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尹前大統領の無知または勘違い…戒厳は軍政ではない

登録:2025-04-19 06:45 修正:2025-04-19 08:06
尹錫悦前大統領が2月6日、ソウル鍾路区の憲法裁判所で開かれた弾劾審判の6回目の弁論期日に出席し、目をぎゅっとつぶっている=写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領は14日、ソウル中央地方裁判所で開かれた内乱首謀容疑の初裁判で、内乱容疑を全て否定した。尹前大統領は「戒厳とクーデターは違う」と主張した。彼は「『軍人が銃を持ち歩いていても、絶対に実弾を支給せず、実武装していない状態で投入し、民間人との衝突を絶対に避けるべきだ』と指示した」とし、「平和的な国民向けメッセージとしての戒厳であって、短期であれ長期であれ軍政を実施しようとする戒厳ではないことは、戒厳の進行結果を見れば、あまりにも明らかだ」と主張した。

 検察総長と軍統帥権者だった尹前大統領は、戒厳の法的性格について誰よりも詳しくなければならないが、戒厳と軍政を区別せずに入り交ぜて語った。戒厳は軍政ではない。

 かなりの市民たちが「戒厳=軍政」と理解している。戒厳令が宣布されれば、軍人たちが全面に出てすべての権限を掌握するものだと考える。このような認識は、韓国現代史の経験に由来する。1948年の制憲憲法に大統領の戒厳宣布権が含まれており、その後、朝鮮戦争と軍部独裁を経て、戒厳が権力維持と権力簒奪(さんだつ)の道具として何度も悪用されてきた。 特に1980年5月の光州(クァンジュ)民主化運動当時、全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部が行った国家暴力は「戒厳時は軍が統治し、市民に対する生殺与奪権も持つ」という認識を固めた。

2024年12月3日、尹錫悦前大統領が戒厳令を宣布した後、特殊戦司令部の軍人たちがソウル国会議事堂の垣根を越えて内部に進入した/AFP・聯合ニュース

 戒厳を軍政と混同する理由は、戒厳の法的性格に対する関心と理解が足りないためだ。将軍出身の大統領たちが政権に就いた1990年代初めまで専門家らは軍部の威勢に押され、戒厳に対する研究自体がほとんどなく、1993年に金大中(キム・デジュン)政権が発足してからは、戒厳宣布の可能性が消えたと考え、戒厳に関心を持たなかった。

 成均館大学のオ・ビョンヒョン元教授は論文「戒厳法の起源と問題点」で、軍政は戦時に軍隊が占領した敵の領土内で占領軍司令官の責任下で実施する統治であり、戒厳は敵地ではなく、自国領土内で憲法と法律の規定によって行われる例外的統治行為をいうと説明している。敵と交戦する状態で、憲法も法律も適用されない状態が戦争であり軍政である一方、戒厳は一国の憲法秩序の下で戒厳法という規定によって実施される特殊統治方式だ。1980年5月の光州での悲劇は、新軍部が戒厳と軍政を混同したことに起因した可能性があるとオ・ビョンヒョン前教授は指摘した。

 12・3内乱事態当時、パク・アンス前戒厳司令官がチョ・ジホ警察庁長に国会出入り統制を要請した際、チョ庁長は法的根拠がないためできないと断ったが、パク前戒厳司令官に「布告令を確認してほしい」と言われ、布告令を確認した後、国会を封鎖した。チョ庁長が示した「国会封鎖」の根拠は「国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁じる」という内容の戒厳司令部布告令第1号だ。憲法は非常戒厳のもとでも国会や政党の権限制限を認めておらず、布告令自体が違憲だが、チョ庁長は国会出入りを全面統制した。チョ庁長は昨年12月5日、国会行政安全委員会の緊急懸案質疑に出席し「布告令が発動されれば従わなければならない」という主張を繰り返した。憲法に違反した布告令だが、戒厳と軍政を混同し「戒厳の時は憲法が停止され戒厳司令官の指示に従わなければならない」と判断を誤ったのだ。

チョ・ジホ警察庁長が昨年12月9日午後、ソウル汝矣島の国会で開かれた法制司法委員会の全体会議で発言している=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 戒厳と軍政を区別することは、南北関係と韓米関係においても長年争点になってきた。朝鮮戦争当時の1950年10月、韓国国軍と国連軍が38度線を越えて北朝鮮地域を占領した後の統治方式をめぐり、韓国と米国が激しく対立した。当時、韓国は戒厳を主張し、米国は軍政にこだわった。北朝鮮占領地域の統治主体と方式に対する両国の意見の食い違いは、北朝鮮地域に対する韓国の主権を認めるかどうかから始まった。

 当時、米国は「38度線以北に対する大韓民国の主権は一般的に認められていない。大韓民国とその軍隊は国連軍の一員として38度線以北地域で軍事作戦と軍事占領に参加できる」という立場を示した。北朝鮮における占領地域は、韓国軍が管轄する戒厳地区ではなく、米軍(国連)が統治する軍政地域だということだ。これに対して李承晩(イ・スンマン)大統領は「北朝鮮も厳然たる大韓民国の領土だ。北朝鮮に対する主権行使は当然われわれがしなければならない」と対抗した。北朝鮮地域の統治主体と方式をめぐる議論は、中国軍の参戦により韓国が北朝鮮占領地域から後退したことで、跡形もなく消えた。

 今も米国は、有事の際に北朝鮮占領地域には戒厳ではなく軍政を実施しなければならないという立場だ。こうなると、朝鮮半島有事の際、状況管理の主導権は米国に渡り、韓国の主権が制約される状況が懸念されることになる。

 2年10カ月にわたって国家安保の責任を負っていた尹前大統領は、誰よりも戒厳と軍政に対する正確な認識を持っていなければならないが、憲法裁判所の弾劾審判と刑事裁判で戒厳に対する無知と勘違い、我田引水の主張を繰り返している。14日の初裁判で「26年間にわたる検事としての経歴」に触れ、後輩検事たちに「公訴状が乱雑だ」と指摘したが、自身は戒厳と軍政を混同し、憲法裁判所で全く認められなかった「戒厳宣布は平和的な国民に向けたメッセージ」という主張を繰り返している。

クォン・ヒョクチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/polibar/1193066.html韓国語原文入力:2025-04-18 13:01
訳H.J

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