原文入力:2012/03/29 19:35(1694字)
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数人に責任をかぶせて
原発自体の危険を隠そうとする‘人災’論
日本、福島第1原発事故が起きて5日目の昨年3月15日、米国原子力規制委員会のグレゴリー・ヤスコ委員長が下院聴聞会で 「(水素爆発が起きた)4号機の使用済み核燃料保存水槽の水が完全になくなった」とし、大きな憂慮を表した。 水槽には大量の核燃料が入っていた。 そこから出る熱で水が煮え立ち水槽がすでに乾いたとすれば、核燃料が損傷し事態が最悪の局面に駆け上がる危険があった。 ところが2日後、空中から水をかけるために舞い上がったヘリコプターで調べると、4号機水槽には水がたくさん入っていた。どういうことであろうか?
<朝日新聞>が去る8日に報道したものを見れば、それは‘天運’だった。 2010年11月定期点検に入った4号機は運転開始33年ぶりに大きな工事をするために原子炉の圧力容器とその上の原子炉ウェルという所に水をいっぱいに満たした。 普段は水を入れない所だが、工事過程で作業員の被爆を減らすためであった。 大地震と津波で原子力発電所が電源を全て失い、冷却機能が麻痺して、核燃料保存水槽は核燃料から出る熱で水がなくなりつつあった。ところで偶然にも原子炉ウェルと核燃料水槽の間の壁に亀裂が生じ、原子炉ウェルに満たされた水が水槽に流れたということだ。 当初この水は3月7日に取り出す予定であったが、作業工具に若干問題があって遅れていたという。
天運はそれだけでなかった。 3月14日に炉心溶融を起こした2号機の圧力が設計値の2倍に達したが発電所長は打つ手がなかった。 彼は原子炉が破損する最悪の事態が起きるだろうと憂慮し、必須人材だけを残して職員全員を撤収させる準備をした。 実際、2号機はその後に格納容器のどこかが破損し、福島事故で洩れた放射能の90%を吹き出した。だが、格納容器が内部から大爆発する最も憂慮した事態は起きなかった。
福島原発事故がそれでも今の水準で終わったのには慈悲深い神の手が及んだと私は信じる。 同じ理由で私は、福島原発事故が‘人災’という指摘にも反対する。
もちろん人々の誤った行為がいくつも重なって福島原発事故の一原因として作用したことは否めない。 巨大な地震津波が押し寄せる可能性を無視して海岸の低いところに原子力発電所を作ったし、非常用発電機を地下室に設置するという誤りがあった。 このような問題点に対する多くの警告を政府と電力会社が無視したことも許し難い。 しかしそのような失敗を予想して対策を用意すれば、原発事故は再び起きないのだろうか?
原子力発電所は数多くの安全装置を備えている。 核燃料被覆管と圧力容器、格納容器などで構成されたいわゆる‘5重の壁’が放射能の流出を防いでいて、すべての電源が切れても作動する非常用冷却装置が何重に設置されている。 これらを考慮すれば大量の放射能が流出する事故が起きるというのは話にならない。 だが、スリーマイルで、チェルノブイリで、そして福島で大事故は実際に起きた。
神ではない人間が作り、人間が扱う機械は必ず事故を起こす。 事故規模を大きくしようが小さくしようが、そこに作用した‘偶然’的な要因に比べれば原発事故と連結された人間の行動はささいだ。 何人かの人に責任を負いかぶせ、原子力発電所自体が持っている致命的危険を隠そうとする‘人災’論が聞き苦しく感じられる理由だ。 原発事故が人災だという主張は原子力発電所を作るその行為自体に対して責任を問う時にのみ合理性を持つ。
先日、古里1号機が12分間にわたりすべての電源が切れる致命的な事故を起こした。 責任を負う人を探す前に、人間の限界を先に振り返る必要がある。
チョン・ナムグ東京特派員 jeje@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/525891.html 訳J.S