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[社説]李政府を切る、キム・ジェドンのトークショー

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/518596.html

原文入力:2012/.0/2.12 19:11(1215字)
  キム・ジェドンの‘トークショー’が観客10万人をクリアした。2009年12月にソウル、東崇洞(トンスンドン)大学路(テハンノ)の150席の小劇場イランシアターで始まって105回目でだ。最近は小劇場ではなく総合体育館のようなところで開かれ、チケットを確保するのも大変という。この時代を生きる人たちが痛みを共に癒し合う場になった。彼の誠実さと卓越した弁舌によるところが大きいが、時代の傷がそれだけ深く大きかったわけだ。

 2009年12月は彼が<韓国放送>の‘スターゴールデンベル’の進行役から降ろされた直後だった。2009年5月の盧武鉉前大統領の公開葬儀の司会をしたことと、李政権の非情さに対する大胆な直言と風刺が問題であった。以後彼は<文化放送>はもちろん、さらに有線放送の<エムネット>からも降ろされた。傷を抱えて生きていく人たちと共に立とうとする彼の態度が結局韓国人には初耳で、この話の場を、時代のアイコンにしたのだ。
 あえてジャンル分けするならば時事ギャグだあろう。たとえばこうだ. 「ここにいらっしゃる検察、警察の公安の方々はよく聞いて下さい。私の故郷は慶北(キョンブク)、永川(ヨンチョン)です。 浦項(ポハン)の隣です。私はそんな人間です」「市民としては不幸な時代だが、コメディアンとしては祝福される時代です」。しかし政権の失政と富裕層の貪欲ぶりを風刺するのは、常にというわけではなない。それは一部門にしか過ぎない。
 キム氏は自分を、左派でも右派でもない気分派と語った。話の内容も大概は政情と貪欲さに苦しめられながらも一生懸命に暮らしている人々のことだ。それも自分の話が先だ. したがって李政府に対する大衆の失望と痛みのあおりで得をするものではない。彼は自分の傷と痛みを振り払うのにたけているだけだ。共感と慰労がいっそう強く感じられるのはそのためかも知れない。彼は、自分を隣人の心の傷を癒す一種の巫女と話した。
 政治権力がトークショーに注目しなければならない訳もここにある。李政権はキム・ジェドンのマイクを奪ったように、庶民の発言の場を奪った。社会的な窓である放送局を政権の宣伝局に変え、個人の伝達手段であるソーシャルサービス網まで規制した。傷ついたゆえに、ものを言う多くの人々の口を防いで、政権の宣伝局だけにぎやかにしたのだ。今でも政権のこのような一方通行な体制が続いている。韓国放送がこのコンサートを政治行事と認定して公演の後援を撤回するほどだ。キム氏言葉通り "政治がコメディを止めなければ、コメディが政治を止める"ものだ。しかし李政権はその気がなく、不幸だ。
原文: 訳T.W