原文入力:2012/04/26 20:49(3387字)
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
私は小さい頃から「新聞を読む少年」として育ち、毎日 新聞を読むことはおそらく私の最も捨て難い個人的な習慣の一つになりました。学校時代は私がクラスの政治教育を受け持ったことがあり、毎日党の政策や決定、アメリカ帝国の新しい悪事や資本主義体制における貧民たちの苦しみ(あの頃は「これはすべてプロパガンダだ」と思って自分でも信じせんでしたが、今から見れば当時私がソ連の新聞で読んだ西側の資本主義の矛盾に関する話の多くはそれほど事実に反したものではありませんでした)などについて自分で学んでから後でクラスメートたちに話さなければなりませんでしたが、韓国やノルウェーに住む時は「言語訓練」という利点も重なり、「新聞を読むこと」は一種の「儀礼」として私の日常に根を下ろしました。ところが、最近は率直に言って新聞を広げるのが怖くなりました。今購読している『階級闘争』紙のような新聞はもちろん、穏健なブルジョア自由主義日刊紙『アプテンボステン』さえも見るのが怖くなるほどです。紙上で目にする海外のニュースは想像を絶する人間の苦しみや戦雲漂う未来で満ち溢れているため、読んでいるとあまりにも心臓が痛くなってくるのです。たとえば、最近の代表的な海外ニュースは以下のようなものです。
ギリシャにおける青年失業率は今や51%に達しました。すなわち、若者の二人に一人は仕事も未来もすべて奪われている状態です。新自由主義的「救済策」でギリシャの経済規模は過去4年間で既に5分の1は減っており、今後も仕事にありつける希望はまったく見えてきません(読者の皆さんの便宜をはかるために英文リンクをご紹介します: )。
ギリシャの貧困率は今や40%に上ろうとしています。最早食糧を買うお金がなくなったかつての中産層たちは、今や慈善団体が配っている少しの食べ物を頼りに一日一日を延命しています(http://www.ft.com/cms/s/0/cdd8ff86-87bd-11e1-8a47-00144feab49a.html#axzz1t8uWmUpz)。
一時はヨーロッパ福祉主義の典型といわれた「あの」スウェーデンにおける青年失業率は今や25%にもなり、フランスと似たり寄ったりのレベルです(http://swedeneurostat.blogspot.com/2012/03/unemployment-rate-less-than-25-years.html)。韓国と同様な絶望に陥ったスウェーデンの青年たちは今や非正規労働、アルバイトを転々としており、その多くは未来への夢をほとんど毟り取られた状態です。一部のブルジョア政客たちは絶望に陥った青年たちを最後までうまく搾取しようとして特別な「青年型最低賃金」を正常な最低賃金の約75%に策定し、青年たちに対する超過搾取を企てようとしており、労組は決死の抵抗をしています(http://www.stockholmnews.com/more.aspx? NID=8380)。
一時は旧ソ連で最も豊かな共和国であったものの、今はヨーロッパ連合の周辺部に組み込まれたラトビアで、ある貧民の子供が栄養失調で死にかけ、奇跡的に救出されました(露文のものしかないので、ご了承ください: http://www.mklat.lv/obschestvo/1802-seme-ne-na-chto-kormit-rebenka-devochka-chut-ne-imerla-ot-goloda)。ラトビアの貧困率は約26%、勤労人口の4分の1はヨーロッパ連合の核心部国家で最も危険な仕事をしながらかろうじて食いつないでおり、貧困と絶対的な展望不在の中で次第に飢饉の亡霊は蘇っています。
以上のニュースは世界資本主義体制の核心部に属する「ヨーロッパ」からのものです。第3世界で起った様々な惨事などに関するニュースはもとよりよく目に付きますが、新自由主義的資本主義の最悪の危機が核心部にまで広がっている今となっては、もはや第3世界が特別ではありません。ヨーロッパ連合全体で約17%の人口は貧困層ですが、南欧の青年の場合は安定した職業を持った「未来の中産層」はほとんど見当たらないほどに貧困、準飢餓、絶望などが波のように広がっているのです。それでもわずかに残っている福祉制度のおかげで飢饉の蔓延をある程度食い止めているのであり、正規雇用が青年たちには不可能に近く、安定した職場を持たず住宅購入のために融資を受けることなどが不可能になると、「労働する中産層」を中心とする伝統的な福祉国家の社会構成は沒落しつつあるのです。中産層は次第に再び第二次世界大戦以前のレベルに、つまり高賃金の専門家群や中小ブルジョア群などに限定されていき、その中産層の下で社会の半分以上を占めているのは貧民や準貧民(「ワーキングプア」)です。非公式部門における雇用の規模がやや小さく、大地主と土地のない農民のような現実がないだけで、多くの面でヨーロッパの社会構造は次第に南米に似ていく傾向があります。ケインズ主義や福祉主義の絶体絶命の危機と漸次的な沒落の中で当然ながら資本主義の黄金期(1945~1973)のような「大型穏健右派、大型社民主義の政党」中心の政界の均衡も崩れていきます。ギリシャのように反帝・反独栽武装闘争の伝統が強い社会で急進(社民党より左側に置かれている)左派政党の全体の支持率は約42%ですが(http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,816598,00.html)、フランスのような場合は「ヨーロッパ連合脱退、ユーロ圏脱退、保護主義政策の再開、再工業化推進」という、失業者と非正規労働者たちに最も強く訴える掛け声を極右派が領有してしまいました。そのため、将来これから今のような危機状態が「実力対決」に流れていけばその対決で必ずしも左派が勝つという保障はありません。そして社会主義が選ばれない場合は、最悪の野蛮が選ばれるのは自明なことです。
韓国国内で未だに「社民主義」や「ヨーロッパモデル」を吹聴する方々がいらっしゃいますが、今私の目の前に広がるヨーロッパは爆発寸前の火山に近いものです。「良い資本主義」、「持続可能な発展モデル」などに対する夢は単なる迷夢にすぎなかったという事実を、私たちはたった今直視しなければなりません。利潤追求の論理に基づくシステムは、安定でも持続可能でもありえません。利潤率が下がる状況では、このシステムは結局破滅していきますが、社会全体がこの誤ったシステムとともに破滅していくことが問題なのです。資本主義システムという「タイタニック」を今私たちが「救済」しようとするのは、その沈没の時点を遅らせることではありえても、沈没そのものを防ぐことはできません。私たちがやるべきことは?先ずは沈む船に乗ったことに気付き、早く皆の乗れる救命ボートを用意しなければなりません。救命ボートとは何でしょうか。民主的な国家を通して社会が公共化された主要な工業施設や銀行などを管理し、社会賃金などで皆の生存、飢餓の防止を先ずは保障する「生命、生存優先のシステム」です。そのシステムにおいては、銀行は収益事業から政策的に運営される「便宜施設」に変わらなければならないし、株式と配当金の概念が次第に消え余剰を社会が民主的に管理しなければならないし、「発展」の代りに脱核、脱原発、環境破壊防止、そして皆の生存と医療などの生活保障が社会的な経済管理の主な原則にならなければなりません。私たちがこのような「非利潤的」システムに変えることができなければ、この「タイタニック」とともに野蛮の海の中に沈没することは明らかなのです。そして救命作戦を行う余裕も今はあまり残されていません。
原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/45827 訳J.S