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[特派員コラム] 忠武公をばかにした大統領/チョン・ナムグ

登録:2010-07-02 11:32

原文入力:2010-07-02午前08:26:56(1666字)

チョン・ナムグ記者

←チョン・ナムグ東京特派員

日本人たちがどのように受け入れるか分からないが、私のような外国人の目には日本人たちが沖縄にあたかも植民地のように対しているという感じがする。琉球王国の土地だった沖縄は19世紀後半に日本に公式編入された。2次世界大戦時は米軍に占領され1972年に日本に返還されたが、その後はずっと駐日米軍の核心駐屯地となっている。

外国軍隊に国防を依存するには代価が伴うはずだ。国家の存立に関連したこと、及びその代価が決して安くはないことも言うまでもない。本土の日本人たちはこの間、米国に依存した平和と経済的繁栄を享受しながら、その荷物は相当部分を沖縄に押し付けてきた。

去る30日は1959年沖縄、嘉手納米軍基地の戦闘機墜落事故が起きて51周年をむかえる日だった。当時、事故で子供11人と住民6人が犠牲になった。住民たちはその時に火傷を負い17年後に23才の年齢で亡くなったもう1人の犠牲者の名前をこの日、碑石に追加で刻み入れ、今一度喉を詰まらせた。彼ら沖縄住民たちが普天間基地を‘県外側’に移すという民主党の約束にどれほど大きな期待をかけたかは理解して余りある。

しかし鳩山由紀夫前総理はその約束を守ることができなかった。それが禍根となり史上5番目の短命総理という不名誉を抱いて席から退いた。当初の約束が誤っていたためではなかった。米国との関係が刺々しくなっただけで不安に思う人々と、沖縄の負担を分担したくない沖縄外の日本人たちを説得することに成功できなかっただけだ。彼は辞任演説で震える声でこのように訴えた。

"日本の平和を日本人自身が守れるように努力しなければならない。米国に依存する安全保障を今後 50年、100年ずっと継続しても良いとは考えない。鳩山がどうにかして普天間基地を県外に移そうとした理由を理解してくれるよう願う。いつか皆さんの時代には日本の平和を日本人自身の手で維持できる環境を作っていこう。"

海の彼方、わが国の現実を見る。日本は外国軍隊を国内に駐留させているだけだが、我々は我が国軍隊の作戦権まで完全に行使できずにいる。歴代政府は韓国戦争の時、国連軍に渡した作戦権を次々と回収してきたが、戦時作戦権だけはまだ返してもらえない状態だ。

最近、李明博大統領はバラク・オバマ米国大統領と行った首脳会談で、2012年4月で合意していた戦時作戦権委譲時期を2015年12月まで3年7ヶ月先送りすることに合意した。天安艦事件を理由に挙げているが、話にならない。それが北韓の所業ならば、自主国防の意志をより一層胸に刻むことが合理的な判断であろう。韓半島情勢がゴタゴタしている時であればあるほど、より一層私たちが民族の将来に責任感を持って権限を行使してこそ当然だ。私はイ大統領が4月27日天安艦犠牲者告別式を控え突然に忠武公の霊廟を訪ねた意がそこにあるものと思った。

壬辰倭乱の時、朝鮮は明に援軍を要請した。作戦権は明に移った。李舜臣の水軍も、明の水軍 都督 陳璘の指揮下に入った。柳成龍はその時のことを<懲毖録>にこのように記録した。「陳璘の部下たちは王の前でも私たちの首領らを何のためらいもなく殴り罵り紐で首を括り犬のように引っ張って行きもした。」

李舜臣は屈辱に耐え、陳璘に戦功を渡して戦争をした。その心情がいかばかりだったろうか? イ大統領は顕忠祠の芳名録に‘必死即生、必生則死’と書いた。その悲壮な表現が戦時作戦権委譲を後送りするという意味だとしたら、真にあきれることだ。忠武公をばかにする意図がなかったとすれば、イ大統領は顕忠祠にだけは行くべきでなかった。
チョン・ナムグ東京特派員 jeje@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/428471.html 訳J.S