本文に移動
全体  > 文化

[レビュー]梨泰院惨事「うちの娘は行かない」と「立ったまま人工呼吸」

登録:2023-11-03 10:43 修正:2023-11-04 00:00
先月30日午後、ソウル広場でカトリック正義具現全国司祭団の司祭たちによって梨泰院惨事1年追悼ミサが執り行われる中、参列者がろうそくとプラカードを手にしている/聯合ニュース

 セウォル号惨事の知らせを聞いた親たちが檀園高校に駆けつけた時、桜は恨めしいほど美しかった。梨泰院(イテウォン)惨事の生存者と遺族が梨泰院にやって来た時、ソウルの紅葉は美しかった。今や、桜に続いて紅葉を見ても惨事のことを思い出しそうだ。

『今、梨泰院だよ:生存者と遺族が証言する10・29梨泰院惨事』10・29梨泰院参事作家記録団著、創批刊//ハンギョレ新聞社

 生存者と遺族が証言する10・29梨泰院惨事の記録『今、梨泰院だよ』は、それこそ胸のつぶれる音がそのまま聞こえるような本だ。しかし、証言する勇気を出した人がいなかったら、その悲しみに耳を傾けようとする作家団が存在しなかったら、何とかして真相を把握し、繰り返されることを防ぎたいという凄絶で大きな心がなかったら、決して世に出てこない本だ。

 イ・ジュヨンさんの恋人で生存者のソ・ビョンウさんを襲った出来事はこのようなものだ。2人は結婚を控えており、事故当日もウェディングプランナーに会った。2人に起こったことは次のようなものだ。「もともと私とジュヨンが並んで肩を組んで歩いていたら、あまりにも人が多いので、ジュヨンを私の前に立たせてジュヨンの肩に私の両手を乗せて歩いていたんです。そうしていたら私が圧迫されて、しばらく意識を失ったんです」。気が付くとジュヨンさんも意識を失っており、前の人の背中に頭を預けていた。彼はどうしたか。「立ったままジュヨンに人工呼吸しました」

 キム・ウィヒョンさんのガールフレンドで生存者のキム・ソルさんを襲った出来事はこのようなものだ。2人はその日、キム・ソルさんの誕生日を記念して食事を共にした。その後、押し寄せる人の波に巻き込まれた。キム・ソルさんは背が低い方だった。「ウィヒョンは『転んだらダメだよ』と言って私を抱いていました。…その時、ある男性が周りの人たちに、ガールフレンドが息ができないと言って、ずっと助けを求めていました。他の人たちも動けないので助ける方法がなかったのですが、ウィヒョンが自分が助けると言って自分を反対側に押せと言うんです」。しかしキム・ソルさんも意識を失った。「その後、私が覚えているのは…突然、ある人が私の両脇に手を入れてきて、私を後ろに引っ張ったんです。後ろに引っ張られたものだから、私を抱いていたウィヒョンが、離れた拍子に前に倒れたんです」。キム・ソルさんは、あの日あの場所で一緒に死ぬべきだったと考えていた。

 別の悲しみもある。遺族と口論したユーチューバーはこう言う。「うちの娘はあんなところには行かない。よく教育してあるので」。共感を求める訴えは、このように残忍に踏みにじられる。どうして家族を失った人々に嫌悪の言葉を、それも概して公正と正義の名のもとに吐き出すようになったのか、掘り下げてみたいものだ。私たちは嫌悪の中で生きる時、最も生きた心地がしないで生きることになる。幸い、他の犠牲者の話もある。1996年生まれのヤン・ヒジュンさんが眠っている山は高かった。「真冬も私たち(家族)は雪がたくさん降るので登れずにいたんです。でも行ってみたらほうきが2本あったんですよ。後で知ったんですが、友人たちが雪道をほうきで掃きながら登っていたんです」(姉のジナさん)。惨事の遺族と生存者たちがそれでも耐えられるのは、共に悲しみ、共感し、さまざまな方法で力になりたいと思い、遺族や生存者と同じくあの日のいまだ明らかになっていない真実を知りたいと考えている人たちのおかげだ。

 では、国は? これらの悲しみをもって何をなすのか? それをみれば、私たちがどのような国に住んでいるかが分かる。今現在、遺族と生存者が最もエネルギーを注いでいるのは梨泰院特別法だ。悲しみの中で何かをしようとしている人々の、その「何か」のおかげで、私たちがなんとか無事に暮らしているということを知っている私は、梨泰院特別法がどうなるのか最後まで追っていこうと思う。

チョン・ヘユン|CBS PD (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/1114779.html韓国語原文入力:2023-11-03 05:00
訳D.K

関連記事