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[世相を読む] 場外選手たちの出陣支度を見て/キム・ドンチュン

登録:2011-09-06 10:19

原文入力:2011/09/05 19:08(1727字)


競技規則には手を付けず
‘個人技に優れる新選手’だけ輸血して
窮地を突破しようとしてはならない


←金東椿(キム・ドンチュン)聖公会大社会科学部教授


アン・チョルス教授がソウル市長出馬を考慮しているようだ。この間、政治活動への参加を拒否してきたパク・ウォンスン弁護士も今回は一度やってみる必要があると考えているようだ。既成政治家たちを見て我慢できなくなった観客は、個人の出世よりは社会のために生きてきて、人間性も良いと見られる彼らに大きな期待をかけている。おそらくこの間の履歴で自分の分野で最高の専門性を発揮しながら国民に十分な感動と信頼を与えたこの2選手が出てくれば、他のどんな制度政界の候補より当選可能性が高いだろう。大衆が腐敗した保守と無能な進歩を越える代案を熱望していることは明らかだ。一方、彼らが専門家として良いイメージを維持することを願う人々は出馬に否定的だ。しかし「1流は在野にあり2・3流が政治に入る」という私たちの社会の俗説も絶対的な真理ではない。セミが幼虫時期を経てセミになるように、ドブに入らずにはゴミを片づけられないためだ。

私はこの間 信頼という資産を積み重ねた彼らが市長候補として資格が充分であり勝算もあるとみる。しかし、ソウル市長はアン教授の主張とは異なり非常に政治的な席であるため、迫り来る権力闘争で‘台風の目’になるほかはないという厳然な現実がある。‘第3勢力’議論も出ているようだが結局、アン教授は何のための出馬なのかに対する答を出さなければならない。


彼らを場に引き込む政治不信、斬新人物検索の動きは昨日今日に始まったことではない。1987年以後、各分野の斬新な専門家たちが政治不信に便乗し場内に入ったが、状況は別に良くはならなかった。すなわち競技の規則、チーム運営方式、選手補充方式には手を付けず‘個人技に優れる新選手’だけを輸血し窮地を突破しようとしてきた韓国政治の構造のためだ。キム・ドンギル、パク・チャンジョン、ムン・グクヒョンなど場外や党周辺部の人物が関心を起こしたことがあったが、変化を持たらすことはできなかった。「やってられない、変えてみよう」というスローガンが数十年続いても、新参者の資格条件は制限されており、保守独占の政治構造は変わらなかった。エリートでも金持ちでもない普通の市民を排除することは私たちの政治の慢性病だ。政治不信はこの庶民代表性不在の一表現に過ぎないので、決してアン・チョルスの個人人気で克服される性質のものではない。


場外の人気ある専門家たちは自身が変化を起こせると考えて難しい決断をするが、実際に入ってみれば強大な官僚集団と対抗するためには党と組織大衆の支えなしには何もできないことを知ることになる。市会議員はことごとに市長の足首を掴み、中央行政部署の協力を得られなければ小さな予算も思いのままに執行することは難しい。また報道機関と市民は性急で気まぐれだ。在任中の人気を意識しない長期政策は数人の斬新な専門家の力では不可能だ。アン教授は「国民感情上、ハンナラ党ではない」と語るが、本来の‘自身’のビジョンと立場は明らかにしていない。これまで彼が財閥の横暴を批判し、中小企業の難しい境遇を強調してきたとすれば、それを実践できる政治的力をどこから手に入れるのかについても答を出さなければならないだろう。ソウルの市政運営は行政より政治に近いため、個人人気だけでは変化を引き出しにくい。


私は場外スターが原則と所信を明らかにした後、ドブ泥にもがきながら準備をすることを薦める。国民的信頼は最も大きな資産だが、それだけでは制度と組織を決して変化させられない。彼らに歓呼する‘ファン’たちを市政参加意志を持つ‘主体’に変化させてこそ、彼らの進入が庶民親和的な市政はもちろん、将来 我が政界改革の道を開いてくれるだろう。


原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/494930.html 訳J.S