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[社説] ‘国恥100年’を迎える悔悟と誓い

登録:2010-08-28 09:20
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/437134.html

原文入力:2010-08-27午後08:28:02(1405字)

明日は日本帝国主義の強圧により国を奪われて百年になる国恥日だ。この日を迎え過去を謙虚に振り返り、冷徹な自省の時を設けることが何より重要だ。
最初に、砲艦外交と弱肉強食の植民地争奪戦が乱舞した時期に、我々の先祖がなにを間違え恥辱にあったのか襟を正して反すうしなければならない。亡国の国民が国内あるいは国外を流浪しながら、どれほど苦痛を味わったのか、国の独立のために全身を投げうち戦った愛国者がどのように死んでいったのか、彼らの子孫がどんな接待を受けたかもはっきり記憶しなければならない。更には徴兵・徴用など強制連行の被害者、軍隊慰安婦ハルモニ、サハリン残留同胞、被爆者、シベリア抑留者などが、この間どれほど放置されてきたか、政府を含めて我々の社会がこれらの人々の苦痛にどれほど無関心だったのかも突き詰めなければならない。

第二に、残忍な植民統治の加害者だった日本との関係を堂々と毅然として再確立できるよう衆知を集めなければならない。去る10日に発表された菅直人日本総理の談話が以前の談話や文書に比べ一歩進んだと評価できる部分があるのは事実だ。だが、あくまでも日本社会の基準として見る時にそうだということであり、韓国人の立場から見ればただの言葉遊びに過ぎない。強制併合と植民地支配が韓国人の‘意に反して’なされたという表現をすることに百年もかかったとすれば、日本社会で良識の基準がどこにあるのかを真剣に問いたい。さらに安倍晋三前総理は菅総理談話に対し‘恥ずかしいことであり歴史に対する勉強不足だ’と辛らつに非難した。彼のような思考構造を持った日本の政治家たちは、談話内容が韓-日友好の礎石である韓-日基本条約締結に力をつくした両国の努力を傷つけたと主張した。

しかし1965年に調印された基本条約には、植民地支配に対する謝罪どころか植民地という言及すら全くなかった。当時、日本政府は韓国政府に対する有・無償5億ドル借款提供も補償ではなく‘独立祝賀金’と言った。初めから間違ってかけたボタンを正さなければ、真の新たな出発は難しい。何より昨年の総選挙で勝利し歴史的政権交替を成し遂げた日本民主党政権が、余命がいくばくも残っていない被害者たちに具体的措置を取ることを期待する。この問題と関連して日本が国際社会からどんな評価を受けるかは結局、日本人たちの持分であり選択だ。日本が従来の道に固執するならば本当に哀れだと言わざるをえない。

第三に、両国市民間の交流の幅と水準をより一層広げ多様化しなければならない。率直に言って、政府次元の交渉で過去の問題がなめらかに整理されることを期待することは容易でない。そうした点から途方もない速度で拡大している市民社会の交流が観光と大衆文化次元に留まらずに共生・和解・平和・福祉分野などで拡大することが重要だ。植民支配と侵略戦争の過去を恥じ、傷を癒せるよう本当に努力する良心的日本人が少なくないという事実をよく知っている。我々の市民団体や地方自治体などが、これらの人々との交流を広めてゆくならば友好と和解の基盤がより一層堅固になるだろう。

原文: 訳J.S