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[朴露子ハンギョレブログより] 革命の時代、来る

登録:2011-10-19 00:05
http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/38084

原文入力:2011/10/13 20:25(3752字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学


ここ数年の世界情勢の展開を一言でまとめると「破産」という言葉が最も相応しいでしょう。実体経済の利潤率低下傾向に直面した金融資本が、ここ10~15年の間 様々な投機や危険性の高い貸し出しなどをしまくっているうちに2008年に相次いで破産し、天文学的な公的資金を注ぎ込んで連鎖倒産を辛うじて食い止めた主要国なども今やその債務負担が耐えられないほどに膨れ上がったため、破産の危機に追い込まれてしまいました。ギリシャはその公式的な破産は最早時間の問題になっているかもしれませんが、実は債務の国民総生産に対する割合が119%に達したイタリアもいくらでも破産シナリオなどを描くことができるのです。それはギリシャとイタリアだけなのでしょうか。ユーロ圏の場合でいえば、ドイツとフランス、オランダ、フィンランドなどのいくつかの国を除くほとんどは窮極的に破産に陥りうる連続的な財政危機の状態に置かれているのです。個別の国々の破産の問題だけでもありません。ユーロ圏、さらにはヨーロッパ連合の掲げてきた市場統合の理念そのものが最早破産したといえます。ギリシャの銀行などが もしドイツ程度の低金利政策に従わなかったなら、そしてギリシャ政府は独立の貨幤を発行し景気刺激策でもまともに打ち立てることができたら危機はあったとしても今のような破局はなかったはずです。ヨーロッパ中心部の製造業者と銀行家たちの便宜によって作られたユーロ圏は、一時期ギリシャのような準周辺部の国々に偽の「成長」というにんじんを与えたかと思ったら、今や彼らを奈落の底に陥れているわけです。金融資本、国家に続きユーロ圏という「資本のための領土構築」アイディアが破産したということでしょう。

窮極的には今破産しているのは市場資本主義そのものです。私たちが直面しなければならない真理とは、利潤を追求する市場経済が長期的には自己保存も持続もまともにできないという点、誰も幸せになれないという点です。景気の周期の推移によって利潤は常に下がるようになっているため、資本はしきりに投機とハイリスクな掠奪的金融に流れ債務爆弾を作り出し、そこに超過利潤を追求するために非正規労働などで労働を焦土化し、結局は自分たちの内需基盤を先に破壊し自らの拡大再生産の可能性を封鎖してしまうのです。こうした側面から見れば、資本は自己破壊的な属性を内在的に抱えているといえます。国家の統制がまったく利かない市場経済とは、運転手のいない自動車とまったく同じなのです。何人もの人を轢いてから木や街燈にぶつかって爆発してしまうだけです。しかし、国家が救援投手になったところで資本の危機が完全に解決されるわけではまったくありません。銀行の債務を国家が引き受け国家そのものが不渡りの危機に逢着し、アフガンから今のリビアまでの新植民地獲得戦争を通して軍需複合体を生かして特需を作ってから、やはり戦争費用でさらに揺らいでしまいます。70~80年前のようにファッショ独裁を建て世界大戦の一つでも起こすことはこのような過剰生産、利潤低下の危機に対する最も「確かな」(?)対処法でしょうが、幸いにもこの世界の統治者たちさえもそのような「劇薬処方」が核兵器の時代にそんなに易しいとは思わないのです(準備は常にやっているでしょうが)。しかし、大きな戦争は起こらないとしても、資本主義の中心部でさえも多数の生活は次第に惨めになりつつあります。ヨーロッパ連合では15~24才の若者の失業率は21%、単純事務職でも夢のまた夢と認識されています。スペインでは約38%の若者たちが職場がまったくなく、様々なバイトを転々としているのが現状です。幸い職に就けても暮らしの質が期待ほど高くなったりはしません。ヨーロッパでの労働強度はもちろん我々の偉大なる大韓民国には比べ物にならないものの、次第に「韓国化」しています。オランダのように労働者の権利が比較的に保障されている社会でさえも約10%の労働者たちは慢性疲労症(burnout)で苦しんでおり、ドイツでは最近4年間で鬱病薬の販売が約40%も増えました。アメリカのように最も野蛮な資本主義国家については敢えて語るまでもありません。70%の親は「仕事のことで子供たちにかまう暇もない」と訴えており、約33%は「深刻な職場のストレスに苦しんでいる」とこぼしています。次第に増える不安、恒常的なストレス、過度な搾取と社会的疎外による鬱病と常に感じる不幸な気持ち―これは資本主義の危機の時代の荒廃した我々の内面風景です。


今日の資本主義の危機局面の水位はもしかしたら1930年代初頭を上回っているにもかかわらず、総労働の対応能力は逆にあの時代にはるかに及びません。反独栽闘争の経験のあるギリシャではそれでも少しは戦闘性のある共産党と急進労組が残っているため今の闘争を引っ張っているものの、中心部の国家の多くは革命政党がまったくないか、無力な同好会に転落してしまった状態です。そのため、資本主義の危機に対する対応は多くの場合にやや「ゲリラ的」です。貧しい人々の「ゲリラ闘争」は前回のイギリス(ロンドンなど)における貧民の反乱や6年前のフランス「(パリ)近郊の衛星都市の反乱」(Les emeutes des banlieues)のような形で進行されますが、中産層(特に若者たち)の「ゲリラ」闘争は3年前の我々の「キャンドルデモ」や最近スペインの主要都市で繰り広げられている広場での座り込み、そして今回アメリカで起きた「ウォール街占拠」などのようにより非暴力的な形で展開します。この「ゲリラ闘争」の重要な特徴は、明確に表明された具体的な議題がないか、表面的な議題と真の議題の間にかなりの乖離があるということです。たとえば3年前のわれわれのキャンドルデモの場合は表面的な議題は牛肉輸入と屈辱的な対米交渉でしたが、実質的には新しい極右政権の新自由主義的政策に対する総合的な不満が噴出して起きたものでした。今回の「ウォール街占拠」は 「金融業者反対」を叫んでいるものの、その銀行を一体どのように処理すべきかについては運動の中において意見がまったく統一されていません。公的資金を注ぎ込むことを止めるべきなのか、より強く統制しより多くの税金を課するべきなのか、国有化すべきなのか―運動の中においてもこの問題をめぐる対立を避けようとして意見統一を進めていません。それは運動の初期においては仕方のないことでしょうが、決して良いことでもありません。


3年前のキャンドルデモの際に一部の「進歩的な知識人」たちは「リーダーも指導部もない自律的な運動」だと褒め称えていましたが、これはアナーキスト的な「ポスト言説」などがもたらした深刻な誤謬でした。結局運動を指導し制度化するほどの政党などが現われていなかったため(進歩新党も民主労働党もそれに値する党勢力はまだなかったし、実は今もありません。非常に残念なことに)、結局運動は弾圧に屈し数ヶ月後に終わってしまいました。運動を持続的に引っ張っていく強力で急進的な左翼政党があったら、この運動は資本主義の危機を労働者的な立場で解決する力を持てたことでしょう。「ゲリラ闘争」は初期には良いものの、突破力も持続性も大きく不足しているため、長続きさせるのは難しいのです。まだ「ウォール街占拠」のような「ゲリラ運動」などを総集結させ、その力で体制に強力な打撃を与えようとする勢力は見えません。しかしこれは時間が解決すべき問題なのかもしれません。運動が大きくなれば弾圧を受けるようになるはずだし、弾圧を受ける中でより一層急進化するはずであり、急進化した状態では銀行の国有化と民主的な計画経済だけが資本主義の問題に対する窮極の解決だということがより広く認識されることでしょう。このような認識がある程度共有されれば、その運動の一部でも大衆的な左翼政治運動の土台になることもあるでしょう。マッカーシズムの狂風以来、大衆的な左翼政党がなかったアメリカとしてはこれは物凄い発展でしょう。大衆的な左翼政党が既にある南ヨーロッパの国々なら、これからの数年間でその党の急進化、戦闘化が期待されます。そうしなければ「ゲリラ闘争」に新しい意味を与えることはできないでしょう。


私たちが望もうが望むまいが、資本主義の総体的な危機がもたらす革命的な時代に差し掛かっています。問題は、資本主義の危機が与えるチャンスを被搾取大衆と進歩政党などがどれほど利用しうるかです。そのような意味では進歩新党のような階級政党の発展と強化は極めて重要です。進歩新党がそれなりの役目を全うするようになれば、資本主義に対する抵抗の一核心になりうるでしょう。そうなれば朝鮮半島の歴史は大きく変わることになるでしょう。


原文: 訳J.S