原文入力:2011/08/24 19:50(1905字)
‘メディアレプ’問題は多くの人々にとって対岸の火事かも知れない
しかし99.99%が願う親日派清算が失敗に終わったことも
こういう無関心のせいではなかったか
←ハン・ホング聖公会大教養学部教授
マスコミ労組が全面ストライキに入るという。ストライキに対する賛否投票で投票率は75.4%、賛成率は84.9%だったという。投票率と賛成率がこのように高かったのはそれだけ‘メディアレプ’問題についてマスコミ労働者が感じる危機感が深刻だったという意味だ。ところで大学生の中で新聞放送学専攻でなければ‘メディアレプ’という言葉を理解できる人がどれくらいいるだろうか? 断言するが10人に9人はポカンとした表情を浮かべるだろう。言葉の意味を説明しよう。‘総合編成’(総合編成チャネル)が広告営業を直接する場合と‘メディアレプ’を通じてすることとがどんな差を持つかは少しは理解するだろうか? マスコミ労組はこの難しい戦いを既に始めたのだ。
李承晩政権時期には新聞社の立場では広告収入よりは購読料収入がより大きかったし、マスコミ統制方式も無知で言うことを聞かない新聞は黙って廃刊させてしまったが、朴正熙政権時期には経済規模が大きくなったこともあり広告の比重も大きくなりマスコミ統制手法も狡猾になった。1965年の<京郷新聞>事件や1974年末から始まった<東亜日報>白紙広告事件に見るように、軍事独裁政権は広告主らを脅迫し政府に批判的なマスコミの収入源を断ち切ってしまう形でマスコミを統制した。
1987年以後の民主化は軍事独裁のオウムとなったマスコミが自らの機能を回復できる機会であった。 <文化放送>(MBC)と<韓国放送>(KBS)等の放送は一定の公共性を回復し、放送から‘テンチョンニュース’のような恥ずかしいわい曲報道が消えたことは教育の民主化とともに民主政権がスタートできる重要な要因だった。しかし一部新聞にとって民主化はかえって毒になった。保守新聞は弱者の声を少しでも伝達しなければならないという使命感まで捨て、既得権集団の一員として、最も戦闘的な代弁者になってしまった。インターネットの発達と放送の影響力増大などメディア環境が急変し、紙新聞の未来が暗鬱になるや保守政治勢力は自分たちの代弁者である保守紙新聞の生命延長のために2009年7月、新聞と放送の兼営を禁止していた放送法を強行採決で改定させた。その結果として誕生したのが朝鮮、中央、東亜、毎経などが参加した4ヶの総合編成放送だ。
総合編成が4チャンネルも出現したのは予想外のことだった。広告市場の規模はそのままなのに、ゴジラ顔負けの食欲の塊である獣四頭が狭い草むらに解き放たれたのだ。韓国放送の広告廃止を前提とした視聴料値上げは総合編成のための餌を用意するための姑息な手段だ。韓国放送広告公社(コバコ)は去る30年間、放送広告独占販売体制を維持してきた。この方式にも多くの問題はあったが、放送会社の報道・製作と広告営業を分離し資本から放送の公共性と多様な地域放送を守った。今や新聞と総合編成というニ丁拳銃を持った朝鮮・中央・東亜・毎経記者を前面に出して広告を出せば提灯記事を書き、出さなければ悪い記事を送りだすという形で破廉恥な直接広告営業をすれば、地域放送と世論の多様性は全て枯死してしまうだろう。
かつての軍事独裁政権は批判的なメディア一つを対象に広告を切りマスコミを統制した。「放送のために10年間政権を奪われた」というあきれた認識を持った守旧勢力は、今度は自らのチャンネルに広告を集め残りのメディアは完全に飢え死にさせる方式でメディア生態系自体をかく乱しようとしている。‘メディアレプ’とか‘総合編成の広告直接営業’とかいう話は民主陣営の多くの人々になじみがうすく、もしかしたら対岸の火事のように聞こえるかも知れない。‘大義’で見れば当然に放送の公共性が守られなければならないが、率直に言えばそれがこわれたからと直ちに自分の通帳からお金が抜け出たり、入ってこなければならないお金が入ってこなくなるわけではない。私たちは忘れてはならない。まさにその理由のために解放直後99.9999%の人々が親日派清算を当然視したのに、一握りの人間たちによって穴をあけられてしまったのではないか。
原文: 訳J.S