原文入力:2011/04/20午前02:19(3545字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
私は先日ノルウェーで生まれた息子に私の故郷を見せたい一心で短い日程で故郷レニングラード(現 サンクトペテルブルグ)に行ってきました。ロシア語のまったくできない息子が果して私の故郷をどのように認識したかを正確に把握するのは難しいのですが、自分にとっては衝撃の連続でした。昨年レニングラードを訪ねた時もそうだったのですが、何よりもロシア社会における「格差」の大きさに驚きの連続でした。息子の大好物である寿司屋に行き、二人で最も安い寿司とキムチスープを食べるのに掛かった費用はなんと韓貨で約4万ウォンです。ソウルどころかほとんどストックホルム並みの物価水準なのです。しかし、中心街のネフスキー大通りを歩く人々の中には年金の月額平均が韓貨25~30万ウォンほどの年金生活者たちも大勢いました。彼らや月12~14万ウォンほどの給料を受け取っている大学街の非常勤教員は、果してどのような視線でその寿司屋を眺めれば良いのでしょうか。寿司などは食べなければ済むのですが、韓国より平均賃金がほぼ倍以上低いロシアでは、トロリーバスやバスの乗車券がもし約1000ウォン、すなわちほぼソウル並みになったら、それはまさに災害なのです。年金生活者たちにはそれでも無料乗車券が交付されているものの、大学院に通ったり非常勤教員として食いつないでいる「学界プロレタリアート」の立場としては果してこんな生活が地獄とどこが違うのかわかりません。お金持ちたちの邸宅はほとんど19世紀のロシア貴族たちの農場をしのぐほどですが、私が数日通った国立図書館のアジア及びアフリカ書籍部(OLSAA:http://www.nlr.ru/fonds/vostok/)は、建物は今にも倒壊しそうで補修工事が急がれており、水道や電気もしばしばトラブルを起こし止まったりしていました。読者も一人も見当たりませんでした。この地獄的な社会で食いつないでいかなければならない人々にとって図書館通いはすでに贅沢なものになって久しいのです。
凶悪な安保屋たちが民主主義を枯死させ統治し、不正腐敗が社会の隅々まで浸透し「格差」はすでに中南米並みに達した所が今日のロシアです。それならば、今日のロシアの知識人たちは -例の中南米の多くの知識人たちのように- 果して従属理論や内包的民衆経済理論、解放神学などを勉強しながらチャベスのような「平和的な革命指導者」に鼓吹されているのでしょうか。とんでもありません。ごく少数の左派は当然存在するのですが、少なくとも私の会えた家族や親戚、韓国学関係の同僚たちの中には急進左派はもちろん社民主義的な穏健左派さえもいません。私の経験ではなく統計によれば、若者(10~20代)の中で政治に少しでも関心を持つ人々は約8%なのですが、その多くは様々な民族主義的、国家主義的な傾向に合流はしても、左派はほとんど遠ざけられています。もちろん、「自主派」、「民族左派」の存在する韓国のように、ロシアでも一部の民族主義者たちは少なくとも反米志向という意味から左派との僅かな接点はあります。しかし、特に「中産階層」の間では左派はほんの一部のゲットーにすぎません。もちろん、「中産階層」という用語そのものは正確さを欠いているので問題があります。様々な定義がありますが、概していえば、財産の側面からの中産階層とは、安定した職場と住宅、自動車の所有、西洋の中産層並みの消費生活を享受している階層だとすれば、身分(学歴)の側面からの中産階層とは大都市に住む高学歴の安定したホワイトカラーの職種に従事する人々です。前者の政治的立場についてはあえて取り上げるまでもありません。私の親戚の多くは後者に属しますが、彼らも一様に資本主義をほめたたえ(本人たちが無料で良質の教育を受け楽な生活を享受してきた)「現実社会主義」を口を極めて非難し否定するのです。一体どうしてなのでしょうか。
誠に謎としか言いようがありません。確かに、私の家族や親戚の中の40歳以上の人々は、老人の年金が寿司屋でかろうじて6~7回食べられるほどの小額で、働き疲れた大多数の庶民たちが仕事を終えて帰宅した後にはまともな本を読める気力もない、この地獄的な現実を不満に思っています。しかし、それにもかかわらず自分たちの国を、ほんの僅かの傲慢な大金持ちや官閥と大多数の疲れ果て ぐちゃぐちゃに踏みにじられている庶民たちが各々別の世界に住む「二重的時空間」に作り変えた資本主義を、彼らはまったく批判できません。プーチン独裁は批判できても、資本主義は彼らにとって神聖不可侵なのです。一体何故に現実認識と理念の間にこれほどまでに甚だしい乖離が生じたのでしょうか。資本主義が滅ぼしてしまった国の惨めな姿を毎日目の当たりにしている人々は、なぜ「病因」については何も考えずに病状のみを嘆いているのでしょうか。
ここで一つ重要な理論的部分を指摘しなければなりません。資本主義社会は根本的にはごく少数の搾取者と大多数の賃金労働者(被搾取者)からできていますが、後者はさらに徹底的に序列化されているということです。学歴の序列(「名門大」対「非名門大」)から職場間の序列(「大企業」対「中小企業」)、職場内の序列(「下級管理者」対「単純労働者」;「正規」対「非正規」)まで、被搾取者たちは徹底して分散しています。左派が伝統的に強い、フランスのような社会では判事や検事までも自分たちのことを労働者と規定し、一緒にストライキやデモを起こすことがありますが、「通常の」資本主義社会では被搾取者だからといっても、ある程度のレベルに達しさえすれば、ほとんど「自動的に」自らの労働者性に対する自己認識が消滅し始めます。たとえば、国内の「名門大出身の大企業最下級管理者」は学術的にいえば、あくまでも「労働者」に分類されるでしょうが、彼が労働者たちの闘いに合流する可能性は果してどのぐらいあるでしょうか。ロシアのような、比較的に貧しく不安定で社会的な正義も基礎的な合理性も認められない社会で資本主義が生き残りうる理由は、まさにこのような被搾取者階級の「垂直的な分散」にあります。被搾取者の上層や中間部分が「小さいけれど大きい」特権を享受しているだけに、現政権には批判的であっても資本主義には敢えて口出しできないわけです。
この「小さいけれど大きい特権」とは果して何でしょうか。何よりも学歴資本の子息への承継可能性です。一旦 高学歴の家庭で生まれた子供は、大学教育を受け(男の子の場合は)軍への徴集を延期したり、(博士学位を授与された場合は)免除される可能性が高いのです。ソ連時代に生まれ すでに高齢者になった高学歴の親自身は低賃金のホワイトカラー(教授、教師、公立病院の医者等々)のままであっても、息子や娘が幸いに西側に出て就職したり、民営会社にうまく就職しお金をたくさん稼ぐ場合には、家族全員がそれで得をすることになります。それに、多くの高学歴者たちには副収入を得る機会が開かれています。教師や教授による家庭教師の仕事などの私教育分野から公立病院の医者による個人的な診療までです。彼らは、客観的に見た場合は労働者に属しますが、肉体労働をする人々とは別の世界に生き、別の夢を見ています。まさにこのような分散で資本主義がその生命を維持しているのです。
だからといって、ロシアのような準周辺部の国家において資本主義が永遠に続くかといえば、必ずしもそうでもありません。完全に腐敗したその支配者たちは、世界恐慌の影響から西洋列強たちとの矛盾の管理までをまともに調節できない可能性は多分にあります。1905年、日本に大敗したロシアで中産階層までが加勢した1次革命が起きた前例もあるではありませんか。そのようなことが今後起こる可能性は高いのです。ただし、中産階層までが革命に加勢し、少なくともその前衛的な一部でも工場の労働者、青年、移民労働者たちと手を取り合うためには、革命的な前衛、すなわち(少数の)ロシアの社会主義者たちの意識的な努力は大いに必要でしょう。資本による私たちの階級の分散を克服することは困難です。しかし、その分散がある程度 克服されれば、歴史の流れはついに変わることになるのです。
原文: 訳GF