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「ガザは死の動物園…人間として尊厳をもって生きたい」【長期化するガザ戦争】

登録:2025-06-18 00:41 修正:2025-06-18 07:31
今年1月、休戦を受け、ガザ北部のガザ市のファフミ・アルジルジャウィ学校で小さなホワイトボードひとつで英語の授業を再開したラジャ・ランティシさん=本人提供//ハンギョレ新聞社

 「あの日、子どもと女性たちの悲鳴が7番目の空に届いた」

 ソウルから8千キロ離れたパレスチナのガザ地区の英語教師で、5人の子の母親でもあるラジャ・ランティシさん(39)は、5月26日を思い出して苦しんだ。

 イスラム信者にとって最も神聖な経典であり、人生の指針が記されているコーランでは、7つの空の物語が語られる。「7番目の空」とは、神が世に姿を現す前の状態を指す。現世から最も遠い場所、アッラーのすぐ下の天国の果ても意味する。人々の悲鳴が深く鋭く鳴り響いたあの日、ラジャさんは職場だった学校と生徒、隣人たちを失った。7番目の空を思い浮かべた。自身が戦前から勤めていた学校がイスラエル軍の空爆で破壊された日だ。

 ラジャさんは、昨年モバイルメッセンジャーのワッツアップ(WhatsApp)を通じて、ガザ戦争の1年を振り返るハンギョレのインタビューに応じてくれた英語教師だ。その際、5回以上の避難について語ってくれた彼女は現在、故郷であり自宅のあるガザ市に戻ってきている。イスラエル軍の攻撃が再び激しくなり、人道危機が深刻化しているガザ地区の状況を聞くために、先日ハンギョレはラジャさんに再びメッセンジャーなどを通じて話をうかがった。

 ラジャさんが苦しみながら回想する5月26日の早朝、イスラエル軍はガザ市のファフミ・アルジルジャウィ学校を空爆し、少なくとも33人が死亡、数十人が負傷した。犠牲者の中には少なくとも18人の子どもと6人の女性が含まれている。主に犠牲となったのは、避難場所として使われていた同校の建物で生活していた難民の家族。国連からパレスチナの人権についての特別報告者に任命されているフランチェスカ・アルバネーゼ氏は自身のXで、同校内の炎の中で出口を探しているように見える子どもの映像を共有しつつ、「あまりにも多くの人と多くの子どもたとが生きたまま燃えるのを、もう見ていることはできない」、「パレスチナの人々が私たちを許してくれることを願う」と投稿した。イスラエル軍は、ハマスの指揮統制センターで活動していた主要なテロリストに対する攻撃だったと主張した。

国連からパレスチナの人権に関する特別報告者に任命されているフランチェスカ・アルバネーゼ氏のXに共有された映像//ハンギョレ新聞社

 ラジャさんは「ガザは死の動物園だ。ガザ地区に命のすみかは残っていない。私たちは今、生命力なしに生きている」と自嘲した。彼女は居住するアパートが学校とは離れていたため助かった。

 ラジャさんを含むガザ地区の住民たちは、今年上半期のことを「短かった平和の後に訪れたさらに残酷な戦争」の期間として記憶している。

 今年1月15日、イスラエルとパレスチナのイスラム組織ハマスは3段階の休戦に合意。同月19日に休戦が発効した。ラジャさんと夫、そして5人の子どもの7人家族は同月27日、ガザ市の自宅に戻った。2023年10月7日のガザ戦争勃発から6日目に避難して以来、473日ぶりのことだった。

 自宅は幸い、破損していたのは一部だけだった。家は灰色のほこりでいっぱいだった。かなりの数の家財が盗まれたようになくなっていた。それでも家族はほこりを拭き取り、再び生きる希望を徐々に育むことができた。時には「家が誰かに襲撃されるのではないか、また家を出て移住しなければならないのではないかと思って怖かった」が、家族は日常の回復に努めた。

女子生徒たちが床に座ってラジャさんの授業を受けている=ラジャさん提供//ハンギョレ新聞社
小さなホワイトボードとマーカーだけの教室だが、多くの生徒がラジャさんの授業を受けていた=ラジャさん提供//ハンギョレ新聞社

 ラジャさんは、ファフミ・アルジルジャウィ学校で3月から10年生と7年生の200人の女子生徒を教えはじめた。彼女から送られてきた写真を見ると、テントの教室は土の上に小さなホワイトボードが1つあるだけだが、教師のラジャさんと多くの生徒の情熱であふれているように見える。学校の建物は他地域からの避難民が使っていたため、授業では使えなかった。「代わりに運動場にテントを張って生徒を教えた。テントが小さいため、すべての生徒が一度に授業を受けられなかった」

 平和は短かった。ラジャさんの授業は3月18日、イスラエルの大々的な再空爆で休戦が破綻したことで終わった。再び戦争が始まった。すべての未来が見えなくなった。小麦粉1キロの価格は0.5ドルだったが、今は20ドルになっている。手に入りにくい野菜はさらに高く、玉ねぎ1キロが50ドル以上する。市場には肉、卵、果物、菓子などは一切見当たらず、3度の食事にあてる小麦粉以外の食べ物を買う余裕はなくなった。

 人々は非常にたやすく死んでいった。空爆が再開された3月中旬以降だけで5千人以上が死亡した。

 故郷に帰ってきたものの、家が破壊されて行くあてのない人々があふれた。イスラエル軍が空爆を再開したことで避難命令が頻繁に発せられるため、保存しておいた食糧を食べることすらできない人々もいた。ラジャさんは保存してあった食糧を飢えた隣人に分け与えた。しかし、このような暮らしは続かないということを、ラジャさんはよく分かっているようにみえた。

 「子どもたちは栄養失調になる危険性が高い。病気にかかりやすく、薬を手に入れることも難しい。心臓疾患を患っていた姉の夫は結局、薬が手に入らず亡くなった」と語った。

 携帯電話だけに頼っているというラジャさんは、簡易太陽光パネルで照明と携帯電話だけに充電していると言う。ガザ住民で太陽光パネルを持っている人は珍しいが、ラジャさんの家族は運が良かった。ガザの子どもたちはヨルダン川西岸地区にいるパレスチナの教師たちのオンライン授業を受けたりもしているが、オンライン授業がリアルタイムで受けられない子どもたちも多い。携帯電話でのインターネットへのアクセスすら容易ではないからだ。

先月26日(現地時間)、ガザ北部ガザ市のファフミ・アルジルジャウィ学校がイスラエル軍による空爆で破壊され、子どもたちが残骸の上を歩いている=ガザ市/新華・聯合ニュース
先月26日(現地時間)、ガザ市のファフミ・アルジルジャウィ学校がイスラエル軍の空爆で破壊され、住民たちが学校を見回っている。ガザ市/タス・聯合ニュース

 住民たちは、ガザ戦争勃発前には海岸で休暇を楽しんだりもしていたが、今や海岸は難民キャンプとなっている。海辺は、ガザ地区全域からイスラエルの再空爆を逃れて移住してきた難民たちのテントでいっぱいだ。

 ラジャさんも、ガザ市に住むということは家族の安全が保障されないということだとよく分かっていた。南部で国境を接しているエジプトに避難した親戚もいる。しかし、彼女は故郷を離れたくないと言う。ひどかった470日あまりの避難生活がそうさせているのだ。

 「ガザで暮らすのは本当につらい。実際、生活を維持するのはほぼ不可能だ。料理、水くみ、洗濯など、あらゆる日常生活に時間がかかりすぎる。でも、また故郷を離れてあちこちさまよい歩くとか、永遠に故郷を追われるというのはもっとつらい。私の家族にそんな余裕はない。ガザ市、ガザ地区を離れてエジプトに避難した人は多いが、彼らもガザ地区に戻る権利は放棄しないだろう」

 ラジャさんに「希望」は何かを訪ねた。彼女は「この町で安全に暮らしたい」と語った。そして「尊重され尊厳ある暮らし、人間として合法的権利を享受する暮らし」だと強調した。

 ラジャさんは、ガザの住民たちと心で連帯している韓国の読者たちに、自らの夢を語った。「どうしたら平和に生きられるかを考えている。私たちは平和が単なる言葉やスローガンとしてのみ伝えられることを望んでいない。私たちはこの国で真の平和を享受したい。私たちは平和に尊厳をもって生きるという夢を捨てていない」

休戦後、ガザ市の自宅に戻ったラジャさんの娘、マイスさん(8)とラジャンさん(7)がソファーに座っている=ラジャさん提供//ハンギョレ新聞社
チェ・ウリ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/arabafrica/1203145.html韓国語原文入力:2025-06-17 06:00
訳D.K

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