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[特別寄稿] ‘MB以後’の大きな絵を描こう/白楽晴(ペク・ナクチョン)

登録:2011-05-16 13:29

原文入力:2011-05-15午後07:38:15(3379字)

←ペク・ナクチョン ソウル大名誉教授

2011年の韓国はすでに2012年に関心が注がれている。来年の選挙がそれだけ重要な事件であるためだ。換言すれば‘MB以後’の韓国と韓半島、ひいては東アジア全体の将来を左右するためだ。李明博大統領が退任する2013年2月から誰が後任になろうが‘MB以後’が始まる。
問題はどんな‘MB以後’かということだ。

李明博政府3年余りの間があまりにもしんどいので‘誰がなろうが、これよりはマシだよ’という心境で、ひたすらMB時代が終わることだけを待ちこがれる人々も多い。だが、そのような小さい願いでは、もう一度狼狽することになる。李明博時代の韓国社会の乱脈様相が一次的には大統領の責任であり、次いで政権核心勢力の誤りが大きいが、それが事態の全てではない。1987年6月抗争で大韓民国は独裁政権を終わらせ民主化と経済発展が同時に進行する時代を切り開いたが、四半世紀がほとんど過ぎ去ろうとしていても次の時代へ渡る契機を作れずにさ迷っている末期的現実が‘MB時代’でもあったのだ。実際に韓国がこういう末期局面に進入したのはMB以前だった。2008年を‘先進化元年’にするという空虚な公約に多数の国民が動いたのも新時代に対する渇望が国民の胸中に広く位置していたためだ。

2013年以後にも新時代を開くことができないならば、さらにおぞましい退行と墜落は避けられないだろう。それは単純に前任者より信用でき品格のある人物が執権するとか、民主政府をリードした勢力が再執権することだけで解決される問題ではない。

したがって2013年以後にも新時代を切り開くことができないならば、韓国は今までよりおぞましい退行と墜落を免れないだろう。これは単純に前任者より信用あって品格ある人物が執権するとか、一時民主政治部を導いた勢力が再執権することだけで解決される問題ではない。何らかさらに根本的な変化を成し遂げなければならない峠に差しかかったわけだ。そのような意味で私は‘2013年体制’という概念を提示したこともあるが重要なのは名称ではなく具体的な絵であり、それを現実に変える能力だ。

それでは2013年体制という名前に値する‘MB以後’はどんな内容を備えなければならないのだろうか? まず私たちが韓国戦争休戦以後、常に夢見てきた韓半島の平和体制をいよいよ達成することだろう。戦争の威嚇なしに安心して暮らせるということは、もちろん軍事独裁時代の悪習の復活を防ぐためにも韓国、北韓と米・中が参加する平和協定が締結されなければならない。また、盧武鉉大統領が一貫して強調した‘原則と常識が通じる社会’がきちんと具現され始めなければならない。同時に国政の目標が経済成長自体より(適当な経済成長も含む)国民の福祉に変わる時代でなければならないだろう。それは直ちに福祉恩恵をどれくらい全面的にまたは、選別的に拡大するかという問題以前に、私たちが指向する社会の姿をどのように設定するかという問題だ。そうした点で福祉は当然に平和問題と直結し、教育・環境・労働などあらゆる分野での画期的転換と結合する時だけに意味のある成就が可能だろう。

そうなる時、李明博政府スタート以来、顕著に深刻化された私たちの社会の内部葛藤が緩和され‘社会統合’の進展ができるだろうが、そのためにも2012年に一度の激突は避けられそうにない。この地の守旧勢力が国民の信頼を大きく失い、合理的保守主義者らからも批判を受けているが、彼らは李明博政府下で社会の有利な高地をより一層多量に占めており、国民総所得の中で自分たちの配分を精一杯に高めておいた。こういう特権的地位を傷つける変化に、彼らがたやすく同意するわけはない。‘親北左派’と‘亡国的ポピュリズム’清算を叫ぶ強硬路線を選ぼうが‘暖かい保守’を前面に掲げる穏健策を選ぼうが、総攻勢を行うだろうし その威力もまた、無視できないだろうと見る。
激突の主要現場は当然、2012年の選挙空間だ。ところで現在、進歩改革勢力は絶対的に劣勢であるのに加え、色々な政党に分かれており、支持率1位の与党大統領選候補と釣り合う人物も未だ見えないのが実情だ。こういう状況で進歩改革勢力どうしが力を合わせてこそ何らかの可能性が開かれるだろうということは常識に属する。

‘MB以後’に対する大きな絵を先に描く手順の妙が緊要だ。そのような大きな願いを立て、その実行に没頭する過程こそが、見慣れた顔であれ新たに浮上した顔であれ、真の政治指導者として成熟する近道となるだろう。

現実に最近の4・27選挙は連合政治が民心の命令であり選挙勝利の必要条件でもあることを確認させてくれた。同時に候補単一化が勝利を保障しないという事実も立証した。単一化の過程自体が国民を感動させ良い候補を選定する結果にならなければならないということだ。したがって来年の総選挙ではどんな方式の連合が最善か、多様な議論が起きているのは当然のことだ。

ところで連合政治議論も4・27を体験して、もう少し進化しなければならない時点に至った。主な争点は未だに、全面的な候補単一化は不可能だから、統合された単一野党を作る道だけという立場と、単一政党は不可能だから似た政党が統合した後に残った党が連帯しなければならないという立場の差であるようだ。‘統合 対 連帯’の議論自体は当分更にしてみる必要がある。しかし統合論にしても、例えば4・27補欠選で連合政治ができないことを前提に単一野党建設運動にまい進しようと言うならば‘どうせ不可能’という論法からは抜け出さなければならない時だ。一方、進歩政党統合を後回しにして より大きな連帯を図ろうという側でも、完全な単一野党ではない‘統合的’政権継承政党を追求する動きが現れる時、これを無条件に民主党の図体拡張と罵倒してはいけない。その統合が民主党を含む参与勢力の徹底した自己革新を伴う統合か、そして不参与勢力との連立政府構成を一から設計する政権継承政党なのかを先に検証し、よりズバリと包み隠さずに討論する必要があるだろう。

一地方区から国会議員一人ずつを選ぶ総選挙が、共同政府構成を約束できる大統領選挙より連合政治に不利な勝負であることは事実だ。しかし確実な大統領選候補を持たない野党圏としては、総選挙を先に行うということが幸いな面もある。どうせ連合政治をせずには候補がいても勝利は難しく勝利したこともないのが韓国の政治地形であるのに、連合政治がまともに結実しさえすれば大統領選挙走者がいなくても議会を掌握でき、そうした時に国民はすぐ8ヶ月後に反対陣営の大統領を選ぶことにより国政混乱を自ら招来することを敬遠するはずだ。いや、18代国会を通して議会が当然に遂行するべきだった国政監視および独自的立法機能が回復した時‘MB以後’が明確に変わらなければならない必要性が国民に切実に迫るだろう。

そのような結果のためにも‘MB以後’に対する大きな絵を先に描く手順の妙が緊要だ。選挙勝利のための政治工学にあまりに早くから没頭し、交渉自体が失敗したり成立したにしても国民の感動を失う危険を避ける道でもある。顧みれば大韓民国は奇形的な分断国家として出発したが、民衆の血と汗で今のように誇らしい歴史を作った。今こそもう一度 国民の力による跳躍を成し遂げ韓半島平和を定着させ韓国社会の民主的改革作業を再稼働し、東アジア地域連帯の促進者に復帰する‘2013年体制’の設計を提示することさえできるならば、その成就のための特定方法に束縛を受ける理由はなく国民はこの企画に対する献身可否を政治指導者の最大資格要件と見なすだろう。いや、そのような大きい願いを立て、その実行に没頭する過程こそ、顔なじみの顔であろうが新たに浮上した顔であろうが、真の指導者として成熟する近道になるだろう。

ペク・ナクチョン ソウル大名誉教授

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/478009.html 訳J.S