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[世相を読む] ワークデント/キム・ドンチュン

登録:2011-06-14 10:52

原文入力:2011/06/13 19:09(1718字)

今日のワークデント(労働生)は
50年代の苦学生、60~70年代の留学生、
80年代の工場へ行った大学生とは違う

金東椿(キム・ドンチュン)聖公会大社会科学部教授

本業は学生だが、学費準備のために勉強よりは‘バイト’に時間をさらに多く費やさなければならない今日の大学生たちを英語で労働者と学生という単語を組み合わせ‘ワークデント’あるいは‘労働生’と呼べばいいだろうか? 授業料問題が社会的議題に浮上したので、彼らの境遇に対する論議はいくらか食傷ぎみの感もあるが焦点が授業料問題に集約されているようで物足りなさがある。
今日のワークデントは苦学をしながらバラ色の未来を夢見た1950年代の中・高校生らとも、皿磨きをしながら故国のエリートになる夢を見た60~70年代の米国留学生らとも、労働者に自身の存在を移転させ労働運動を通じて世の中を変えようとした80年代の大学生らとも違う。ワークデントの境遇は社会的に強要されたものであり、事実上は労働者・技術者・芸術家として生きなければならない青年たちが、卒業証書を得るために学生になったのだ。彼らに差し迫る未来は立派な会社員やこの社会のエリートではない債務者、青年失業者、あるいは非正規職労働者だ。両親のおかげで今 ワークデントとして生きなくとも良い一部の学生たちは卒業後にも労働者を管理する職業を得る確率が高い。それでワークデントである青年たちはすでに社会の序列を内面化している。彼らは労働とは何か、最低賃金や労働人権とは何かなどは一度も習ったことがない‘自己開発時代’の青年たちだ。彼らは一度でも崖に落ちれば再び這い上がってくることはできない冷厳な韓国社会の現実を毎日体験しながらスペックに命をかける。彼らが用意しなければならない授業料と小遣いはこの社会で‘余剰人間’にならないためにやむを得ず支払わなければならない資格証取得費用であり決してエリートの地位を得られる投資ではない。

こういう理由のために大学授業料は国民の税金で充当されて当然だ。ところで授業料が半額になりさえすれば、彼らがバイトの代わりに学業に一層忠実になり、大学は学問の殿堂になるのだろうか? 青年たちを大学に行かざるをえなくさせている社会をそのままにして半額授業料が解決策となりうるだろうか? 一度取得した学歴・学閥が一生を支配し、労働者を極度に過小評価し、中小企業と大企業の賃金格差がこれほど広がっているこの社会で、大学授業料を無償にしても彼らが明日を約束されるのだろうか?

私は韓国社会での学歴・学閥競争は「労働者にならないための戦争」とみるべきだと考える。今日のワークデント問題は労働者を罪人に仕立て、学閥の良い力がある人々は盗みをしても生き残るこの支配構造に原因がある。すなわち無限の潜在力を持った青春を‘余剰人間’にし、社会的には‘余剰’の存在ながらも1年に数億ウォンの年俸と支援金を手にするエリートどもの姿がこのように深刻な学歴・学閥競争を起こす主犯ではないかと考えてみる。警察に連行されて行くストライキ労働者の姿を見る時、すべての父母は金を借りてでも自分の子供は労働者にさせないために塾費と授業料を用意しようとするだろう。最高学府を出た反社会的不正の主犯が友人・同窓らの力でぞろぞろと免罪符を受け取るならば、我が国の父母は手段と方法を選ばずに子供をスカイ(SKY:ソウル・高麗・延世)大学に送ろうとするだろうし、少なくとも現代版身分証である大学卒業証書くらいは抱かせようとするだろう。

授業料問題で明らかになった今日のワークデントの境遇は私たちの社会の深層の宿題を集約している。さあ、まずワークデントを専業学生になるようにして、彼らに失われた青春を返そう。その次に労働者を人間らしくして、学歴・学閥主義をなくする道を探してみよう。授業料問題は明らかになった現象だからだ。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/482502.html 訳J.S