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■ 沈没原因の結論を出せなかった船調委・社惨委
惨事から1073日目の2017年3月23日に行われたセウォル号船体引き揚げは、行方不明者の捜索と真相究明をさらに一歩進める大きな契機だった。セウォル号を陸上に据え置いた後に行われた捜索作業では、当時まで行方不明者として残っていた9人のうち4人の遺体が発見された。さらに、セウォル号を肉眼で直に調べることができるようになった。政府がセウォル号引き揚げの決定を下した2015年4月から船体調査の必要性が提起され、「朴槿恵(パク・クネ)弾劾」がなされている中で本格的な引き揚げを控えた2017年3月、国会では「セウォル号船体調査特別法」が可決された。その結果、「セウォル号船体調査委員会(船調委、2017年3月~2018年8月)」が立ち上がった。チャン・フン所長は船調委について「何よりも、海に沈んでいたドライブレコーダーや犠牲者の携帯電話などのデジタル機器に残っていた映像を復元し、セウォル号の当時の状況を確認できるようになったことが大きな成果だった。映像を通じて浸水の経路、事故当時の船の傾きなども推定が可能になった」と述べた。オランダの海洋研究所「マリン」で、セウォル号の模型を作って方向舵や推進器などをコントロールして操縦する試験(自由航走模型試験)を行ったのも大きな成果だった。この実験により、セウォル号の急旋回や浸水などを実証的に確認することができた。
しかし、船調委は何度かの内部衝突の末、二つの総合報告書を出すことになった。復元力の弱さや操舵装置の異常などを沈没の原因とみる「内因説」と、潜水艦の衝突など外力の可能性に重きを置いた「開かれた案」が同時に提出されたのだ。チャン所長は「時間が短かったのが非常に残念な部分だった。合意する時間がもう少しあれば、一つの総合報告書が出たはずだ」と語った。「二つの意見が会議で激しくぶつかった。そのような時は冷却期間を経て改めて議論をしなければならないが、時間に追われてそうすることができなかった。あと1カ月でもあればよかったのにと思った」。チャン所長は当時の状況をそう語った。
二つの報告書が出た大きな原因は内部での衝突だった。チャン所長は「船調委には、前のセウォル号惨事特別調査委員会(特調委)に参加した調査官と海洋・船舶の専門家たちが一緒にいた。彼らの間に『お前たちが調査について何を知っているんだ』『船がどのように作られるのか知っているのか』というような蔑視があった。海洋警察と船員の責任などいくつかのテーマでもいろいろな衝突があったが、きちんと調整されなかった」と振り返った。
船調委が二つの結論を出したことは、特調委の強制解散でまともに進められなかった真相究明を継続するために設立された「社会的惨事特別調査委員会」(社惨委、2018年12月~2022年9月)にも影響を及ぼした。外力説に調査が集中したのだ。チャン所長は「国の調査機関がさまざまな疑惑を調査するのは当然だ。しかし、社惨委は棄却すべき外力説を引っ張り続けた。セウォル号の航跡が操作されたという疑惑にもこだわり続けたが、航跡が操作されていたとしたら、これまでの調査は何の意味もない。セウォル号の急旋回すら確認できていないからだ。セウォル号惨事に大きな陰謀があり、その陰謀を隠すために航跡と船体、デジタル機器を操作したという確証偏向が存在したことが問題だ」と評価した。ただしチャン所長は「社惨委も成果はたくさんあった。大統領府、国家情報院、国軍機務司令部などの権力機関の文書などを閲覧し、その記録を調査資料として残した。デジタル機器の復元も追加で行われた」と述べた。
■ 「セウォル号は車輪の外れた貨物車だった」
3回にわたる調査は明らかに多くの成果を上げたが、きちんとした結論を出すことができなかったという限界がはっきりしていた。遺族の間でも、セウォル号の真実に対する考え方はそれぞれ違う。チャン所長は「家族の心情を理解する必要がある。違法な増改築をし、バラスト水をやや抜いて過積載をし、貨物をしっかり固定していなかったがためにわが子を失ったという事実は、とうてい納得できなかった。そんなつまらない理由で、と思われたのだ。惨事の背景にもっと大きな何かがあるだろうと考えるしかなかった。そうでなければ子どもたちに顔向けができなかったから」と語った。
チャン所長は、当時セウォル号はいつでも沈没しうる条件がそろっていた船だったと考えている。彼は「セウォル号を自動車にたとえるなら、前輪も後輪も外れた1トンの貨物車に10トンの貨物を載せ、その車を初めて運転する運転手が急カーブを切ったというもの。当時、セウォル号の状態はこんなに深刻だったという話を丁寧に説明してくれる科学者や技術者がいたら、多くの遺族が納得しただろう」と口惜しさを表した。
チャン所長は、この10年の真相究明の過程は「数多くの混乱を経たが、真実を知るために一歩進んだ時間」だったと評価した。そして、セウォル号惨事に対する調査の経験がより安全な社会のための土台になることを願った。「犯法を処罰する捜査と惨事の原因を明らかにするための調査は違う方向に進まなければならない。捜査機関は疑惑の立証ばかりに注力するが、そうなると安全に向けたさまざまな考えは削除されてしまう。個々人を処罰したとしても韓国社会は変化しない。規定を変え、システムを変えるのに貢献する調査が行われなければならない」と言葉を結んだ。