原文入力:2011-03-22午後08:24:43(1788字)
←和田春樹東京大名誉教授
[ハンギョレ-市民社会団体連帯会議共同キャンペーン] リレー寄稿/和田春樹
3月11日朝<朝日新聞>は1面トップに‘総理に不法献金疑惑、104万円 在日韓国人から’という題名の記事を載せた。この日は土肥隆一 民主党議員が日本政府に独島領有権主張を止めろと要求する宣言文に署名した責任を負い、院内と党内職責を辞任すると語った事実も報道された。この日、衆議院予算委員会では総理に対する在日韓国人献金問題を何度も挙論し真相究明を要求した。前原誠司外相が自身の地方区で焼肉屋を営む在日韓国人女性から25万円の献金を受け取った事実を追及された結果、外相職を辞任したのがその四日前だった。前原外相に対する執拗な追及は彼が北韓と交渉を始めなければなければならないと主張した事実と関係がなくはなかった。日本の政治資金規制法は外国人の政治献金を明確に禁じている。しかし、日本に長く暮らし税金も払っている地域社会(コミュニティ)構成員から受け取った献金を、改めて政治家に対する攻撃手段として利用しようとする手法は私たちの心を凍りつかせるのに充分だった。私は本当に耐え難かった。
私たちが暮らしている東北アジアはどうしてこういう対立感情と排外主義と敵対行為が渦巻く地域水準を抜け出すことができないのだろうか。昨年9月、尖閣諸島で起きた中国漁船船長逮捕事件で日本-中国間に緊張が走った。11月にメドベージェフ ロシア大統領が国後島を訪問すると日本‐ロシア間にも緊張が造成された。そして11月23日には北韓の延坪島砲撃が悪夢を見させた。私は昨年から日本が北韓と無条件に国交を樹立しなければならない、東北アジアの雰囲気を変えなければならないと主張してきたが、菅直人政権がそうした側に動くという期待は完全にたたむ他はなかった。
まさにその時、東北大地震が起きたのだ。東京の我が家も耐えがたいほど揺れ、私は家の外に避けて身を守った。災難後の東北地域の風景はまさに原子爆弾投下後の広島、長崎の光景そのものだった。その地域の北側の女川原発は海抜15mの高さに建設されており地震津波に耐えたが、海岸の埋立地に建てた南側の福島原発は地震津波で冷却装置が壊れ相次ぎ水素爆発を起こした。地震と津波と原子力災難の3つが東北地方に壊滅的な打撃を加えた。
旧約聖書ヨブ記 1章21節に「ヤハウェが与え、ヤハウェが再び持っていかれる」という話が出てくる。これは拉致被害者 横田めぐみ氏のお母さんの早紀江氏が大切にしている一節だが、そのお母さんを思い起こす度にいつも考える。自然は与え、そして奪っていく。その巨大な力の前に人間が考えなければならないことは人間どうしが戦って互いに苦痛を与えることを減らしていかなければならないということだ。
その日からすべての日本人たちがテレビの前を離れず、被害がどれほど途方もないことかを理解したし、人々の苦痛を見守りながら再起しようとする彼らの姿に感動した。日本人が先ず自分たちの国がどんな国でなければならないかを考え直してみる契機にしなければならない時がきたと私は感じた。
この苦難の中で外国人滞留者たちも特に大変な境遇になった。彼らが日本を脱出しようとするのは当然のことだ。テレビで中国の若い女性たちが日本人と泣きながら再会を約束して帰国の途につく姿を見守った。仙台から脱出したナム・キジョン教授が日本人難民を受け入れる施設を仁川に作らなければなければならないと提案した事実も新聞で読んだ。韓国でも中国でもロシアでも、日本を助けようという呼び掛けと行動が眩しい。真に有り難いことだ。
私は東北大地震という1000年に一度の苦難が東北アジアの人々の心をまとめてくれていると感じる。罪のある者は罪を悔い、怨恨のある人は怨恨を越え和解し協力して、新しい共同の家を作り地球、自然との共生に進むことを願う。
和田春樹東京大名誉教授
翻訳 ハン・スンドン先任記者 sdhan@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/469282.html 訳J.S