【金東椿の暴力の世紀 vs 正義の未来】(5362字)
力で押し通す李明博が体得した、「力こそ正義」の現代史 不正な力の根源を暴露し、正義が力となる世界を熱望しなければ
5月4日夜、ハンナラ党は、韓国―欧州連合(EU)自由貿易協定(FTA)批准案を単独で強行採決した。民主労働党・進歩新党などの小政党の反対は、徹底的に無視された。強者の暴力だった。この事件は、韓国社会がいまだに力の論理に支配されていることを如実に示した。『ハンギョレ21』は、不正の力が勝利した現代史の昨日と今日を振り返りつつ、韓国社会が進むべき方向を定めるために、民間人虐殺から企業社会論まで、絶えず現実に足を踏み入れた研究と鋭い批判で研究と社会的実践を並行している金東椿(キム・ドンチュン)聖公会大学校教授(社会学)の連載を始める。金教授のコラム「暴力の世紀 vs 正義の未来」は、過去の不正がどのようなメカニズムで、今日の李明博政府において同じように繰り返されているのかを、歴史的視点と明快な分析によって明らかにする予定だ。――編集者
昨年12月8日の予算案をはじめ、4大河川関連の親水区域活用特別法、アラブ首長国連邦(UAE)派兵同意案、ソウル大学校法人化法など数十の法案を、論議もなしに強行可決した後、ハンナラ党のキム・ムソン院内代表は「私はこれが国民のための正義だと思う」と語った。彼は野党との協議をすべて無視して、力の多数を根拠に、国民の半数以上が反対している4大河川予算にほとんど触れないまま強行採決したことを「正義」と語った。この日、青瓦台(大統領府)の首席秘書官会議でも、懸案となっている法案と予算案の強行採決を決めており、当初予算案を会期内に採決する指針を下した李明博大統領は、このような暴力的な方法で法案を可決したことをめぐって、「予算案を通常国会中に可決できたことは喜ばしいことだと思う」と答え、事実上、この強行可決は彼が背後で演出していたことを認めた。ハンナラ党の関係者も、李大統領の意志が伝えられるや、強行採決でまとまったという。キム・ムソン代表が述べた「正義」は、まさに李明博大統領と青瓦台が考えている正義と見ていいだろう。
「力こそ正義」の論理を実践した独裁者たち
この日、国会からハンナラ党によって引っ張り出された民主労働党のイ・ジョンヒ代表は、「正義という単語が無知をさらすために使われる奇妙な用例」と批判した。イ代表は「李明博政府とハンナラ党は、予算案を12月2日までに採決せよという手続規定を『目的規範』のようにすりかえ民主主義を破壊した」と糾弾した。キム・ムソン代表の言葉のように、予算案が通常国会の会期内に可決されない場合は、国家財政にさまざまな混乱と不便が生じるかもしれない。野党をひたすら説得することも確かに容易ではなかっただろう。強行の理由は、ただそれだけだったのか。提出した予算が全額確保されてこそ4大河川事業を後戻りできないほど進展させられるという大統領の意志が、強行採決の実際の背景だったようだ。いずれにせよ、国民的議論が必要不可欠なソウル大学法人化法などの争点法案までも大量に強行可決し、これが「国民のための正義」と強弁する態度は、私たちの社会の主流勢力の考え方をそのまま露わにしている。
↑ 李承晩、朴正煕、全斗煥ら歴代の大統領は「力こそ正義」の論理を徹底的に実践した張本人たちだ。李承晩、朴正煕、全斗煥元大統領と李明博大統領(左から)。
パスカルは「力こそ正義と言い張ることほど私たちを憤慨させるものはなく、正義が力の裏付けがないために正義として毅然とできず不正に追い込まれていくことほど残念なことはない」と述べた。日帝植民地の状況、分断以後の韓国の政治を予想でもしていたかのようだ。
日帝関東軍将校出身の朴正熙と政治の場で対決した学徒兵脱出者である独立運動家張俊河(チャン・ジュナ)は かつて「私たちの社会は、力が一番であり、力こそ正義であり、力さえあれば他はいらない、という不幸で不条理な考えに陥った。官民を問わず、権力万能、権力崇拝の思考に陥った。力は正義を持たねばならず正義は力を持たねばならないはずであるが、正義に力を与えられなかったので、力こそ正義だと言い張るようになった」とパスカルを引用して朴正煕時代の韓国政治を嘆いた。日帝末期に親日の道を歩んだ尹致昊(ユン・チホ)は、力が強い民族が力のない民族を圧迫することは、「重力の法則と同じくらい普遍的な性質の法則」と断言した。4.19[1960年、李承晩退陣のきっかけとなったデモ]直後、詩人 金洙暎(キム・スヨン)は、「8.15[解放]、6.25[朝鮮戦争]、4.19でくたばらずに生き残ればわかるよ。大韓民国では共産党でさえなければ、人なんか幾千人殺してもびくともしない(時機を逸して嘆いたりはするが)」と韓国で力がまさに正義として機能していた世相を辛辣に皮肉った。
李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)や全斗煥(チョン・ドゥファン)など、歴代の大統領は、力こそ正義という論理を徹底的に実践した張本人だ。専制君主時代やファシズムの指導者、軍事クーデター勢力などの絶対的な権力を振う権力者たちは、自分の政敵に常識的には考えられない罪状をかぶせ、ひとまず有無を言わさず捕まえた後、彼らを処罰できる関連法を探し、あるいは手続きを経ずに法を作り、処罰することが茶飯事だった。李承晩は国会内の反対派の若手議員らを戒厳令を宣布し、国家保安法違反の疑いで拘留した。また、批判的なマスコミは「国是違反」「国威損傷」「国家機密漏洩」などの理由を挙げて萎縮させ、日帝統監府時代に制定された光武新聞紙法や米軍政期の法令まで適用し、『東亜日報』編集局長を在宅起訴し、『京郷新聞』を廃刊させた。一方、ライバルの申翼煕(シン・イッキ)を「ニューデリー会談説」をでっちあげて失脚させ、政敵に浮上した曺奉岩(チョ・ボンアム)をスパイ容疑をかぶせ死刑に処した。
朴正煕の力の論理は、「刀を下げた人になりたくて」小学校の教職を辞め、満州奉天の軍官学校に入った青年時代以降、南朝鮮労働党の細胞として活動した1948年から転向して軍服を脱いだが、朝鮮戦争が勃発し、再び軍に入って以後 1961年まで生死をさまよいながら見ていた韓国の現実から徹底的に体得したものだった。彼が体験した日本帝国主義と解放後の韓国社会で、力は左右を越えた。彼が南労党に連座し死刑直前に奇跡的に生きのびたことも、法と原則ではなく、丁一権(チョン・イルグォン)などの知人らの力によってであり、1950年代軍隊で出世できなかったのも力がなかったからだ。そこで彼は力を持つために憲法を無視して、5.16クーデター[1961年]を敢行した。朴正熙と5.16軍事クーデター勢力は法的根拠なしに開かれた国家再建最高会議で、国家再建非常措置法、革命裁判所および革命検察部法、特殊犯罪処罰に関する特別法等を制定し、この法律が制定される以前の行為に遡及適用することによって進歩・革新系の人々を逮捕し死刑にさえ処した。この際、法治あるいは法の名のもとで政敵や危険勢力を捕まえたが、それは誰が見ても権力者による政敵への報復だった。彼らにとって法は正義ではなく、「力」を包装してくれる装飾品だった。
正義の不幸、不正の幸福
光州5.18[1980年の光州民衆闘争]当時の民主化デモを力で鎮圧し、デモの群衆を大量虐殺した後に政権を握った全斗煥は、「正義社会」の具現という旗印を掲げ、新しい党の名前に「正義」を入れて、かの有名な「民主正義党」を結成した。それに先立ち、全斗煥は金大中(キム・デジュン)などの政治的反対勢力を内乱陰謀者として逮捕し、労働組合の活動家らを社会浄化のためとして皆 解雇・逮捕し、批判的な大学教授を大学から追放した。全斗煥政権にとって正義とは、光州での軍靴と銃剣、拷問の道具である水と電気と角材であり、デモ隊をまっすぐねらった催涙弾だった。当時、実定法こそが正義とされ、数多くの在日朝鮮人、教師、拉北漁師がスパイとしてでっちあげられ監獄に入れられ、朴鍾哲(パク・ジョンチョル)が拷問で死亡し、権仁淑(クォン・インスク)が性拷問を受けた。
昨年末、多数の力で予算案を強行採決したことを「正義」と定義したキム・ムソン代表の発言は、新しいことでも驚くべきことでもない。過去の彼の先輩たちは軍事力や暴力が正義だと言ったが、今では多数こそ正義だに変わったに過ぎない。民主化された後の力の主体、つまり、彼らが言う正義の根拠と主体が変わり始めた。軍隊、安全企画部、国軍機務司令部、警察は徐々に退き、国会、裁判所、マスコミがそれらに替わり始めた。ところが、李明博政府になって、可決しようとする法律は強行可決し、政治的に処罰したい人や集団は、人々が思いもしない死文化した法律の条項を引っ張り出して強引に起訴し、反対勢力のデモは力で鎮圧する、李承晩・朴正煕式の正義がより一層強まった。ろうそくデモにベビーカーを引いて参加すれば「児童虐待罪」で処罰するぞと言い、鄭淵珠(チョン・ヨンジュ)韓国放送(KBS)社長を任期終了前に追放する大義名分がないため、会社に損害を与えたとして背任罪で起訴し、ミネルバ[経済分析記事を書いていたインターネット論客]を電気通信基本法という見たことも聞いたこともない法で逮捕し、100万人が見たろうそくデモの動画を自分のブログにリンクしたキム・ジョンイク社長を大統領名誉毀損罪で起訴したのが代表的な例だ。李明博政権の下で法は正義ではなく、政治的反対勢力、つまり処罰したい人を処罰するための手段に転落してしまった。
李明博政府になって力を得るには、何が何でも選挙で勝利しなければならず、ひとまず多数になれば力の強い地位は無条件に占める権利があり、部下はその座を占めた人に無条件に従わねばならず、結果よければすべてよしという論理が私たちの社会に再び登場した。したがって、今日の韓国はギリシアのソフィストであるトラシュマコスがソクラテスに投げかけた質問「正義の者は不幸で、不正の者は幸せだ」という公理が当てはまる社会、張俊河が言う 力こそ正義だと言い張る社会となった。
正義なき力は圧制であり、力なき正義は弾劾を受ける。正しい者を強くしたり、強い者を正しくすることは全く難しい。だから庶民は力こそ正義だと考え、力に服従することだけが最も現実的な選択肢だと考えるようになった。それは、尹致昊が言ったように「強者の好感を買うこと」である。韓国社会の大衆は力を尊敬はしないが、ただ生存のために力に服従する。良心ゆえに到底できない場合は抵抗するが、それも駄目ならば、極端な選択つまり自殺を選ぶ。全泰壱(チョン・テイル)を筆頭とした労働者たちの焼身は、このような理由から発生したのだ。一方、過去に民主化運動に身を置いた人の中には、正義に力を与えることが困難だと判断し、力に正義を与えるという名分の下、力のある側に行った。しかし、力は個人の集合であろうか。彼らは力に正義を与えることは容易ではないと痛感した後、自らも結局、現実的なものこそ理性的なものであり、現実的な力がまさに正義だと主張する側の先頭に立つようになった。
私たちの現代史を振り返ってみると、正義が力になった時期は短く、ほとんどは力が正義になりすましていた。韓国の歴代のすべての世論調査によると、国民は私たちの社会の力ある集団や組織を信頼しないと答えている。特に私たちの社会では、力のある組織であればあるほど、より激しい不信感を受ける。さて、これが正常に支えられた国家といえるだろうか? 国家と法と公権力は君臨こそしているが、その社会的、道徳的な基盤は、取り返しもつかないほど崩れている。神学者アウグスティヌスは、正義がないところには共和国もないと述べた。その場合どうすればよいのだろうか? どうすれば共和国を建設し正義の者が幸せになれるのだろうか?
正しい者を強くすること
パスカルが述べたように、正しい者を強くすることが最も重要である。それは政治の舞台に誰が立つか、どのように政治をするかの問題だ。そのためにはまず、不適切にも力を持つようになった人々の履歴と由来を満天下に知らせなければならない。しかし、正しいことをして弾劾された人を記憶し慰労し、彼らの痛みを共感することも同じくらい重要である。関心、知ること、連帯、共感は、正しさが力を持つようにしてくれる武器だ。したがって私たちは、今日の政治を、力が正義として君臨するようになった韓国社会のメカニズムの中で再読しなければならず、力が正義となった歴史を見ながら、正義が力になりうる世界を熱望せねばならない。
金東椿(聖公会大学校社会科学部教授)