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[ハンギョレ21 2011.07.04第867号]“ブラジャー脱がれますか?”

登録:2011-07-04 00:10

[ノーサンキュー!](1739字)

←イラストレーション キム・デジュン

ブラジャーを着けないようになってかなりになる。初めてお母さんがブラジャーを買ってくれた日、やや高く突き出るように盛り上がった胸が隠さなければならないほどになったことが妙に満足だったようだ。そうするうちにある時、それを着けないことが本当に楽なことを悟ることになった。それでも厚い服を着る冬にブラジャーを着け無い日もある程度だった。一年を通じてブラジャーを着けなくなってからはもう5~6年になったが、夏になると肩をすぼめるようにしていた。今はその不便な物を再び着けて出かける意欲がわかないほど楽になったが、たった一度だけ着けたことがある。

何が‘危険物等’なのか

非正規職闘争事業場問題の解決を要求して関連機関に抗議訪問に行く日だった。十分な返答を聞くまでは出てこれないこともある、そうしているうちに連行されることもありうる、連行されれば警察署で捜査を受けることになるはずで、そこまで考えが及ぶとすぐに履き物を脱いで部屋に戻った。引出しを開けてまだ捨ててはいなかったブラジャーを見て考えた。それを着けないからだに対する社会的視線を‘抑圧’と理解している私も、机一つを挟んで刑事に調査されるという事実が気になった。私が自然に再び肩をすぼめることがはっきり予想された。これでも人権活動家だから刑事の前で堂々と胸を張っていなければ! 久しぶりに着けて出て行ったブラジャーだったがその日は連行はされなかった。

着けて行ったとしても脱がなければならなかったの? 2008年ろうそく集会に参加した女性留置人の‘下着脱衣’問題が明らかになった時、私は情けなかった。留置場に閉じ込められた何回かの経験で、ブラジャーを脱げとの要求は一度も聞いたことなかった。ろうそく集会参加者を狙ったものと考えた。ところが問題が大きくなるや、警察は‘被疑者留置および護送規則’で禁止している‘危険物等’にブラジャーが含まれると主張した。国家人権委員会は自殺や自害を防止し生命権を保護するためのものという警察の主張を´理解´してあげた。その結果が先日の‘半額授業料’集会に参加した女性に対するブラジャー脱衣要求だ。警察の釈明があきれる。その女子学生が「床に座り込み泣くなどの突出行動を示し」ブラジャーを自ら脱ぐようにさせたということだ。いや、女子学生が警察署の底に座り込み泣いているというのに警察官がそばに行ってしたという言葉が「ブラジャー脱がれますか?」なのか。

国家人権委員会は当時の決定で「ブラジャーを脱衣した後、性的羞恥心を感じないようにする補完措置を工夫」しろと言った。それで警察は その女子学生に上からかけられる服も世話したという。彼らは一人の人間が自身の下着を脱ぎ着する問題を決定できなくなった状況を見ずに、一人の女性がブラジャーを脱いだ状態になったという点だけに注目する。女性ならばブラジャーを着けることが当然だという視線の連続だ。しかし問題は‘脱げという要求’自体だ。それは性的羞恥心を産むだけでなく、一人の人間として尊重されえないという侮蔑感を呼び起こす。そしてそれは下着脱衣に限定された問題ではなく、人が警察により連行され調査を受け留置場に入監することになる全過程にわたる問題だ。

毀損されてはならない人間の尊厳

連行される瞬間から始まる人身の拘束はやむをえず人権を制限する。しかし人間の尊厳が本質的に毀損されてはならない。人が床に座り込んで泣けば、なだめながら何がくやしく気に障ったかを聞くことが先だ。自殺や自害を防止するために‘危険物等’を除去することが優先だというアプローチ自体が問題だ。ところでマスコミを含めて、皆がどれほどブラジャーにばかり関心があったのか、そんなに良ければ着けて歩けばと言いたいほどだ。いや、脱ぐことに関心があったということか?

ミ・ユ人権運動サランバン活動家

原文: http://h21.hani.co.kr/arti/society/society_general/29944.html 訳J.S