原文入力:2010-04-20午前10:46:51(1678字)
←チョン・ヨンジュ言論人
1975年1月20日、米国の<ワシントン ポスト>は "<東亜日報>が‘幽霊の敵’(韓国の秘密警察)と命をかけて戦っている" と伝えた。当時、東亜日報社で激しく展開していた自由言論闘争と、ある日突然 幽霊のように皆消えてしまった広告、その白く空いてしまった広告面を満たし始めた民主市民たちの叫び声を扱った記事でだ。そして35年後、英国の<ファイナンシャル タイムズ>は天安艦事件と関連し「韓国人たちが政府を‘怪物’と認識している」と伝えた。
維新独裁時の‘幽霊’が35年後に‘怪物’に化けたのだろうか。今、我が国社会にはあらゆる‘怪物’が乱闘場で踊っている。70年代の開発幽霊が今は‘4大河川事業’という名前の怪物となり‘美しい山川’をメッタ切りにしている。再び回復が不可能なこの凄じい破壊を、仏教信者たちは‘李明博の乱’と規定した。こういう反対世論にも関わらず‘清渓川幻想’に溺れ、ただブルドーザーのようにゴリ押しすれば‘決断の指導力’であると盲信しているこの乱暴な怪物….
怪物はまだいる。政治検察と言論権力、検・言複合体だ。盧武鉉前大統領を死に追い込んだその残酷な事件がまだ1年にもならないのに、ハン・ミョンスク前総理事件が繰り返された。クァク・ヨンウク氏の一進一退,勝手気ままな言説にほとんど全面的に依存した虚無ギャグのような検察の起訴内容、政治検察が流す被疑事実をそのまま既定事実化し大々的に報道した言論の形態が、どれほど怪物らしかったのかは無罪判決文によって証明された。しかし、どの言論も反省しなかったし、政治検察は一層強めて宣告のまさに前日に、そしてその後も継続して‘別件捜査’被疑事実を言論に流出させてきた。
均衡,合理,常識とは距離が遠い政治検察のこういう怪物形態と、"検事はその職務を遂行する時、国民全体に対する奉仕者として政治的中立を守るべきで、与えられた権限を乱用してはならない"(検察庁法4条)という法条文の間の間隙は天と地のように遠く見える。どれ程ならば検察出身のホン・ジュンピョ ハンナラ党議員が「そんなに粗雑で安易に捜査をしたのか、検事一人一人が真に恥ずかしい話」とまで話すだろうか。
怪物はもっといる。奉恩寺住職 ミョンジン僧侶と関連して、乱舞するアン・サンス ハンナラ党院内代表などの嘘つき怪物、‘大きな家 向う脛’を通じて、その実体が生々しくあらわれた放送掌握怪物、‘MBコンパニオン’(チョ・カプジェ),‘大統領喜び組’(チン・ジュングォン)という嘲弄の対象になった政権直系血族支配下の政権広報放送怪物、キム・ジェドン,ユン・トヒョン追放でも満足せずにキム・ミファまで追放しようとしている‘バカたちの行進’怪物、‘教育目的’で‘回避ヨンア動画’を告訴し、そして悲劇的状況を "おもしろいじゃない" と文化界元老にぞんざいな言葉を使い、カメラマンたちには "オイ ×, 写真を撮るな" と大声を張り上げるユ・インチョン氏の傲慢放縦怪物、 "韓国銀行が国家運営の責任者である大統領から独立するのは適切でない" として、中央銀行の独立を先頭に立って蔑視・放棄したキム・チュンス韓銀総裁の奇怪論理忠誠怪物、制御を受けずに絶対的な力を行使する大資本怪物、中世魔女狩りを今でもよどみなく話す‘左派たわごと’怪物、冷戦が終わった時代にも生きている北風怪物…。
これを克服するために、まず野党圏が国民に希望の代案勢力として堂々とした能力と激しさを見せなければならない。ところで当選が保障された湖南で私党を集め汚れた欲望に囚われている民主党の一部の姿は怪物のようだ。こういう浅はかな土壌でも野党圏連帯のために努める方々の姿が涙ぐましい。希望の種だ。
チョン・ヨンジュ言論人
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/416748.html 訳J.S