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[朴露子ハンギョレブログより] 転向を勧める社会?

http://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Galich_(writer

原文入力:2011/12/15 23:02(4835字)


朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学


  知合いの賢人がある時、「自慢より自虐の方がましだ。自虐には弊害もあるけど、少なくとも自虐する者には未来がある。しかし、自慢する者には現在があるだけで未来はない」と言いました。反発しがたい名言だと思いましたが、確かに、北朝鮮との関係において南韓の住民の絶対多数は「未来のない自慢」を選んでいるようです。公開的には「ドバカ」のレッテルを貼られるのをいやがる人々はたいてい北朝鮮への論評を控えたりするものの、個人的には多くが北朝鮮を「何も学ぶべきところのない国」「失敗作」と見下しているようです。約5年か前に私が当時関わっていた進歩的な雑誌の発行人に仁寺洞で会ったことがありますが、世間話の最中、旅行を好み見聞の広い相手は私に:

「北朝鮮という国の存在そのものが我が民族の一つの恥だ。私たちと同じ民族なのに、ここまで一心不乱に偶像を崇拝しその画一主義になんらの抵抗もできないのは本当に最悪の民族的な恥だ。いや、韓国学をやっている立場として、一体韓民族のどのような特性のせいで、このような化け物みたいな社会が韓半島にできたのか、ちょっと分析してほしい」と言いました。


  進歩を志向する方なので、当然北朝鮮の強制的「民主化」(?)や対立の悪化等々は絶対に望まない代わりに、太陽政策を積極的に支持していたとはいえ、北朝鮮に対する基本的な立場はこの程度のものでした。私は南韓でこのような方々に数多く会ってきましたが、このような大衆化した対北への自惚れについて私の考えを聖書を借りて言うならば、「他人の目の中にある塵を見る前に、自分の目の中の梁を見なさい」という表現が最も適切です。そうです。かなり多元的だった1940~50年代の北朝鮮のマルクス・レーニン主義的な社会がその後主体思想を唯一のイデオロギーとして大々的に画一化されたことは確かに歴史的な悲劇ではあります。ところが、画一化でいえば、南韓は北朝鮮に勝れども劣らないでしょう。ただし、私たちがこのことに慣れていてあまり気付いていないだけです。


  北朝鮮における(皮相的な)画一性は、北朝鮮より数千倍の経済力と数百倍の核弾頭を持っている米日韓という世界主要帝国主義/亜流帝国主義的な野獣たちのブロックとの闘争を背景にした政権の強制によって維持されている側面があります。自国の労働者と中国、ベトナム、フィリピンなどの多くの国々の民草たちの血と汗を吸い上げ今のような規模のある怪物になった南韓の場合は、1990年代初頭から北朝鮮に対する「優越感」に酔った統治輩は既に被治者たちにそのイデオロギーを必ずしも強制しなくてもいいほどの余裕を持っています。学生のような卑しい(?)身分で敢えて(?)資本主義を疑う「資本主義研究会」を作ったり、韓進重工業のようなこの社会の大親分たちに成功的に立ち向かえば、もちろん監獄行きはある程度保障されていますが、この体制は最早労働活動家や社会主義者、反軍事主義者・平和主義者などを「完全に撲滅する」わけではまったくありません。たとえば反軍事主義の闘士、すなわち兵役拒否者の場合は、前科者にして一生を二等市民という身分に縛りつけ差別こそすれ、1970年代のように強制入隊をさせ、そこで執銃を拒否すればぶっ殺したりはしません。遥かに大きいインドやオーストラリア並みの国民総生産を誇る世界14位の経済大国だけあって、少数のしがない(?)反体制闘士たちをぶっ殺さずに、「そのまま」一生苦しめるほどの恵み(?)を施しているわけですね。


  ところで、かくもよくなった世の中に果して5千万の人口の大韓民国で非宗教的な兵役拒否者たちは歴史上何人くらいでしょうか。多く見積もっても予備拒否者も含めて40~50人前後ではないかと思います。軍隊に引っ張られたら暴力や暴言が横行する絶対服従体制の中で人格が壊される可能性が高いという点も、「韓国軍隊」とは「国土を守る」役割を果たしているというよりは、有事に米日韓ブロックの支配者たちが北朝鮮と中国を相手に戦争を起こす際に大量に消耗しなければならない弾除けにすぎないという点も、熟知しているにもかかわらず、反軍事主義的な意志を実践に移すのはこの「自由大韓」(?)では極めて難しいのです。あるいは、労働運動や社会主義運動などを見てください。実際に現場で活躍する活動家の数は、1990年代初頭に比べ減りこそすれ増えはしませんでした。社会には弾圧が減ったというのに、むしろ「骨髓」まで体制に反対する者の数は次第に減っています。そして上層の活動家はといえば、20年ないし25年前に運動の現場で活躍した人々の多くは最早その場で見かけることはできなくなりました。その代わり、彼らは国会議事堂に保守政党の議員として入っていたり、道知事の事務室、青瓦台などに入っていたり、大学の教授として在職していたり、保守メディアで文豪としてもてはやされたりしています。彼らがいわゆる「転向」をしたわけです。「転向」という政治文化的なコードを抜きにして韓国社会を語ることはできません。転向、すなわち一定の取引を前提にした画一化された主流への自発性の強い「帰還」は、韓国という極めて保守的な社会の一つの「文化」といえば「文化」です。


  あの夥しい党争に明け暮れた朝鮮時代の士大夫たちは死薬を飲みこそすれ「転向」することはほとんどなかったのですが、日帝による植民地的近代化は「転向」という新しい概念を朝鮮の地に植え付けました。朝鮮の土着社会指導層の「協力」なしには効率的な統治ができなかった日帝の支配者たちは、ありとあらゆる「にんじん」を提示して保守的な両班貴族(閔丙奭、閔泳徽のような閔氏戚族出身の大金持ちたちを始め)から新興民族主義者や穏健社会主義者まで、必死で味方に付けようとしました。保守的な両班たちは言うまでもなく、民族主義者や穏健社会主義活動家までも主に有産階層出身か有識層、渡日・渡米留学生出身たちだったため、「金持ち」の利害関係を貫徹させていた日帝にしては彼らを包摂することくらいは朝飯前だったのです。気の毒にも日帝末期に至り1919年のあの有名な「民族指導者33人」の中には栄養失調で死んでも裏切らなかった韓龍雲(ハン・ヨンウン、1879~1944)を除けばすべて転向したか少なくとも民族陣営から離脱しました。印貞植(イン・ジョンシク、1907~?)、白南雲(ペク・ナムン、1894~1979)などのエリート穏健社会主義者たちも同じでした。結局、転向しなかった朴憲永(パク・ホニョン、1900~1956)や李鉉相(イ・ヒョンサン、1905~1953)、李觀述(イ・グァンスル、1902~1950)、金三龍(キム・サムニョン、1908~1950)、李舟河(イ・ジュハ、1905~1950)のような真の社会主義者たちを、もちろん後に南韓や北朝鮮の権力者たちはすべて殺してしまいました。自己背信と画一的な主流への合流に基づいた新しい社会構造に、節を曲げなかった共産主義者たちはどうしても相応しくなかったからです。


  転向拒否者たちをほとんど殺したり周辺化した社会は、次はその転向者たちを前面に配置しておきました。南労党の仲間たちを裏切りその名簿を刑吏たちに渡した高木正雄(朴正煕の日本名)から三党結党で野党の政治家という自分のアイデンティティを裏切った金泳三(キム・ヨンサム)や、反労働的な立法で労働弁護士という自分の経歴を裏切った盧武鉉(ノ・ムヒョン)、1965年韓日協定反対のデモをしてから転向したあきひろ(李明博のこと)まで、 南韓の最高権力者のほとんどは転向者出身です。李在伍(イ・ジェオ)、金文洙(キム・ムンス)、孫鶴圭(ソン・ハッキュ)から申志鎬(シン・ジホ)まで、1970~80年代の社会主義革命家や労働活動家たちの長々しい転向史を敢えて引っ張ってこなくても周知のとおりですが、最も驚くべき、かつ残念な転向は知識人や文人たちのそれです。1970年代の抵抗の象徴から全斗換(ジョン・ドゥファン)政権の御用知識人に転落した千寬宇(チォン・グァンウ)の例が一つの嚆矢でしたが、黄晳暎(ファン・ソギョン)や金芝河(キム・ジハ)の転向は彼らの文学にまで否定的な影響を大いに及ぼし、私のように韓国文学を外国の学生たちに教える人間にあまりにも大きな悲しみを与えてしまいました。黄晳暎や金芝河より程度は遥かに弱いものの、実際に2000年代の朴労解(パク・ノヘ)の変身も一種の「準転向」と捉える余地はあります。さらに残念なことは、元進歩新党員である陳重権(ジン・ジュンゴン)氏の漸次的な転向を我々はたった今、彼の様々な社会参加的な発言を通して如実に確認することができます。転向という過程を研究する方々には、ぜひツイッターやブログなどで成されるこの転向の過程を深層的に考察していただきたいと思います。


  一体なぜかくも多くの優秀な大韓民国のブレインたちは社会主義等々の「危険思想」を徹底に投げ捨て、我が偉大なる経済大国の順良な国民の楽しい隊伍に簡単に合流するのでしょうか。死刑を避けるために南労党の同僚たちの命を対価として払った高木のケースはむしろ人間的には理解することもできます。いいことでは決してありませんが、死を恐れるのは人の常だからです。しかし、今かつての「前進」グループなどの左派活動家たちを猛非難し、貴族化した芸術家鄭明勳(チョン・ミョンフン)を擁護する陳重権を、誰も殺そうなどとは思いません。1990年代に成された金芝河の転向と2000年代に漸次的に成された黄晳暎の転向もいかなる強制も介入しなかったのです。分かりやすく話せば、大韓民国で主流に属さないことはあまりにも苦しいことなのです。寒くて貧しいという側面もありますが、先ずは同じ学歴資本を所有する先輩や後輩たちの同情的な視線に耐えるのも大変です。しかし、過去の抵抗という経歴を成功的に売り付け、主流に合流しさえすれば世の中はがらっと変わります。文人のような場合は、完全に新しい地平が開かれるのです。国家の多くの機関に外国語翻訳の斡旋から密かなノーベル賞ロビー活動まですべて引き受けてもらい、外国ツアーにも送ってもらい、国内で最も優秀なメディアに高い値段で文を買ってもらい……。成功した資本主義国家の成功したエリートの隊列に入る立身出世の劇的な例といえるでしょう。その立身出世のために一つだけしなければならないことは、自分自身を捨てなければならないということです。魂を徹底的に殺し、画一化された大韓民国の「常識」/「通念」を受け入れなければなりません。民主化を誇る「自由大韓」で絶対多数の有名知識人たちはまさにそのようにして公的な人生を終えます。これこそ歴史上の恥ではないのでしょうか。


  ソ連時代の抵抗詩人アレクサンドル・ガリーチ(Alexander Galich: ))の有名な歌「悪魔との対話」( http://www.bards.ru/archives/part.php?id=4110 )で悪魔と契約を結び体制に魂を売ろうとする者はその契約書を見ながら「これは血で書かれたものなのか」と問います。悪魔の答えは「インクにすぎない」です。このポストモダーンな社会で血はほとんど見えません。インクしか見えないのです。


原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/39525 訳J.S