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極右の鬱憤は「裏切られた正義感」=韓国

登録:2025-12-05 06:52 修正:2025-12-05 08:09
9月21日、大邱市の東大邱駅前で開かれた「野蛮弾圧、独裁政治国民糾弾大会」に尹錫悦前大統領の釈放を求める旗と、死亡した米国の極右保守主義者チャーリー・カーク氏の冥福を祈る旗、「黄色い封筒法廃止」などのスローガンが書かれた旗が登場した=ユン・ウンシク先任記者//ハンギョレ新聞社

■感情の持つ強い力

 ファクト、すなわち事実は強い力を持つ。だが、極右・過激主義者たちに事実関係や論理に基づいた説得はあまり効果がない。事実や論理よりはるかに強力なエネルギーが渦巻いているためだ。まさに感情と情緒だ。中国陰謀論を作り出して広めるエネルギーも、いわゆる「嫌中感情」だ。この文の主な関心は「嫌中感情」のような極右感情を事実を根拠に反論したり、非理性的言動を批判したりすることを越え、極右感情の背景となっているある日常的感情(quotidian emotion)を見つけ出し、分析することだ。米国の日常的感情であるプライドと羞恥心から米国の極右感情が主に溢れ出たように、韓国の日常的感情から韓国の極右感情が芽を出し爆発的に成長する。その中でも、この文が焦点を合わせる韓国人の日常的感情の一つが鬱憤だ。

 「公正世界信念(Belief in a Just-World)」という概念がある。簡単に言えば「世の中は公正で、人は努力した分だけ報われる」という信念だ。私たちが生きていく世界はそれほど公正ではないが、人々は実際より過度に世界を公正に捉えているということだ。このような信念はある程度は避けられない。世の中が公正だと信じているからこそ、未来の人生を計画し安定的に生きていけるためだ。心理学者のメルビン・ラーナー(Melvin Lerner)は経験研究を通じて、このような信頼が人々の間で普遍的であることを示した。1)

■共同体の鬱憤は政治的資産

 鬱憤という感情は、この公正世界信念と密接に関連している。精神医学専門医のチェ・ジョンホは「自ら固く信じていた公正世界信念が脅かされたり崩されたりする特定の事件を経験しながら、鬱憤が触発される」とし、「この状態が持続し、機能上の問題まで引き起こした場合、心的外傷後鬱憤障害(PTED)と診断する」と説明する。2)

 鬱憤障害の臨床研究では、この公正世界信念と類似した概念を導入し、診断と治療に活用している。それが「中心基本仮定(zentraler grundannahmen/central basic assumption)」だ。中心基本仮定とは世界と自分自身に対して持っている主軸の信頼であり、譲りがたい価値観だ。これは「世の中は公正であり、私は人々に尊重される権利がある」というような信念だ。この信念があるきっかけによって大きく傷つけられた時、例えば不義、軽蔑、侮辱などの状況的刺激が発生する時、苦しい身体反応として表れることもある。その代表的な症状がPTEDだ。自分を取り巻く世界は、当然、さまざまな形で公正かつ正義でなければならない。ところが、その期待が完全に裏切られた時、人間は耐えがたい感情的な激動を経験することになる。要するに、鬱憤という一種の正義感といっても過言ではない。より正確には「裏切られた正義感」といえる。

 もちろん、この正義感は範囲が広い。ある人にとっては譲れない価値が、他の人にとってはそうではないかもしれない。PTEDの臨床事例には、このような個人差が目立つ場合もある。あるPTED患者の場合、食料品店の店員として長く働いてきたが、ある日店の品物を盗んだと疑われ、警察の取り調べを受けるなどの過程を経て、PTEDを経験することになった。ところが、事件後、医師との心理相談を通じて明らかになったところによると、店員に決定的な衝撃を与えたのは、不当に泥棒扱いされた事実そのものではなく、長い間一緒に仕事をしてきた同僚の誰一人自分に味方し弁護してくれなかったという事実だった。3)

 しかし、中心基本仮定の範囲が広く個人差があるという事実は、すなわち鬱憤が全面的に特殊で個人的だという意味ではない。精神医学専門医のミヒャエル・リンデンは、鬱憤は個人の疾患を超え社会的な現象だと言う。

 「中心基本仮定は個人を越えて社会的に働く心理現象であるため、正義と中心基本仮定の違いが歴史やうわさまたは世論を通じて伝えられ、社会的に存在するということは驚くべきことではない。コミュニティ全体の人々が鬱憤に直面する可能性があるため、鬱憤は政治的資産となる。東ドイツ人は西ドイツ人に、パレスチナ人はイスラエル人に、カトリックはプロテスタントに、ロシア人はウクライナ人に、移民者の子供は従来の居住者に、ギリシャ人はドイツ人に不公正な待遇を受けていると感じており、その逆の場合もある」4)

 鬱憤を政治的資産にするケースは、韓国でも容易に見られる。有名政治家への迫害や死に対する集団的鬱憤が政治的凝集力として働く事例は珍しくない。また、極右政治家および極右メディアが「嫌中感情」を煽る背景にも、このような「鬱憤の政治資産化」がある。

■韓国人の中心基本仮定:「公正な不平等」

 リンデンは「鬱憤障害は社会が激変する時期に増加することが見られる」とし、「中心基本仮定を形成するのは文化」だと指摘する。5)

 言い換えれば、文化圏が異なる人々は互いに異なる中心基本仮定を持つ可能性がある。 ある社会が広範囲に共有する中心基本仮定は構成員の鬱憤を爆発させる「スイッチ」になる。前の文で、韓国人の重症度以上の鬱憤がドイツ人の6倍に達するという調査結果を引用したことがある。それでは、韓国人にとって中心基本仮定、つまり触れると爆発する鬱憤スイッチは何だろうか。それはまさに「公正」ではないだろうか。この言葉には韓国人の鬱憤が濃縮されているだけでなく、能力主義イデオロギーとも関連が深い。

 公正はどの社会でも重要な価値であり、そのため「公正世界信念」と鬱憤感情は大多数の社会で観察される。ところが、様々な資料によると、韓国の鬱憤、または公正に対する感覚には、他の国とある程度区別される側面があるように見える。これをもとに韓国人と韓国社会で広く通用する公正世界信念、簡単に言えば韓国人の世界観を推定することができる。これは「公正な不平等」という言葉で表すことができる。要するに韓国人は二つの価値、「公正性」と「不平等」を同時に志向する。

 2018年に行われた世論調査「韓国社会の公正性認識調査」は、韓国人の公正性認識を比較的詳しく分析している。これによると、韓国人の価値観の中で目立ったのは、差等分配、すなわち不平等な分配を強く好むことだった。韓国人の多くは分配において算術的平等、すなわち結果的平等よりは、個人の能力と努力によって差等を設けて分配する方が公正だと考える。個人の能力と努力によって報酬の差が大きいほど良いという立場が66%で、調査対象の3分の2以上が差等分配を好んだ。西欧など他の国でこの選好は所得、理念、学歴などによって異なる傾向がある一方、韓国では全階層および社会集団の間で共通して表れた。6)

 では、このような特性は他の国と比べるとどの程度強いのだろうか。これを示す地球規模の世論調査が「世界価値観調査(World Values Survey)」だ。40年以上にわたり世界100カ国余りの市民の価値観を調査してきたこのアンケート調査には、主要質問項目として「所得平等(income equality)」に対する10点尺度の質問が常に含まれている。7)

 質問は単純だ。「所得は平等でなければならないと考えるか、それとも、努力などにより差があるべきだと考えるか」。この質問に対して多くの国の市民が「所得は平等でなければならない」側に近い回答をしたが、ある国々は例外的に「差があるべきだ」、すなわち不平等を好むと答えた。その例外事例の一つがまさに韓国だ。

 特に、韓国は不平等を好む傾向で、それこそ圧倒的だった。第6回世界価値観調査(2010〜2014年)の結果によると、ドイツは平等志向が57.7%、不平等志向が14.6%であり、日本は平等志向が28.6%、不平等志向が25.1%だった。米国は不平等志向がより高い例外的な国だが、平等志向が29.6%、不平等志向が36.2%だった。韓国の場合、平等に賛成した割合は23.5%で、不平等に賛成した割合は58.7%だった。2020年に発表された第7回調査の結果はさらに驚くべきものだ。韓国人の64.8%が不平等に賛成し、平等に賛成したは12.4%だけだった(詳しい分析はパク・クォ二ルの『韓国の能力主義(原題・2021)』3部を参照)。

■鬱憤社会

 韓国は鬱憤社会だ。鬱憤社会とは、社会全般に特権と不平等が寛大に容認される一方、手続き的な不公正には敏感で、個人が不条理と悔しさをしばしばそして強く感じ、このような感情が一種の社会的疾患となり、共同体の成員多数の人生に支障をきたす社会だ。韓国人は日常的に悔しさと不公正を訴える。韓国人の鬱憤が他の国の人々に比べてこのように強いことには様々な社会的要因があるだろうが、韓国人多数が指向する価値観が「公正な不平等」である点が主な要因とみられる。

 韓国人は不平等は我慢できても不公正は我慢できない。また、特権に怒るのではなく、特権に近づく機会の不平等に怒り、特権はそのまま維持しようとする。ところが不平等と公正性は火と氷のように共存が難しい。不平等が激しいほど既得権者の力が強く、彼らは合法的手段を通じて競争の規則を体系的に歪曲するためだ。要するに、不平等を放置すると、公正性も確保できない。にもかかわらず、多くの韓国人は「公正な不平等」が実現可能だと信じている。不可能なことを期待する人はいつも不満に満ちているものだ。そのため、鬱憤社会の鬱憤は慢性化した症状として表れる。

1)Lerner, M. & Miller, D. (1978)。 Just world research and the attribution process: looking back and ahead. Psychological Bulletin 85. pp 1030-1051.; Lerner, M. (1980)。 The belief in a just world: a fundamental delusion. Plenum.

2)ミヒャエル・リンデン、キム・ジョンジン、チェ・ジョンホ、ミン・ソンギル、チョン・チャンスン(2021). 「韓国人の鬱憤と心的外傷後鬱憤障害」. クンジャ出版社. 34.

3)同書。201-203.

4)Linden, M, Rutkowsky, K. (2013)。 Hurting memories and beneficial forgetting. Posttraumatic stress disorders, biographical developments, and social conflicts. Elsevier.

5)ミヒャエル・リンデン、キム・ジョンジン、チェ・ジョンホ、ミン・ソンギル、チョン・チャンスン. (2021). 「韓国人の鬱憤と心的外傷後鬱憤障害」. クンジャ出版社. 178.

6)韓国リサーチ世論調査本部定期調査チーム(2018.02.02.). 「韓国社会の公正性認識調査報告書」. 「世論の中の世論」第3号. 韓国リサーチ.

7)第6回世界価値観調査 https://www.worldvaluessurvey.org/WVSDocumentationWV6.jsp

第7回世界価値観調査第 https://www.worldvaluessurvey.org/WVSDocumentationWV7.jsp

パク・クォ二ル|メディア社会学者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1232762.html韓国語原文入力:2025-12-04 09:03
訳H.J

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