原文入力:2009-01-27午後07:20:55
←パク・ミョンニム延世大教授・政治学
龍山惨事は今日の韓国を貫く縮図だ。理性と法治を語る今日のこの野蛮は私たちの社会に偏在する‘社会的鬱血’のある爆発であるからだ。このぞっとする災難にもも私たちの社会の鬱血が指導者と政府の反省を通じて治療されないならば龍山でさく烈した鬱血は静脈を越えて心臓を止める社会全体の興亡と生存を左右するかもしれない。龍山惨事は‘鬱血社会’韓国に投じられた恐ろしい警告である。
惨事の根本原因は社会の構造的不平等だ。カナダを5回も買えて、所得対比住宅価格が世界最高の不動産天国で、ソウルの地価は1176倍に上がる間に実質所得はせいぜい15倍しか増えず、給料で江南に家を買おうとすれば44年かかり、何と68万世帯・162万人は板張りの粗末な家・屋根裏部屋・小部屋・あなぐらなどで暮らしている。不動産ジニ係数は0.9を越え世界初の完全不平等状態で、世界最高の不動産競争力は国家資源分配・産業配置・教育競争力を甚大に害している。
より一層大きな問題は世界最高不平等状態での政府の役割のわい曲と法治の失踪だ。この原因は最初の問題より更に大きい。法治論理に従う時、政府の脱出口は消える。まずアリストテレス以来の洞察のように財産と不平等問題ほど公共法治が必要な問題はない。不平等をより一層悪化させる‘再開発事業’を巡って建設業者-組合-住民-借家人が利益と生存の問題で争う場面で一方が強制撤去と用役暴力を行使する時、政府と行政機関は厳正な法治国家と仲裁の役割を遂行したのか? 法治の最小根拠は生命および財産争いでの中立性・公共性から出発する。二番目は暴力の問題だ。暴力に関する限り、真の法治政府ならば建設業者と撤去民の間の均衡を越えて国家行動の法的準則自体を遵守しなければならない。私たちが直接政府を選出する理由はそれが正義・生命・自由の側に立ってくれるという信頼のためだ。そういう価値のためには,オバマの話のように進歩的祖国も保守的祖国もあってはいけない。撤去民の望楼集結以後でも民主政府として妥協と説得努力をしたのか? 国民の生命を保護しなければならない政府が生命・自由・秩序保護のための‘暴力許容’の最小要件たる“現存する即刻的危険”でないにも関わらず、すなわちまだ発生していない人命被害を防止するとして先制的に多数の人命被害を量産したことこそ典型的な法治破壊だ。
政治は人が行う。すなわち龍山惨事と人事問題の関係だ。今回の事態の直接原因は大統領の人事だ。最高治安責任者がロウソクのあかり強硬鎮圧が上手だったという理由で二回も‘6ヶ月に’一回ずつ超高速昇進すれば、任命以後はより一層の強硬鎮圧をすることは火を見るより明らかだ。その上事件は国家情報・国務調整・統一・教育・国家競争力・未来企画など国政の核心部門に親衛勢力,強硬派,更迭された人々を転属・任命・復帰させる時点で起きた。龍山惨事が国家統治と政府政策の具体的表現である人事とかみ合わさったことは決して偶然ではないのだ。
政治の最小基本は人間と生命に対する礼儀だ。死亡した警察と撤去民は皆誤れる政治の共同被害者だ。龍山惨事で6人の国民の生命を奪い取った責任者を拘束・処罰せず、むしろ理念問題に追しやり警察と撤去民を分けた後に責任を後者に回し、進んで国民を進歩国民と保守国民,親警察と親撤去民に分ける報道機関と政府を見て、‘龍山惨事以後’がより一層恐ろしいのはそれが国民と祖国に対する最小礼儀ではないためだ。今日ほど退渓に送った栗谷の手紙が恐ろしく迫ってきたことはない。“もし更張をしないならば国はまもなく国の姿ではなくなるだろう。”
パク・ミョンニム延世(ヨンセ)大教授・政治学