1989年秋、ベルリン。壁が崩れた。その年の夏にベルリンの壁に行く機会があった。ベルリンとポツダムを分けるハーフェル川の上に架けられたグリーニッケ橋。銃を持った軍人の警戒は厳重だった。ハノーファーで電車に乗り東ドイツ地域を横断してベルリンに入ったが、武装した軍人に荒っぽくカメラを検査されフィルムも奪われたので、状況がさらに深刻に感じられたのかもしれない。その時は2カ月ほど後にこの壁が崩れるとは想像できなかった。翌年、崩れた壁の残骸を見て、「永遠なものは絶にない」ということに気付いた。
ベルリンに長く住む友達に会い、酒を交わしながら、昼間の軍人の行き過ぎた冷酷な態度について話をした。分断に対する感想を混ぜて話をしたはずだ。ところが、夜には壁を越えて行き来することもあるという話を聞いた。驚いた。実際に人々が生きていくためには、刃物ですっぱりと切り離すことのできない「境界」がある。そのグレーの領域を何と呼んだらいいのか分からないが、生きるための、あるいは息継ぎをするための曖昧な領域がある。その曖昧な領域が大きくなって、状況がひっくり返るのかもしれない。ベルリンの壁もそのようにして崩れたのではないだろうか。
同じ分断国家でも、韓国には向こう側に横断して移動する方法もなく、境界を曖昧にするグレーゾーンもない。逆に疑問が生じる。人間が生きる場所なのに、なぜこんなに確固とした分離が70年以上乱れることなく続くのだろうか。『グッバイ!パレスチナ』をみても、歴史の解釈にも、その結果である現在にも、みな曖昧な部分がある。敵と味方がはっきりしていて互いに混ざらないことの方が、むしろ正常から外れているのではないか。
パレスチナが含まれる中東地域は、エジプト、バビロニア、ペルシャ、ローマ帝国を経て、カリフ、十字軍、イスラム、オスマン・トルコ、大英帝国を経て、数千年間独立国家がなかった場所だった。現存する国家は1920~70年代に至って形成された。パレスチナ地域に住むユダヤ人とアラブ人も国を建てようとして、その過程で紛争が生じた。歴史的に様々な宗教の人々が混在して住む地域であるため、一つの国に異なる信仰を持つ人々が生きざるをえず、全員にとって公正なかたちで歴史は進まなかったことだろう。
そのようなエルサレムにあるヘブライ大学には、アラブ人学生たちが通う。互いに対立している地域で、ユダヤ教信者とイスラム教信者がイスラエルの首都にある大学に共に通うとは考えられない人が多いだろう。イスラエルの最高裁判事、長官、将軍、国会議員にもムスリム(イスラム教信者)がいる。
1948年の第1次中東戦争後にイスラエル国境として確定した地域内にいたアラブの人々は、ユダヤ人と共にイスラエル市民になり、イスラエルのアラブ人口の割合は20%に達する。内部でこれらの人々が負っている困難を解決する過程が、外部との不和を整理する過程と相接している。この漫画が説明しているように、メディアや周囲によって不当に扱われているイスラエルの事情もある。だからといって漫画を読んでどちらか一方に肩入れすることになりはしない、事実は複雑であり、現実は曖昧だが、その中から新しい未来が開かれるかもしれないと期待してみる。