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[なぜならば] フィリピンで韓進重工業事態は予想された

登録:2011-07-03 00:27
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/485435.html

原文入力:2011/07/02 14:39(1766字)

パク・ジョングク全国建設労組労働安全局長

6ヶ月間にわたり進行している韓進重工業ストライキ事態を見守れば、3年前にフィリピン、スビク湾の韓進重工業造船所に行ったことが思い出される。もしかしたらすでに予想された事態だったのかもしれない。
私は2008年8月1日から9日までフィリピン、マニラで開かれた国際建設木工労連(BWI)主催 国際青年組織活動家教育に行ってきた。日程には特定地域を訪問し‘世界化が産業現場にいかなる影響を及ぼしているか’を直接経験するプログラムもあった。マニラから3時間ほど離れている一時 米国海軍基地として使われたりもしたオルロンガポ スビク湾には世界で4番目に大きい70万坪の超大型造船所が建てられていた。 フィリピン政府は韓進重工業フィリピン現地法人にこの施設に対する15年間の使用権を付与した。すでに1段階工事が終えられ、アロヨ当時大統領までが船舶命名式に参加した中で1号船舶を進水した状態であった。だが、大韓民国の企業という誇らしさもしばしのことで、韓国特有の賎民資本主義形態を直接自分の目で目撃した後、私はネズミの穴にでも入りたい心境だった。

現地宿舎にあるスビク造船所の労働者を訪ねて行き「韓国語できるか?」と言ったところ異口同音に "Pali Pali Sekya!" (急げ急げ このやろう)と韓国人管理者が口癖のように言う言葉をそのまま伝え「この言葉はどんな意味でしょうか?」と尋ねた。 この一言がスビク造船所の労働環境実態を如実に推察させた。当時から韓進重工業のフィリピン現地法人現場には‘解雇者 労働弾圧’‘続く労災死’‘造船所住居住民強制撤去’‘多段階下請け労働搾取’等、山積した問題が反韓感情を刺激していた。

2006年5月に工事を始め現在に至っているスビク造船所は‘投資奨励法’により8年間にわたり各種税金が免除される。当時、造船所現地労働者の月間賃金が韓国通貨換算で18万ウォン程度であった。会社には当然魅力的にちがいない。さらには韓国の労働組合を無力化できる好材料として作用するだろうことは幼い子供でも推察できる状況だ。

スビクに到着し最初にした事は現地造船所の解雇労働者らと労災にあった労働者たちを訪問することだった。その年の7月 スビク造船所の工事現場で働いていた結婚を目前にした若い息子を失った70才の老夫妻は子供を失った悲しみに耐えながら「私は20年間フィリピンの工事現場で仕事をしても指一つケガしなかったが、私の息子は造船所に仕事をしにでかけ一ヶ月でとても冷たい遺体になって帰ってきた」として鬱憤をぶつけた。もちろん韓進の金銭的補償は何もなかった。全員、多段階下請け業者の役割だ。

私たちがスビク造船所を訪問した時、3人の労働者が労災で死亡したという情報提供を受けた。フィリピン建設連盟(NUBCW)はすでにその年の3月と6月の二度にかけて声明を出し、労災死亡事故に憂慮を表明し、職業健康安全基準(OHS)違反有無を調査できる独立的な機構を要求していた。

また、フィリピンの労働法によれば採用後6ヶ月が過ぎれば正規職転換をするようになっているが、それを避けるため労働者の所属下請け業者がしばしば変わった。私たちが現地を訪問した時も、韓進の青いユニフォーム勤務服は全て全く同じだが、左胸の会社名はそれぞれすべて異なっていた。労働者自身も知らないうちに所属が随時変化するという。当時、韓進現地法人の使用側は「労組が組織化事業を中断しなければ400人を解雇する」と通知した状態であった。そのために継続して仕事をしたければ‘忠誠の誓い’書類に署名することを要求しており、解雇者および活動家の写真を現場正門前に貼り出し犯罪者のように出入りを厳格に統制していた。当然、反韓感情が極に達するしか…。

グローバル企業を標ぼうする国内企業らが海外法人で行っている実態を見れば‘家で漏れる瓢は外でも漏れる’という言葉がぴったり合う。

原文: 訳J.S