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[朴露子ハンギョレブログより] 青年革命のために!

登録:2011-05-29 11:35
http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/35396

原文入力:2011/05/25午後11:47(3545字)

朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

私は今 朝鮮半島のとても美しい片隅、江原道寧越郡を訪れています。ここで「寧越延世フォーラム」という催しが開催され、しばらくの間、討論や発表をすることになっています。率直に言うと、発表の内容より、東江の向こう岸の雄大な山々の姿を見る方が遥かにわくわくするし、面白いです。たとえ狂った開発が横行し、癌細胞のようにゴルフ場などの社会貴族たちの娯楽施設が 内部植民地に転落してしまった地方の至る所を侵している状況であっても、この山々は黙々と堪えているのです。その雄大さは、狂った制度下でそのまま狂っていく人間たちが犯しうる暴力のある内在的な「限界」を示しているようです。MBらが凶悪な破壊をしたあげく退陣し歴史のゴミ箱に放り込まれ、大韓民国のような土建国家が人間と自然を毀損しているうちに窮極の敗亡を迎え消えていっても、この山々は常に堪えていくことでしょう。この山々は今頃、麓で蟻みたいな人間たちがしでかすことどもを見ながら果して何を考えているのでしょうか。

国外とは明確に区分される、このような国内的な大型行事の特徴は、多数のコンパニオンたちが動員されるということです。朝早くから夜遅くまで働いても、食事もまともに与えてもらえないようです。食事は出ることは出ますが、私の感じでは少し不十分です。ご飯とおかずは出るものの、魚料理さえも出されず、若い人々の空いたお腹を満たすにはやや足りないような気がします。主に欧米圏や日本、中国から訪れてきた発表者の「方々」にはもちろん牛肉などが提供されるのですが、驚くべきことに こうして身分別に食堂も食事の内容も異なっているという「差別待遇」については誰もあまり気にしていないようです。まあ、身分社会は身分社会ですね。このコンパニオンたちに日当がいくら支給されているかは調べられなかったものの、少し聞いてみたところ少額のようです。それなら、こんなに大変な苦労を強いられても報酬もろくにもらえない仕事にどうして皆が首を突っ込むのでしょうか。外国から来た、なかなか会えない人々に出会えるチャンスだからといった内容の説得(?)もあったかもしれませんが、どうやら それだけではないようです。私の推測では、一応「国際行事の補助員」を務めたという1行が略歴書に書き込まれることを皆が就職時にプラスになると考え、こうして必死になっているのではないかと思います。私たちはよく北朝鮮で建設部隊がほとんど無給で「速度戦」をしながら施設を作っていく姿に驚愕し「賦役労働」などと批判しますが、このいわゆる「自由民主主義的な」南韓でも事実上 無給に近い若者たちによる労働の提供が行われているのです。そこまでして、最早 特権になってしまった自分の労働の定期的な販売(すなわち、正規職就職)の権利を獲得しようとしているのです。

絶望的に、なんとしてでも、身を粉にしてまで「スペック」を積もうとみんな死に物狂いでがんばっているものの、藁を十本掴んだところで、新自由主義的な労働市場の怒涛にどうして立ち向かっていけるでしょうか。今日34万人にも登る(9年前までは22万だったのが、盧武鉉/李明博新自由主義的政権の献身的な努力のおかげでこうも早く成長できました)大卒失業者たちの中には、国際行事のコンパニオンを何回も経験した人も、全校トップで「先進国」に交換留学という名の「巡礼」を行ってきた人もざらにいます。いくら経歴が優秀でも、利潤追求の論理の延長線上で「費用の節減」のみを追い求め、なるべく新米を減ら既存社員たちを長期的に集中搾取したり、インターンやバイト生としては使っても正式には雇ってくれなかったりなどと、あらゆる手口で被雇用者に対する「責任」を放棄しようとしている企業主たちの優先順位を変えることはできません。今、青年の失業率は公式統計でほぼ9%ですが、バイト生などの極端に不安定な労働者たちを併せれば約20%に達する可能性が高いとされています。公式統計をそのまま信じても、毎年この数字は約0.5%上がっているのですが、このままいけば、大韓民国の青年層の未来は火を見るより明らかです。その上、借金して殺人的な授業料を払い 1千万ウォン以上の負債を抱えプーになってしまった多くの人々の境遇をも考え合わせれば、今日の大韓民国における若者たちの「絶望の水位」がお分かりいただけるはずです。これほどまで多くの若者たちが崖っぷちに追い込まれているため、「国際行事のコンパニオン」を少しやることでも夢のまた夢に見えるほどです。

単に利潤というより、極めて短期的な利潤を優先する新自由主義的な資本主義のもとでは、大韓民国の若者たちの絶対多数には「周辺分子」以上の如何なる未来もありません。彼らを少しでも救えるのは、企業などの雇用政策を「利潤優先」から「社会政策優先」へと画期的に変える、計画経済的な要素の大幅な導入でしょう。たとえば、非正規雇用の事由が法律で厳格に制限され、雇用の規模を人為的に縮小したり非正規雇用が一定の水準より多い企業などが、国有化された銀行から貸し出しも受けられず、国家に(若い失業者たちのための手当てとして使われる)罰金を払わなければならなくなったら、若者たちも少しは息ができるようになるでしょう。もちろん人間に利潤からの解放、すなわち人間らしい生き方が保障できるのは社会主義のみですが、社会主義への移行は歴史的にある程度の期間を必要としているため、今すぐ、取りあえずはこの砂漠で「仕事」と「社会への編入」に対する渇望で死につつある人々を蘇らせることが急務でしょう。ところが、少しでも多くの疏外された若者たちを活気付けることのできる計画経済の要素を、果して私利私益のみを追い求めているこの社会の「親分」たちが自発的に取り入れられるでしょうか。そんなことはありえない話で、このような変革を成し遂げるには、革命に近い下からの運動が必要でしょう。そして若者たちこそがこの運動の「主力部隊」にならなければならないでしょう。20世紀初頭の話題は「労働者革命」だったのですが、今日の話題は「労働者にすらなれない、労働者になっても下級労働者として生き続けなければならない若者たちが導く革命」です。一旦 若者たちが主導していけば -ロシア革命当時も都市部の熟練工にかなり多くの貧農たちが従ったように- 他の年令層の労働者たちも加勢すると思いますが、それでも若者たちこそが「主力部隊」役を務めなければならないようです。

今日、若いプータローたちのお父さん、お母さんたち、中でも特に低熟練非正規労働者たちは死に物狂いで生きています。しかし、彼らの場合は「絶望」よりは「諦め」の雰囲気が支配的です。彼らとは違い、彼らの子どもたちは べらぼうなお金を掛けてなんとか高等教育を受けても、それに応じた社会的な見返りをまったく施されず、周辺部に疎外される一方であるだけに、遥かに強く裏切られた気持ちや挫折を感じるのも当然なことです。しかも、上の世代とは異なり、若者たちは国際的な移動性も優れているため、他の産業国家に比べ大韓民国がどれほど福祉や労働政策の分野で後進的であるかを大体分かっています。それにインターネットや携帯を通じた「連絡網」の構築が容易いため、キャンドルデモの際に確認されたように機動性も備えています。そうした側面では、彼らこそが大韓民国を揺さぶる次の大衆行動の火ぶたを切ることになるのではないかと思われるのです。

1968年にパリの若者たちが権威主義的な人間関係の撤廃と 資本主義的な疎外の廃絶を要求し、1987年にソウルの大学生たちが民主主義を要求しました。2012年ないし2013年に韓国の若者たちはおそらく「職をくれ」、「お腹を空かしたプータローで一生を送りたくはない」、「授業料を無くせ」などと叫びそうな気がします。ある面ではほとんど低レベルの「経済的な要求」に近いものでしょう。ところが、個人の徹底した要求から始まったこの運動は、結局のところ民主主義拡大の問題、そして窮極的に資本主義撤廃の問題に広がっていくことは十分可能なことです。人間は人間として生まれた以上、お腹を空かした奴隷はもちろん満腹な奴隷としてでも一生を生きていくことはできないからです。

原文: 訳GF