのではないでしょうか。北朝鮮の人口の多くは、むしろ(1990年代の惨事以降は地方でほとんど名ばかりとなってしまった)配給制の内実化を望んでいるのではないでしょうか。脱北者たちの権利は当然守られなければなりませんが、果して大多数の北朝鮮の住民たちの問題は少数の「出国」、「越境」で解決できるのでしょうか。また「越境」を敢行した人々が中国や(特に)南韓で受けなければならない無視と搾取、「主流」からの孤立、そこから発生する様々な心身上の困難を考えたことはあるのでしょうか。果して悪質な資本主義の搾取体制の中で二等、三等市民か「不法的な」他者として生きることは人権の実現なのでしょうか。どうか誤解しないでください。当然ながら既に脱北された方々の権利も貴重ですが、それと同時に北朝鮮の住民たちの生存権、公共医療を利用する権利、公共教育を受ける権利などにもっと気を配らなければならないのではないか、というのが私の言いたい趣旨です。
真の人権の始発点は集団的及び個人的な生存権、自主的発展の権利、そして公共部門を平等に、無償で利用できる権利です。当然ながら表現の自由や(海外移動を含む)移動権も重要ですが、生存権・平等権・公共部門の利用権の保障がない状況では、これらの個人的な自由権は無意味になりがちです。貧困に耐えられずノルウェーに行って密かに売春するラトビアの女性は、「移動権」を謳歌しているというより、ただ荒廃化した社会で生きるすべを失くし、国内外の搾取者たちに利用されているケースにすぎません。殺人的な貧困からの自由、計画経済のみが皆に保障できる基本的な生活の安定が人権の始まりではないでしょうか。私は以上のような側面から(真の)人権と社会主義は不可分の関係にあるように思います。
原文: 訳J.S