登録 : 2013.04.28 08:56 修正 : 2013.04.28 08:57

朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授

 今この文章を故郷のレニングラードで書いています。学会のためしばらく訪れていますが、学会の分科会議の合間に少し暇を見つけて書いているところです。書いている理由は、私にとって一つ驚くべき観察があったからです。概してノルウェーという情報空間において、「ロシア」はあまり良くない陰湿で危険で極めて後進的な時空間として再現されたりします。「ロシア」関連の報道は、プーチン権威主義政権の在野派弾圧、環境破壊、原子力関連の生態系問題などが主です。ほぼ「事実」の忠実な反映ではあるものの、「事実」の取捨も目立ちます。たとえば、民主労組への弾圧、労働活動家に対する不法検挙 及び処罰などに関する話はあまり取り上げられていません。ノルウェーの資本もロシアでは一応「雇い主」、投資家の立場にあるためではないでしょうか。とにかく取捨されていることは明らかで、ロシア民衆の真の問題はあまり取り上げられない代わり、「否定的な描写」中心のロシアに関する言説が構築されており、従って「ロシア」に対する視線は概して「蔑視と恐怖の組み合わせ」といえそうです。「汚く危ない恐竜」とでもいえましょうか。まあ、サイードの本がいくらヒットしようが、「オリエンタリズム」はなお幽霊のごとく世界を徘徊しています。ノルウェーの子供新聞を購読している息子さえもそのような話を鵜呑みにし、「ロシアに行ったら拉致されそうだから」と、ロシアへ行こうという話を聞いただけで極めて否定的な反応を示すほどなので、後は推して知るべしですね。

 ところが、当のレニングラードの人々に会ってみると、「劣等感を感じながら生きている存在」にはあまりみえません。もちろん、欧米圏に対するある種の劣等感は依然として残っています。大韓民国に対しては、少なくともレニングラードでは最早「劣等感」を覚える存在にすらなっていないようです(現代自動車などの現地工場で賃金は平均以下で、処遇も極めて非人間的なので、「怪談」などがよく流行るほどです)。そして欧米圏や似非欧米圏(日本など)以外の世界に対しては、むしろかなり強い優越感を抱いているという事実は、私を不快にさせ驚かせました。蔑視の対象として筆頭に上るのは、数百万人の在露移住労働者を排出した旧ソ連の中央アジア共和国などです。移住労働者たちと連帯しようとする左派は別ですが、「一般的な小市民」たちの中央アジア出身者たちに対する人種主義まじりの蔑視と優越感の誇示は冗談抜きでぞっとするほどです。コーカサスの人々に対する蔑視には相当の恐怖が混じっている一方で、「攻撃的でない」ベトナム人などは単なる「貧困、後進」の典型とされ簡単に(?) 無視します。社会主義時代の「兄弟国家」観はみごとに博物館の遺物になってしまったようで、あまりにも悲しい現実です。ベトナムはともかく、レニングラードの小市民にとってはロシアの地方民でさえ蔑視の対象にすぎません。ロシアではレニングラードがモスクワに次いで生活水準が高く、「ほかのロシア」は「貧しい外国」程度にしか感じないレベルです。

 実はこのような優越感はロシアの「新興資本主義」(そしてもちろん新興帝国主義)の心性的な根幹になります。ウズベキスタンやベトナムがオリエンタリズムの対象になっているということは、それだけ自国ロシアの資本化が「成功ケース」として認識されていることを意味します。もちろんこのような意識の持ち主は必ずしも「プーチン派」である必要もありません。実際には欧洲連合とのビザ免除交流協定を締結するため、すなわちロシア中産層の「容易な欧洲外出」のために中央アジア移住労働者たちのビザなしロシア入国に反対し撤廃せよと主張したのはプーチンでもなく、プーチンに反対するブルジョア・リベラルたちです。おそらく人種主義的な偏見の程度からすれば、リベラルたちが上を行くと思います。とにかく、政府であれブルジョア在野であれ、その反動性はどっこいどっこいで、とんでもない優越感に裏付けられたこのような反動性はロシアの大都会の中間階層社会に深く染み込んでいるように見えます。極めて残念なことです。このような意味では、かえって90年代の都市民たちの世界意識の方が遥かに革命志向的で進歩的だったように思います。ソ連の廃墟では資本家になれなかった多くの知識人たちはロシアが「周辺部」であることを明確に認識していたし、それだけに周辺部の他の種族、地域などに対する同病相憐む連帯意識のようなものが発達していました。1999年にナトー空襲にあったユーゴもそうでしたし、米帝に苦しめられてきた北朝鮮もそうでした。

1998年の鉄道遮断運動

1993年にモスクワで実際に「蜂起」レベルの反資本的な運動が起こり、1998年の鉱夫たちの「鉄道遮断運動」(рельсовая война http://polit.ru/article/2011/03/09/railwar/ )なども「蜂起」並みのものでした。ただし、1990年代末のロシアにおける革命的風土の高まりは、1999年以降のチェチェン独立運動抹殺政策と1999年以後の高度成長などにより結局は封じ込められてしまいました。

 ところが、油価反騰に支えられた1999~2011年の間の成長ドライブは、一面においては一部の中産層の意識を極めて保守化させ、上でお話ししたような優越感を胚胎させてしまいましたが、実は大きな限界を持っています。埋蔵資源の輸出に絶対的に頼ってきたドライブであり、自己完結的で技術集約的産業中心の構造をまったく作りえなかったドライブだったからです。今は資源価格が下がっている関係で、ロシアの成長率も同じく大韓民国並みに落ちてきています。これから待っているのは、新たな大量の賃金未払い事態、住宅関連の様々な料金の「馬鹿げた引き上げ」、そして老朽化したインフラによる人災などの連続でしょう。その災いのるつぼの中で中産階層さえもおそらくその無意味な優越感を次第に捨て去り、自分たちの本当の位置、すなわちこの世界の「踏みにじられた者」としての位置を再発見することができるのではないでしょうか。結局、試練期は社会に何かを教える、社会の唯一の「師匠」なのです。ただし、試練の社会科学的な「意味」を大衆に伝えられる階級的な啓蒙主体、すなわち前衛政党が用意されなければ、この試練は無駄なことになるでしょう。これこそが核心的条件なのです。

韓国語原文入力:2013/04/24 19:47
http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/59297 訳J.S(2746字)

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