2023年11月10日、信用格付け会社のムーディーズは、米国債の格付けを最上位で維持したが、見通しを「安定的」から「ネガティブ」に調整した。米国債の格付けを最上位で維持する信用格付け会社はムーディーズだけだ。スタンダード・アンド・プアーズは10年ほど前の2011年に、フィッチは2023年8月に格付けを下げた。いまやムーディーズまでもが、その隊列に合流する可能性が高くなった。
「米国の財政健全性に対するリスクが増え、国の固有の信用の強みがもはやそれを完全には相殺できないものとみられる」
ムーディーズが格付け見通しを下げた理由だ。債券市場の関係者はもちろん、一般人まで米国の財政と経済の健全性が悪化すると考えうる。さらに、世界経済を懸念することにもなりうる。本当に米国債市場の亀裂のリスクはさらに高くなるのか。流れを把握することは現状を理解する近道だ。もう一度ムーディーズの報告書をじっくり把握する必要がある。
「より高い金利という脈絡から、政府支出を減らすための効率的な財政政策の手段がない、あるいは税収を増やす手段がないのであれば、米国の財政赤字は非常に大きい状態で維持され、これは有意に脆弱になった負債の適応性に帰結すると、ムーディーズは予想する」
報告書はいくつかの仮定を前提としている。「金利が高く維持される環境で、政府支出を減らすための効率的な財政政策の手段がない、あるいは税収を増やす手段がないのであれば」という前提を置いた。これをひっくり返してみると、状況は完全に変わる。「金利が下がり、政府支出を減らす、あるいは税収を増やすのであれば」という前提を適用すれば、ムーディーズの否定的な観察の根拠は消える。
このように見ると、ムーディーズの報告書の真実を読み取ることができる。重要な点は、多くの人が懸念するような「巨大な財政赤字」ではなく、「金利」であることがわかる。大規模な財政赤字と国債発行の急増が問題にならないというわけではない。ただし、それがトリガー(起爆剤)になるのかどうかは、金利の絶対レベルがどれほど高く、どれほど長く続くのかによる。さらに、国債発行額の絶対レベルではなく、経済規模に対する相対的なレベルが重要だ。
■米国の利子費用急増に関する論議
金利が上がるほど利子費用は急増する。米国政府の総利子費用は、今後12カ月間で約2260億ドル(約32兆7000億円)増え、1兆1500億ドル(約166兆円)を超えると予測される。2010年第2四半期から2021年末までの間に増加した利子費用は、合計で2400億ドル(約34兆7000億円)だった。10年以上の期間の間に増えた費用と今後12カ月間で増える金額がほぼ同じだ。2020年以来、米連邦政府の債務は9兆ドル(約1300兆円)ほど増えた。それ以前の50年間の総負債が約24兆ドル(約3500兆円)だったから、この3年間で増えた金額は天文学的にみえる。たしかにそうだ。
しかし重要なのは、負債の絶対レベルではなく、利子費用額がいくらになるのかだ。繰り返し強調するが、いくら負債が多くても、利子支払い額が少なければ持続可能だ。過去3年間で米国の政府債務の加重平均金利は約1ポイント上がった。金利がそれ以前の水準で維持されていたとすれば、利子費用は年6000億ドル(約87兆円)を若干上回る程度だっただろう。前述の1兆1500億ドルではない。金利水準が利子支払い額の最も重要な変動要素だということがわかる。
2020年と2021年に国債発行が急増した。これはファクトだ。重要なのは、現在なされている天文学的な国債発行が、コロナ禍以前と比較して問題になる水準なのかどうかということだ。2020年以来、経済は約5.5兆ドル(約80兆円)、25%程度成長した。米国の国内総生産(GDP)は2020年は約20兆ドル(約2900兆円)で、2022年には25兆4600億ドル(約3700兆円)に増えた。その期間中に政府の税収は33%程度増えた。連邦政府のGDPに対する債務の割合は2020年以降増加した。しかし、最近の傾向をみると、つまり2021年から現在までの流れでは下がっている。国債発行より成長規模のほうがはるかに大きかったためだ。経済規模の成長と税収の側面では、天文学的な国債発行は問題にはならないとみられる。カギはやはり金利の水準だ。
債券市場の弱気論者たちは、例外的な国債発行が債券収益率、すなわち金利急騰の原因だと主張する。これらの人たちは、インフレ率が米連邦準備制度理事会(FRB)の目標である2%以下に下がったとしても、金利は引き続き高く維持されると強調する。現在の高い国債発行水準をその理由として挙げる。本当なのだろうか。
■赤字や国債発行が問題なのか
2020年、米国政府の債務は5兆ドル(約720兆円)も増えた。第2四半期だけで3兆2500億ドル(約470兆円)増加した。当時、10年物国債の金利は0.92%だった。市場はどうだったのだろうか。通常時であれば数年分となる発行量を1四半期で出したが、市場に動揺はなかった。第2四半期中の平均金利は0.69%だった。これを通じてわかるのは、国債の発行額よりも金利水準と利子費用の規模が問題だという点だ。日本をみれば理解できる。日本のGDPに対する債務の割合は米国の2倍を超える。インフレ率は上昇しているが金利は1%以下だ。持続可能性には疑問があるが、少なくとも数十年間は日本の債券市場に混乱や金利高騰は起きなかった。ムーディーズの説明のとおり、問題は赤字や国債発行ではない。金利だ。
たとえ市場金利が上がるとしても、代案がないわけではない。米国の財務省と政府は思われているより多くの手段を持っている。若干誇張すれば、そうした能力をあふれんばかりに持っている。金利上昇論者が懸念する最大の要因は、低金利で発行した国債の満期が到来する時、さらに高い金利での借り換えが避けられないということだ。はたしてそうした事態が展開されるのだろうか。
まず、FRBは長期金利を「オペレーション・ツイスト」(Operation Twist、中央銀行が短期債を売った後、その資金で長期債を買いとる公開市場操作政策)で低く維持することができる。長期債を買いとりその金利を下げ、短期債を売り短期金利は上げる公開市場操作を選択できる。そのようにすれば、長期債の借り換え負担が減る。これがうまく機能しない場合、他にはどのような手段があるのだろうか。債券を買う量的緩和を行うこともできる。流動性の増加が避けられず、インフレ発生の恐れがあり、債券金利をさらに高く押し上げることもありうる。しかし、日本のケースをみると、これは取り越し苦労だということがわかる。
米国政府も先制的に対応している。財務省はすでに長期債の発行量を制限している。毎四半期ごとに米財務省は、今後3カ月間の債券発行計画を発表する。2023年11月2日の発表によると、11月・12月・1月に行われる10年物以上の長期債の発行量は、8月・9月・10月に比べて約10%弱増える。一方、短期債の発行量の増加率は、2年物と5年物がそれぞれ28.13%とかなり高い。要約すれば、米財務省は長期債よりも短期債の発行量を増やし、必要な資金を調達しようとしている。長期債よりも短期債の方向に重心が移っている。現在の高金利に長期間さらされることを避けるためだ。
■金利の行方は
債券収益率とインフレ率/期待インフレ率の相関係数は0.966だ。国債収益率はインフレ率と密接な相関関係がある。 クリーブランド連銀の期待インフレ指数は最上の国債収益率の先行指標だ。2023年11月23日時点での10年の期待インフレ率は2.4%だ。12月1日時点での10年物国債の金利は4.3%だ。2020年7月は0.5%台だった。現在の債券収益率はリスクプレミアムとインフレリスクプレミアムを過大に計上している。仮に期待インフレ率が低くあり続けるのであれば、債券金利はいくらでも下がりうる。
注目すべき点はまだある。現在の市場は保険性金利引き下げ(Insurance Cut)の可能性に注目している。景気停滞が来る前に先制的に金利を下げる可能性は十分にある。過去にもそうしたことがあった。FRBは1994年から1995年4月までの間に、基準金利を3%から6%に大幅に上げた。当時のFRBのアラン・グリーンスパン議長は、1995年5月に景気減速の動きがみえると、「保険性引き下げ」を始めた。1995年下半期に2回、1996年1月に1回金利を下げた。現在のジェローム・パウエル議長もそうした選択をしたことがある。2018年まで基準金利の引き上げを続けたFRBは、2019年初めに金利を凍結した。当時、米中貿易戦争が激化し、景気減速への懸念が強まると、2019年8月・9月・10月に3回連続で金利を下げた。
保険性金利引き下げが可能になるのは、インフレが問題にならない状況で、景気減速への懸念が高まるときだ。現在はどのような状況なのだろうか。今でもインフレ率は高いが、その鈍化傾向は続いている。2024年頃にはインフレ率は安定する可能性が高い。その反面、景気低迷への懸念はより大きくなるだろう。高金利が続き、経済主体の加重平均金利は次第に高まっている。これは米国経済に相当な負担として作用し、2024年第1四半期以降に米国経済を低迷させるという見通しが優勢だ。しかも、2024年には大統領選がある。高金利を続けてあえて経済を低迷させる選択を取る可能性はきわめて小さい。
放漫な財政は大きな問題であることは間違いない。非生産的な政府支出は、最終的には経済を弱めて市民の富をむさぼる。しかし、それだけで債券収益率が急騰して債券市場が崩壊するということはない。天文学的な負債という物語に陥ると、債券収益率の決定要因は何であるのかを忘れることになりうる。債券収益率を動かす動因は、債券発行の絶対規模ではない。債権発行が増加して市場金利が上昇するのは一時的な騒音だ。その真の動因はインフレ率と基準金利だ。