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「自分の目の梁」をこそ直視せよ!

http://www.un.org/News/Press/docs/2006/sc8853.doc.htm

原文入力:2012/04/18 20:12 (3970字)

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

 旧ソ連崩壊後、不本意ながら今やほぼ15年近くいわゆる「自由世界」で暮しながら、私は多くのことにただ慣れてきてしまいました。『罪と罰』でドストエフスキーがこのようなことを言いましたね。「あらゆることに慣れていく人間という存在は本当にけしからん奴だ!だが、それを理由に人間に向かってけしからん奴だと咎める人こそが本当にけしからん奴かもしれない」。私がけしからん奴なのかどうかはよく分かりませんが、ただ「仕方がない」とあきらめ、実に多くのことに慣れてしまいました。自分自身を売る時に「自由世界の市民」らが浮かべるあの偽善的なほほ笑みから、最近3年間の学術論文の掲載本数が少ないからと旅行補助金も自動的に削る学校システムまでです。私もここで妻子を養うために自分自身を売っているという思いでただ現実的にすべてを受け入れてしまいました。その中で一つ慣れてきたのは、「自由言論」の無敵の暴力性です。もちろん強者が相手の場合には暴力を露骨には行使しません。最近中国の重慶市党書記の薄煕来と妻の谷開来の不法行為(英国人の暗殺などを含む)が問題になり、中国共産党は異例にも薄煕来のような高位幹部に対し公開的な措置を取らざるを得ない状況に追い込まれたにもかかわらず、このことで誰かが「中国共産党はマフィアになってしまった」と馬鹿にしましたか。西側でも韓国でも大手メディアなどはそのような反応は絶対に見せず、極めて愼重に対応しました。保守メディアであっても、事実を報道し、中国を「刺激する」論評は差し控えました。中国は中国だからです、やはり。

 ところが、中国とは異なり、力のない中国の同盟国である北朝鮮に対しては、「自由言論」の暴力は果てしがありません。最近の光明星3号の打ち上げをめぐって、韓国・日本のメディアたちがあたかも「東アジアの平和を脅かす重大な挑発」であるかのように大騒ぎをしました。脅威?日本では三菱重工がH-ⅡAという「純国産ロケット」を作り世界的な商業衛星打ち上げ業界に進出することを、メディアは普通「脅威」ではなく「成功」と報道してきたのではないでしょうか。三菱のロケットが特に韓国のKOMPSAT-2などの衛星を軌道に乗せれば、これは最早「脅威」ではなく「韓日科学技術協力」とでもなるのでしょうか。全世界的にみれば、年に約60~70発の人工衛星が打ち上げられ、H-ⅡAロケットだけでも今までにほぼ20発ほどが発射道具として利用されました。にもかかわらず、北朝鮮のロケットを除いて、世界のいかなるロケット - ロシアの「プロトン」でも、欧州連合の「アリアネ-5」でも、日本の「H-ⅡA」でも、韓国のナロ号でも - に対してこれまで「脅威」と決め付けられ世界的な大騒ぎを起こしたことなどあったでしょうか。前回の国連安保理の決定文を根拠に北朝鮮のロケット発射が「国際法違反」としていますが、その決定文自体を詳しく見る限り()、そこで禁止対象として定められているのは「弾道ミサイル打ち上げ」であり、宇宙開発プログラムではありません。列強たちの意向に左右される安保理の決定というのは「正義」とは程遠いものですが、それはまた別の問題です。列強たちが決めた今日の国際法(たとえば宇宙探査関連国際協約:http://www.unoosa.org/oosa/SpaceLaw/outerspt.html)から見ても、北朝鮮のロケット打ち上げを「挑発」と呼ぶに足る根拠は全く見当たりません。北朝鮮が「挑発」したというなら、宇宙ロケット発射プログラムを稼動している米日韓も全て同じく「挑発行為」をしていると見なければなりません。メディアたちが米日韓のトライアングルによる対中国・対北朝鮮追い込み行為、そして軍事戦略的な論理による悪魔化のプロパガンダの道具になってしまったら、この「自由世界」の「自由」というものが単なる冗談になるのではないでしょうか。

 しかし、上述したように「普通」のブルジョア的なメディアの情けない水準には、私も既に慣れました。まあ、そんなものだろうと無視すればいいのです。しかし、残念だったのは、狂ったような反北朝鮮キャンペーンに『ハンギョレ新聞』までが一部加担したという事実です。打ち上げ直後、『ハンギョレ新聞』の4月13日付の社説(https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/528218.html 日本語版 http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1616144.html)を読んで、極めてがっかりせずにはいられませんでした。『ハンギョレ』は社説を通して、たとえば次のように主張しています。

「主要国がいっせいに非難して国連安保理が直ちに招集された中で、韓半島情勢と朝米の関係梗塞など東アジアの安保情勢全般に否定的余波を避けることはできなくなった。関係国の穏健な話し合い派の境遇を苦しくさせ、強硬・タカ派の立場を強めてしまうことによって、難航の末に成された2・29合意が振り出しに戻り、六カ国協議の再開の展望もいっそう不透明になった。このような事態進展を明らかに予想した北が、国際的反対を押し切って発射を強行した甘い判断と無責任を恨まざるをえない。」

 もちろん「主要国」、すなわち帝国主義列強たちとその地域的なジュニア・パートナー(南韓)たちが今回の打ち上げを非難し、今もあらゆる制裁で苦しめられている北朝鮮にどうしても再びさらなる「処罰」を下すのは間違いないことでしょう。ところが、むしろ「無責任」なのは東アジアの最貧国である北朝鮮に対するあらゆる誹謗と経済戦争ともいえる「制裁」ではないでしょうか。そしてどうして北朝鮮は「国際的反対」、すなわち列強たちの命令に否応なく従わなければならないのでしょうか。旧ソ連や中国が宇宙ロケットプログラムを始めた時点でアメリカの言う通りにしていたらどうなったでしょうか。力の強い国々ができることは、力のない国がしてはならないという国際法でもあるのでしょうか。力は果して正義なのでしょうか。

『ハンギョレ』は続けて次のように主張します。

「北朝鮮の挑発的行為と国際社会の制裁強化という悪循環が繰り返されることを心配せざるをえない。(中略) 何よりもまず北朝鮮の無謀な冒険主義を捨てさせるべきだ。住民たちを飢えさせながら核兵器や人工衛星を開発するといって、体制の安定はなされない。真の体制安定は最低限、国民の衣食をまかない、生活を安定させるところから生まれる。」

 上述したように、北朝鮮の行為は国際法に違反するという証拠を揃える前に「挑発」という言葉を使ってはいけません。『ハンギョレ』さえもこのような言葉を使っているので、本当に悲しくなります。「冒険主義」?コンピューターやITなどの最尖端分野の発展をも牽引する宇宙工学の発達を試みることにより「高級技術」という隙間を狙おうとする北朝鮮の管理者たちの選択が「冒険主義」だというなら、宇宙、ミサイルプログラムとともに特にITに重点を置きソフトウェアの輸出でお金を稼いでいるインドの選択も「冒険主義」になります。実はインドと北朝鮮は類似した道を歩もうとしているように見えます。貧困を兔れようとする試みで今後ソフトウェアなどの輸出につながりうる一部の技術集約的な部門を養成してみようということです。「住民を飢えさせながらロケットを開発する」? そうです。米日韓のトライアングルから自衛のために取られるミサイル技術などの北朝鮮の措置は、自国住民たちに対する莫大な負担になることは厳然とした事実です。類型的に似ている「ナロ号」打ち上げなどが南韓の国家予算に負担になったのと同じように。そうであれば、むしろそのような負担を共に減らす共同同時軍縮への道こそ南北韓双方を生かす道ではないでしょうか。しかし、そのような軍縮をしようとすれば、南北双方の相互信頼が先に必要であり、信頼を築こうとすれば先ずは相手を誤解してはならないのではないでしょうか。残念なことですが、『ハンギョレ』の社説は北朝鮮に対する誤解と偏見のみを強めるのではないか不安です。

 どうか私を誤解しないでください。私は「主体思想派」でもなく、左派民族主義者でもなく、むしろその反対です。左派国際主義者なのです。脱民族的、脱国境的な革命を追求したいということです。私が思う「革命」と北朝鮮のいわゆる「主体思想」とは実は互いに重なるところなどほとんどありません。私は逆に北朝鮮の人民たちが一つの歴史的な主体になり、その人権及び労働権をめぐる闘争と(広義の)「交渉」で北朝鮮政権を相手に圧力を行使できるほどに力を付けてほしいと思っています。私が「肩を持つ」のは南北韓双方の人民です。しかし、米日韓などの帝国主義者たちとその協力者たちが北朝鮮を引き続き攻撃する以上、果して北朝鮮の人民たちの歴史的な主体化は可能でしょうか。答えは自明です。それ故に『ハンギョレ』の社説を書いた方々に人の目をのぞき見る前に、自分の目の梁を見よう、北朝鮮を責める前に今まで南韓の対北政策がいかに間違っていたか、「国際社会」(帝国主義列強たち)がいかに北朝鮮を不当に扱ってきたかを直視してくださるよう、よろしくお願いします。

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/44408 訳J.S