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[ハンギョレ21 2011.09.12第877号] ロボットが治めるロボットの国

登録:2011-09-12 08:13

[金東椿(キム・ドンチュン)の暴力の世紀 vs 正義の未来](4894字)
絶対服従の名の下に強行される人権侵害・虐殺など国家犯罪
義人を処罰し 犯罪者を褒賞し‘服従犯罪’をそそのかす国家


 "被告(アイヒマン)が存在した時、ナチ法のもとでは何の誤りもしておらず犯罪ではなく国家の公式行為であり…服従することが彼の義務でした。" (ユダヤ人虐殺戦犯として起訴され裁判を受けたカール アドルフ アイヒマンの弁護人)  "自らの心を傷つけて言うのだが、私は徹底的に‘上命下服’原則を守り組織のために‘十字架’を背負った。" (拷問技術者 イ・クンアン)


 "大隊長には銃殺執行する権限がなく、連隊長も軍法権限としては銃殺執行を指揮する権限がないことは知っていましたが…上部指揮官の命令に服従しただけであり、本人は他に考える余地はありませんでした。" (韓国戦争の時、慶南、居昌民間人虐殺事件加害部隊大隊長 ハン・ドンソク)


 "本人も合法的だと考えた訳ではありません、上官の命令であるので命令に服従しただけです。" (韓国戦争の時、居昌民間人虐殺事件加害部隊小隊長 イ・ジョンデ)


絶対服従、残酷行為の重要な源泉


←拷問や虐殺を行った者が全く罪の意識を持たない理由は、自身は命令に服従することにより任務を果たしたと考えたり、その命令自体が国家と組織のためのものだと正当化するためだ。拷問警察官イ・クンアンの1988年 手配ビラ写真。ハンギョレ資料

‘服従は善だ’‘集団から抜け出しては絶対にならない’。これは軍国主義日本、ファシズム下のドイツで戦争を遂行する軍人らに強要した論理だ。ナチの大量虐殺、日本軍の残酷行為は全て権威に対する盲目的服従を称賛した軍隊文化の産物だ。拷問や虐殺を行った者が全く罪の意識を持たない理由は自身は命令に服従することにより任務を果たしたと考えたり、その命令自体が国家と組織のためのものだと正当化するためだ。ケルマンン(Kelman)とハミルトン(Hamilton)は人権侵害や虐殺などの大犯罪が服従の名の下に強行されたという点から それを‘服従犯罪’と呼んだ。権威に対する絶対服従こそが残酷行為の最も重要な源泉であり、慶南居昌民間人虐殺事件指揮官らのように、そうしてはならないということは知っているが 「命令に服従しただけ」と正当化した時にそれは犯罪となる。‘上官の命令は天皇の命令だ’という公式を金科玉条と感じ中国人と連合軍に残酷行為を犯すよう命令した日本軍指揮官は明確に戦争犯罪者として起訴される他はなかった。軍事組織で攻撃的業績主義と極端な位階秩序の強調は常に同時に存在するが、日本の教授 野田正彰はそれがまさに軍国主義日本を動かす基本論理だったと主張している。


ところで、国家あるいは国家の権力者が残酷行為を犯しても、上部の命令だったと全てを正当化する論理は事実 ティルリ(Tilly)が話したように組織暴力団の世界のそれと違わない。組織暴力団らは犯罪を犯す時、命令を拒否する部下には苛酷な処罰を加え、自身に忠誠を捧げ犯罪を行う同僚には厚い褒賞をする。隠さなければならないことが多い組織では、犯罪は容認されるが命令拒否は絶対に許されえない。民主主義国家といっても一国家が他の国家と戦争状態にある時、上官は配下の兵士たちが敵と疑われる民間人に犯罪的な残酷行為を犯したことを知りながらも戦争勝利の名分の下にそれを黙認する場合が多い。 世の中のすべての構成員は一つになって動かなければならないという全体主義や、軍人や警察官はロボットのように動かなければならず、官僚には服従と集団追従が最高の美徳だと見る軍事独裁政権下でも体制維持のための服従強要や行政命令履行圧迫は国民の生命と財産の保護という民主主義の本来価値をあざ笑う。


命令不服従を酷く処罰したMB政府


李明博政府下で手続き的違法や人権侵害要素のある行政執行でも、それを拒否したり批判する公職者に‘罷免’という最高の処罰方法をためらいなく用いた。チョ・ヒョノ ソウル地方警察庁長官は自身が推進した過度な実績主義を批判し辞退を要求したという理由でチェ・スチャン前江北警察署長を罷免した。 まさに攻撃的業績主義や上官を批判した罪だった。一方、ろうそくデモの時‘見つけ次第検挙しろ’という鎮圧方針を拒否した戦闘警察官は懲役1年6ヶ月の実刑を宣告され、高等裁判所では刑量がむしろ2年に増えもした。ソウル市教育庁は一斉試験拒否し野外体験学習を希望した生徒にそれを許容した教師7人中4人を解任し 3人を罷免措置した。国税庁は不正容疑で逃避したハン・サンリュル前国税庁長を批判した職員を罷免措置し、それでも足りずに名誉毀損容疑で検察に告訴した。国防部は前代未聞の禁書措置に対し憲法訴訟を提起した軍法務官2人を罷免し軍名誉失墜などをその理由として挙げた。かつてのように犯罪を犯せという命令ほどではないが、国民の人権に深刻な被害を与えかねない論議になる政策や命令に一方的に服従しなかったという理由だった。


特に罷免された軍法務官は5年間 弁護士開業をできないなど致命的処罰にあった。この公務員たちに対する罷免理由は命令不服従、すなわち‘職務遂行時、公務員は所属関係の職務上の命令に服従しなければならない’という義務に反したということだ。軍法務官を罷免した国防部は「軍人は上官が職務上 指示や命令を下した場合、内部建議手続きを踏み、必ず指揮系統に沿って単独で建議すること」を強調し、「軍法務官らに対する懲戒はそのような過程を無視したことに対する懲戒だ」と説明した。他の組織とは異なり、軍で命令がそれだけ重要であることはそのとおりだが、彼らも国民の一員であり基本権である裁判請求権まで制限されうるということは憲法精神に反するだけでなく過度なことだったという批判が出た。我が国の裁判所も以前に中央情報部職員の場合、選挙を控えて特定候補に反対する世論を作る目的で虚偽事実を盛り込んだパンフレットを配布したり、参考人として出頭した人に苛酷行為をしろというなど、不法な命令に対しては服従の義務がないと判示し、その場合、服従し命令を執行したとすればその人も処罰を免れないと判決を下した経緯がある。


李明博政府下で 軍人、国税庁職員、教師など命令に従わなかったりそれを批判した人々に対する罷免措置を見ればいくつかの特徴がある。特に教育界を見れば非理・不正・汚職・セクハラの疑惑を持たれた校長などの管理者より、命令不服従、民主労働党後援支援金納付などをした平教師らを厳しく処罰した。 国税庁長をはじめとして不正高位公職者らを厳しく処罰した例はなかった。それは不正腐敗など反社会的行動より自分たちに対する命令服従を最上の原則と感じているということ。そういえばクーデターを起こした第5共和国新軍部勢力こそが組織規律を最も激しく揺さぶった人々だが、彼らが罷免されたという話は聞いてみたことがない。


命令を拒否したイ・ジョンチャン、ユ・ビョンジン、イ・ヨング


反人権的な行為、甚だしくは拷問・虐殺・不法処刑までも正当化した公権力の服従至上主義はまさに韓国の歴代大統領が実践したことだった。李承晩が戦時、釜山で閣議を通じて非常戒厳を宣言し、イ・ジョンチャン陸軍参謀総長に戒厳軍派兵を要請した。しかし、イ・ジョンチャンは軍の政治的中立を理由に派兵を拒否した。すると李承晩は「貴官はどうして国に反逆し私に反逆するのか」と叱り「大統領は国軍の最高司令官であり大元帥だ。参謀総長といえども大元帥に抗命すれば極刑に値する。きわめてポサラヨ全軍の試験でしなさい”と命令を下した。 しかし軍内部の反発があまりにも激しくその命令を取り下げた。ユ・ビョンジン判事は曺奉岩(チョ・ボンアム)などの進歩党事件に対して1審で曺奉岩被告人を懲役5年に処すると判決した。しかし2審で1審の判決は破棄され結局、曺奉岩は死刑の宣告を受け処刑された。2審判事が不当な命令を断ったとすれば曺奉岩は死刑にならなかっただろう。しかし、この事件によりユ・ビョンジン判事は自由党政権によって再任が拒否され、裁判官生活に終止符を打った。‘真実・和解のための過去史整理委員会’は曺奉岩2審判決と死刑は誤りだったと決めた。結局、ユ・ビョンジン判事の判断が正しかったということが立証されたわけだ。


維新治下の緊急措置9号判決で無罪判決を下したイ・ヨング判事は所信に従った判決を下した代価として法服を脱いだ。しかし当時の最高裁長官、最高裁判事、ソウル地方裁判所刑事首席部長判事など要職を占めた人々は全て朴正熙(パク・チョンヒ)の意中を良く汲んで学生たちに苛酷な判決を下し、同僚らから‘中央情報部’要員と呼ばれた人々だった。服従の代価は昇進であり、拒否の代価は昇進脱落、さらには弁護士開業妨害まで至った。


過去の独裁政権と軍事政権時期の間、ほとんどすべての軍警と判検事がこういう服従犯罪を犯し出世街道を走ったし、人権と国民の側に立った人々は服従を拒否した代価として苛酷な処罰にあった。その最大の被害者はまさに国民だった。内部の不当命令拒否者を処罰することにより、国家や権力者が犯した犯罪や誤った公権力行使はしばらく隠蔽されえたが、拷問・スパイでっち上げなど深刻な人権侵害と不正腐敗は続いた。李明博政府になって強調された警察の実績主義は、無差別的検挙事態やソウル、陽川(ヤンチョン)警察署拷問事件などと関係がなくはなく、教育科学技術部の一斉試験強要は生徒たちをより一層競争に追い詰め更には‘試験機械’にしたという批判を受けることになり、国防部の禁書措置は民主国家の笑い話になった。公職者が国家犯罪あるいは不当命令の道具になれば、国家や社会の危機状況で正しい話をしたり情熱を傾ける公職者が消え失せ、上で引用したアイヒマンやイ・クンアン、軍虐殺者らのようにいかなることにも責任を負わず全てを上部のせいにする人々だけが生き残るだろう。そして国民もただ言われたことだけをするロボットになるだろう。ロボットが治める国でロボットになった人間の尊厳は立つ瀬はなくなることになる。


ハン・サンリュル前国税庁長を批判して罷免され告発までされた国税庁職員は「どうしてそこまで卑劣になるのか、どうしてそこまで残忍になるのか」と公務員にとって命とも言える職場を奪えば済むはずなのに、その上 何を望むのかと抗弁した。逃避性出国をした前国税庁長は調査を適当に済ませ、彼を批判した職員には厳しい処罰を下す国家をどう説明すれば良いのか? 彼らは‘規律’をぐらつかせた以上、そのように取り締まらなければ内部不正をよく知っている職員が我も我もと不正を告発するのではないかと思い恐れるのではないだろうか?


不当命令を拒否する‘希望’


もちろんミルグラム(Milgram)の有名な実験のように、人々は暴力で強制されなくとも、人々に深刻な苦痛を与える命令には服従する傾向がある。そのように見るならば、軍人・警察官・検事など上司の命令に対する服従原則が強調される組織で上部の命に異見を示すことは容易ではないだろう。しかし明白な国家犯罪や内部不正、権力者の不当な命令を拒否する公職者が一人もいないならば、その組織とその社会には希望がないだろう。 たとえ少数でも不当命令を拒否する公務員が存在したり、さらに一歩進んで告発し批判する公務員がいるならば、その社会には希望があり大多数の国民の人権は保護されうる。歴代韓国政府は真の義人らを処罰し、犯罪を犯した人々を仲間だという理由で褒賞してきた。


聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授


原文: http://h21.hani.co.kr/arti/COLUMN/152/30401.html 訳J.S