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[朴露子ハンギョレブログより] 私は何故に社会主義者なのか―日本の状況についての断想

登録:2011-03-18 13:54
http://en.wikipedia.org/wiki/Frankenstein

原文入力:2011/03/18午前02:44(3456字)

朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

ここ数日、私という存在は一瞬一瞬を「日本」に帰一しています。ものを書いていても授業をしていても家族たちと一緒にいても、いつも日本の事態に関するニュースを見たい衝動に駆られてしまいます。よく「隣国の災い」と言いますが、私は日本で起こっている出来事について、日本を別の「国」、すなわち国民国家とはあまり認識していません。むしろその国家的な所属と関わらず、韓半島から非常に近い列島に住む衆生たちだと思っています。また、地理的には互いにやや離れていても、ただ今日本列島の住民たちの直面している災難はそのまま韓半島の人々の懸案でもあるという認識はとても強く持っております。国内のメディアは「我が国は安全地帯」と吹聴していますが、今のようにあまりにも刺激の強い対北政策が本当にいつか局地戦に飛び火し、南韓の21ある原子炉の一つにでも砲弾やミサイルが当たったと想像してみてください。「戦時」ということをも考え合わせると、ただ今日本列島の住民たちが受けている災難より遥かに恐ろしい災難を招きかねません。もちろん、南韓の保守メディアがいくら「悖倫児 金正日」を非難しようが、いかなる極端な場合にも彼がそのようなことをしでかす可能性は大変稀薄であるという点を、実はよく弁えています。逆に、そのことを知っているからこそ、今のようなあまりにも挑発的な対北政策を推進する勇気でも出しているのでしょう。ところが、軍事衝突までいかなくとも、原発とはいつなんどき制御不能なフランケンシュタイン()に急変するか、実は誰にも分からない代物です。何の前触れもなくいきなり起きた1986年のチェルノブイリの惨事を思い起こせば気が付くはずです。原発は時限爆弾 -正確には核爆弾- であり、私たちは今この爆弾を抱いて眠ることを強いられているのです。「安全地帯」? まあ、有事の際にはいつでも家族たちをみんな連れて彼らの「内地」ともいえるアメリカに引越す用意のできている韓国の支配者たちにとってはどこでも「安全地帯」なのです。「世界人」の真似ができるだけのお金と各種の書類をすべて備えているからです。ところが、この地に縛られている彼らの僕たちは福島県の住民たちのような無惨な運命をいつ味わうようになるか、誰にも分かりません。そのため、福島県とその周辺の被害者たちは当然国境などとは関わりなく「私たち」と認めなければなりません。

さて、私は「歴史学」を売ってご飯を食べている職業柄、今のように核爆弾を抱いて眠るようになった歴史的な起源から考えてみることを一次的な義務としております。日本も韓国も同じく原発に頼るようになったのは1973年のオイルショック以降です。国際原油価格高騰という状況は、両国の経済の「主力部隊」であるエネルギー集約型の造船、自動車、電子産業の利潤率を維持するためには、「安価な電力」が必要だったということです。もちろん、事実から言えば、原発建設は決して安くありません。ところが、その建設は、朴正煕、全斗煥時代は韓電(韓国電力公社)のような政府出資企業が引き受けたり、少なくとも政府が融資償還を保証することが慣例となっているため、その莫大な費用は結局一般人たちの血税で賄われ、低く抑えられた産業電力の「廉価」で民間企業が得をするわけです。実際、官治経済の時代が終わり、韓電が -金大中(キム・デジュン、1925~2009)政府の軽はずみな新自由主義政策により- 民営化された現在では、原発の運営そのものも国内外資本にとって利潤の源泉となっているのです。韓電でいえば、その大株主の中にはアメリカの銀行JPモルガンと今年から民営化されるかもしれない産業銀行などがいます。ただ今福島県の原発の安全管理に失敗し甚大な災難を起こしたうえに、過去に何度も真実を糊塗し災害を縮小し、露骨な嘘で非難を受けている東京電力について言えば、やはり第一生命保険、日本生命保険などの大型資本が大株主として参加し利潤を得ている利潤追求目的の企業です。結局、製造業資本と原発事業に参加する大企業の利潤追求のためには住民の安全も労動者の命と健康もいくらでも簡単に危険に晒されてしまいます。日本だけをみても、すでに1981年に福井県の敦賀発電所で数百人の労動者たちが放射性物質の漏洩で健康を害するトラブルが起きて以来、次々と人命被害まで引き起こす一連の事故が続きました。7年前に同じく福井県の美浜発電所で4人の労動者が事故で亡くなるなど、絶えず原発の利用者と原発を最も切実に必要とする製造業の企業主たちの利潤の祭壇に働く人々の命が捧げられてきました。にもかかわらず、資本に導かれているメディアたちは原発の本格的な問題点になるべく「触れない」ようにしてきたのです。誰かの利潤のための隠蔽や世論操作は、結局今の亡国的な災厄を引き起こす手助けをしたわけです。

日本の電力生産における原子力の依存度は約34%で、韓国も約28%に昇るため、そんなことを批判したところで代案はあるのかと間違いなく詰問される方がいらっしゃるでしょう。もちろんそれはそうです。互いに競争し合う会社と国民国家の世界では、これといった代案が見えてこないことは事実です。当然、原発のような危険千万な工程を引き受けている電力会社の国有化とそれへの徹底した社会的統制などは直ちに必要な措置と見受けられます。国家は必ずしも「善」ではないにしても、利潤率にそれほど左右されないだけに、費用を減らすために命を危険に晒す可能性が遥かに低いのは事実です。ところが、チェルノブイリの大惨事は私企業のなかった社会で発生したわけですね。そのため、たとえ東京電力が国家に引き受けられ非営利で運営されようが、核爆弾を抱いて眠る基本的な現実は変わりようがありません。基本的な代案は、つまるところ世界規模の社会主義的な計画経済の実施以外にはありません。絶対にないのです。資本主義的な国民国家や市場競争が撤廃され、世界レベルのエネルギー配分計画の樹立及び実行が可能になれば、一応原発という怪物がなくとも韓日の製造業を充分に生かすことができるでしょう。シベリアの水力発電所で生産される電力の送電と環境に災厄をもたらす自動車のようなものの生産量削減、そして全世界の資源を総動員した代替エネルギー開発の最大化により、段階的に現在 電力供給に占める原発の比率を減らすことができるでしょう。しかし、そのようになるには、「ロシア」と「日本」、「韓国」などは資本主義的な国民国家として存在してはなりません。夢のような話でしょう。そうです。今のような世界ではそれは幻想に近いです。今のままでは、韓日の左翼政党さえも製造業などの状況を考慮し「原発廃止」を掲げることは難しいでしょう。

今のような精神病的な資本主義の国民国家のままでは、世界規模の社会主義の実施は「幻想」に見えても、原発の大災害で日本列島の衆生たちが未曽有の苦痛を受けていることは厳然とした現実です。この現実を前にし、それでも私たちの最終的な目的としてこの「不可能に見える」世界的な社会主義を設定しなければならないのではないでしょうか。今はいくら夢のまた夢の、険しい道に見えても、苦痛を受けている日本列島の兄弟姉妹のことを思い浮かべ、私たち皆を「窮極的に」原発の恐怖から解放しうる計画を立ててみることは少なくとも左派の道徳的な責務ではないでしょうか。左派とは、元々俗物的で「現実的」な政治家たちが絶対に考えられない、汎人類的で未来指向的な計画を遠大に設定することのできる人々の汎称ではないでしょうか。ともあれ、福島県の悲劇を見守りながら、私は社会主義的な信念を堅めているだけです。究極的に社会主義が実行されなければ、地球人たちには苦しい絶滅しか残された道はないと私は確信しております。今福島県で起こっている出来事を目にし、その最後の影を見ているような気がします。

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/32642 訳J.S