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[キム・ヒョスン コラム] 原子力発電大国で広がっている実際状況

登録:2011-03-14 11:05

原文入力:2011-03-13午後08:01:16(1772字)

キム・ヒョスン論説委員

口蹄疫事態を体験する中でずっと気まずい思いをしてきた。元気な牛や豚をそのまま生きうめするのを見ながら、こういうことでは私たちが天罰を受けることになるだろうという思いを拭えなかった。区域を定めておき、区域内の家畜を画一的に殺すという殺処分の発想の根元がとても恐ろしかった。殺処分の対象が人になればホロコーストになるのではないだろうか?

だが、隣国日本であれ程の大災難が起きるとは夢にも想像できなかった。先進国の中で日本のように体系が整備され治安が良い国も珍しい。しかし日本社会に少し慣れれば警戒心が自ずと身につく。人ではなく地震のような自然災害のためだ。日本は島国であり どこへ行っても海岸の絶景を容易に見ることができる。景観を楽しみゆったりと散歩をしていても、心の片隅には非常事態対応のしくみが隠密に作動している。海辺には大きな揺れが感じられた場合には津波に注意しなければならないという警告板が立っている。自身が足を踏んでいる大地が動揺すればすぐに100m競走に出る態勢を整えなくてはいけない。

今回の大地震で日本人たちが示した姿はやはり感嘆するばかりだ。大都市の大衆交通がほとんど麻痺した状態でも長く列をつくり運行中のバス便を待つ。広範な地域で停電が続いているが、略奪や買い占めなどの大きな混乱は見られない。からだに染み付いた防災訓練の成果だ。地震に備えて頭に防災ずきんをかぶり机の下に入り外に待避する訓練を幼稚園の時からしている。9月1日は防災の日に指定されている。1923年 関東大地震が発生した日であり韓国人には心安らかでない日でもある。この日を含め1週間は防災週間として宣言され災害対応教育や避難訓練を全国的に行う。

日本社会はよくマニュアル社会と呼ばれもする。防災教本もよく備わっている。だが、いくら対応していても想定した水準を越えれば災難になるということが今回も証明された。巨大な津波が人間の作ったあらゆる造形物をさらって行く姿をTV画面で見ながら現実感が感じられなかった。あたかも大災難を扱った映画で見覚えのあるコンピュータ グラフィック映像のように見えた。

大地震が起きるまさに2週間前、日本の代表的平和軍縮運動市民団体である‘ピースデポ’が主催したセミナーに参加するため東京にいた。ピースデポは東アジアの軍備緩和と非核化のために長年にわたり活動してきた団体だ。1980年代中盤、ヨーロッパで米国とソ連の中距離核ミサイル配置計画に対し激しい抗議運動が広がった時、太平洋地域でトマホーク巡航ミサイル配置の危険性を広く知らしめた。1991年9月ジョージ・ブッシュ米国大統領が韓半島からすべての戦術核兵器の撤収を宣言したのもこうした反核運動の成果でもある。セミナーの趣旨は非核化部門で逆回りしている東アジアの状況を点検し、市民運動の役割を議論するということだった。その場で北韓が運営したり建設を推進している原子炉に耐震設備がきちんと備わっているかに対する質問が出てきた。

今回の大地震は核の軍事的側面に劣らず平和的利用にも問題が多いことを示してくれた。日本はフランスとともに世界有数の原子力発電大国だ。国際原子力機構の査察を最も多く受ける国に入るほど原子力発電所が多い。関連技術も最高水準だ。しかし、いくら良いマニュアルを整え対応をしていても、不意の事態は起きる。今回の福島原子力発電所事態は制御できなければすぐにも核兵器に変わりうる原子力発電所の恐怖をまざまざと見せている。

我が国もいつの間にか原子力発電大国だと慇懃に自慢している。李明博大統領が騒々しく受注を宣伝した原子力発電所起工式に参加するためアラブ首長国連邦を訪問している間、マニュアルを厳守してきた国で起きている災難に全世界が驚いている。口蹄疫事態に見るように、我が国は急であればマニュアルも無視し密封する。果たしてこれで大丈夫だろうか? 論説委員 hyoskim@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/467777.html 訳J.S