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[朴露子ハンギョレブログより] ゴルバチョフの致命的な誤謬

登録:2011-08-23 09:24
http://en.wikipedia.org/wiki/Rabfak

原文入力:2011/08/18 23:57(4188字)


朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学


明日、すなわち2011年8月19日は1991年8月19日に起こったソ連の「8月クーデター」の 20周年になる日です。その「クーデター」、すなわち一部の正統スターリン主義的な官僚たちのほとんど絶望的な―そして極めて未熟で準備不足の―ソ連崩壊を食い止めようとした試み以前からソ連は既にがたがたしていましたが、「クーデター」で親西方・親市場勢力(「自由民主主義者」)らが完勝をおさめると、その完全な崩壊は時間の問題になりました。その結果は?地理的・文化的に西欧に最も近い旧ソ連の地域たち(バルティック共和国やモルドバ共和国など)は、ヨーロッパ連合への低賃金労働力の供給者かつ西欧の企業や銀行の「幸せな遊び場」になり、ある程度資源を保有するロシアやカザフスタンなどは権威主義的政権下で国際的な資源供給者に転落し、中央アジアの旧ソ連の多くの国々(ウズベキスタン、トルクメニスタンなど)は「開発なき独裁」、つまり民生の問題さえも解決できない最悪の独裁政権下に置かれてしまいました。旧ソ連は幾多の問題を抱えていたものの、三つの大きな長所を持っていました。第一に、たとえ労働者民主主義はうまく作動しない状況では官僚国家が「支配者」の役割を果たしてきたとはいえ、一応個々の企業所で利潤を追求することのできない全国的な計画経済という構造上においては長期的な高度技術開発、科学研究に合理的な集中投資が充分に可能でした。すなわち、持続的な科学発展と生産力向上が可能な構造でした。第二に、労働市場とは異なり、合理的で計画的な職場割当システムでは完全雇用と専攻に合致した就職は可能であるため、幸せな職場生活はある程度保障されていました。第三に、たとえ民主的な装置はひどく不足していたとはいえ、執権共産党は一応熟練工集団をその政治的な土台としていたため、民生・福祉に対するかなりの配慮をしなければなりませんでした。最早 資本主義的な世界体制の周辺部に再配置されている旧ソ連の後継国家ではこのような話は単なる夢物語にすぎないのです。

ソ連式体制は当然ながら経済的な矛盾はあったものの(たとえば冷戦下では軍需企業などがあまりにも肥大化しすぎた一方、軽工業の発展は相対的に低下するなどの様々な不均衡が深刻に存在しました)、最も先鋭な矛盾は上部構造の矛盾、すなわち社会的な矛盾でした。矛盾の中心はあくまでも階級形成の問題でした。「現実社会主義」体制では一切の生産手段を独占する国家が社会を支配するといえますが、社会と遊離した支配階級の形成はある程度遮断されています。体制の管理者、すなわち高位職の官僚たちはその地位を世襲させることはできなかったし、支配体制の中心軸である共産党で「出世」をしようとすれば、一旦末端の企業所で現場の労働者として労働生産性や組職能力などを認められて入党し、下っ端から最上位までゆっくり「梯子」を登って行かなければなりませんでした。たとえば、その体制を壊した主役の一人であるゴルバチョバさえも、農業労働者として「模範労働者」になったため かなり早い時期に(高校時代に)入党し、その後は地域の青年共産党(コムソモール)委員会の下級幹部職から中央共産党総書記長まで約35年の間 経歴を積まなければなりませんでした。その彼は、その地位をたとえばその子たちに譲ることなど夢にも思いませんでした。あの世にも恐ろしいスターリンでさえも娘(スベトラーナ)はただの英語翻訳者・編集者にすぎなかったし、二人の息子はすべて1941~1945年に直接参戦しなければなりませんでした(一人は捕虜となって殺され、戦闘機の操縦士だったもう一人は26回出撃するなどかなり危ない参戦生活を送らなければなりませんでした)。支配体制はあっても目立った支配階級はなかったことは、まさに革命とスターリンの反動後に成立した体制の主な特徴でした。


では、このような体制において一般の労働者・農民以上の大多数の有識者や幹部たちの夢は果して何だったでしょうか。言うまでもなくそれは対自的階級への転換でした。幾多の幹部たちは子息たちに財産を譲ることのできる資本主義体制に憧れ、労働者層と幹部層の中間にあった知識人層も西側の資産家や高級知識労働者たちの豊かな生活に憧れる一方、国際的な冷戦によって負わされた幾多の重い制約など(自由な出入国の制約、海外就職の制約)を嫌った結果、アメリカや西側勢力に投降してでも冷戦を終息させなければならないという論理に同調しました。1990年代後半、ロシアで実施された調査によれば、新興企業家層の約80%は高等教育を受けた人たちを親にしているのですが、これは現在ロシアの企業家層と共産主義時代の幹部層・知識人層の直接的な継承関係をよく示しています。知識人層の場合は、特に熟練工層を政治的な基盤とした共産党の労働者、農民たちのための様々な逆差別政策を嫌悪しました。たとえば、人気の高い大学に入学することは「労働者たちのための予備過程」(rabfak: )を履修した労働者、農民、軍人出身たちが加算点を受け、比較的に簡単に入ることができた一方、高校を卒業したばかりの知識人たちの子たちは互いに熾烈な入学競争を繰り広げなければなりませんでした。共産党は彼らに大学入試前に少なくとも2年程度は現場で労働する経験を積むよう誘導しようとしましたが、彼らにとっては仲間内で「肉の塊」と軽蔑した労働者たちと一緒に汗を流しながら働くことは侮辱であると同時に苦痛でした。まさにこれらの幹部層と知識人層は結局ソ連崩壊の社会・政治的な主役になってしまいました。


1985年から社会における労働生産性向上の低調や様々な階層的、民族的な矛盾の尖鋭化に着眼し革新政策を宣布したゴルバチョフ新任書記長は初めは基本的に正しい路線を取っていたと思われます。党組織の民主化も、何人かの候補が一つの選挙区で競合するソビエト組職の民主化も、スターリン時代の国家犯罪に対する率直な告白と犠牲者たちの名誉回復も、亡国的な軍事費を減らすためのアメリカ帝国との和解モードの助長も、すべてソビエト体制の内在的な論理において有意義な政策だったし、亡国の原因にはなりませんでした。ゴルバチョフの許されない誤謬は別のところにありました。彼は1989年頃から「現実社会主義」体制そのものに反対し露骨に親資本主義的・親西側的な路線を採った分子たちの政治活動までも「自由民主主義」の名の下に許しましたが、これは本当に致命的なミスでした。結局バルティック共和国等で民族分離主義の掛け声のもとに団結し、中央では親資本、親西側的な幹部層出身(エリツィンなど)と代表的な自由主義的な知識人(たとえば史学者アファナシエフ: http://de.wikipedia.org/wiki/Juri_Nikolajewitsch_Afanassjew)らを中心にして団結した反社会主義勢力たちは「ソ連の解体」という過程を通じて彼らが代表した階級たちの利害関係を貫徹させてしまいました。旧共産党幹部たちは新しい支配階級の骨幹になり(一挙に大学総長になったアファナシエフなどの事例が示しているように)、知識人階層の上部は新しい体制に極めて良い条件で寄生しながらその理念的な基盤を提供する準支配者の立場になってしまいました。彼らの支配の下で最大の犠牲を払ったのは何よりも労働者階級でした。既に1994年にロシアで約4百万人の無住宅下層民たちが発生しておりますが、その絶対多数は私有化の過程で門を閉ざした工場出身の職工たちでした。エリツィンとアファナシエフの階級的な立場の強固化の対価とは、まさに彼らの飢餓と病苦、そして早まった死でした。


民主主義は重要な価値であるには違いありませんが、脱資本主義の過程ではそれを絶対化してはなりません。外では世界の中心部からの様々な破壊工作と攻撃に露出しており、内では資本主義への転換をいくらでも夢見られる管理者層・知識人層の動搖を阻まなければならない社会主義革命後の国家では通常の自由民主主義の枠組みを適用し反社会主義的な性格の政治活動まで許容すれば状況によっては極めて困難になることもありえます。今ベネズエラのように絶対多数の貧民たちの革命的な熱情が高い状況では形式的な民主主義の手続きを適用しても革命の進展は可能ですが、末期の旧ソ連の状況はそうではなかったのです。大衆に対する絶大な影響力を持っていた知識人層にしてからが既に社会主義的な価値から遠く離脱した状況では、反社会主義的な宣伝扇動の自由まで許すことは事実上 反共産主義的な狂乱を許すことと同じでした。少なくとも計画経済の基本と勤労大衆のための福祉などといった体制の骨幹を守ろうとすれば、自由主義的な枠組みの適用を少し留保し今後 段階的に進めたりしなければなりませんでしたし、親資本主義的な高位層・知識人層には更に強固に対処していかなければなりませんでした。市場万能主義を唱える自由よりは、ホームレスにならない自由や、労働者出身であっても無償で高等教育を受けられる自由の方が百倍も重要なのです。最早、西側の自由民主主義的な通念の虜になったゴルバチョフは―資本主義への転換を熱望した多数の幹部たちの望み通り―これらに背を向け「自由民主主義」の掛け声を叫びながら多数の民が殺人的な相互競争と貧乏の中で生活しなければならない地獄のような社会への道を開いてしまったのです。私たちはこの教訓を覚えていなければならないし、これから社会を革命的に変える機会があれば、いかなる「自由民主主義」のためにも支配階級を形成しようとする者たちに そうする「自由」を与えてはいけません。これは結局多数の真の自由の唯一の保障です。


原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/37266 訳J.S